25,嫌がらせ
「ひゃ~!言っちゃった。私なんて、見た目も性格もちっとも可愛くないし、脈なんてないって分かってるんですけど、なんか、一人で勝手に盛り上がってる分には構わないかなぁ~なんて……」
顔を赤らめながら滝岡社長への想いを打ち明けてくれる柏木さんに、どんな顔をしていいのか分からない。
「朝からなに騒いでんだよ」
いつものコーヒーカップを片手に、滝岡社長が出社した。
「昨日はすみませんでした!私、どうにも、お酒が入ると押さえがきかなくて」
「どうせ、ああなるんだろうって思ってたから、俺は驚かないけど。でも、南原さんに迷惑をかけるのはよくないぞ」
「はい……すみませんでした」
滝岡社長はもう少し何か言いたそうな顔を私に向けたけど、気付かなかった振りをした。
柏木さんの前で、二人にしか分からないやり取りをしたくなかった。
誤解されたくない。
柏木さんにも、滝岡社長にも。
デスクに座り、新商品のデザインに取り掛かる。
人の目を意識すると、途端にこの場は緊張感が増し、私だけが息を詰めて働いているような気になった。
空気が薄いような息苦しさを感じながら、午前の仕事をこなした。
RRRRR……
「はい、株式会社ティー・ヴェルスの柏木です」
柏木さんはいつも真っ先に電話に出てくれる。
「え?貴島ですか?はい。そうですけど、はい」
不意に旧姓を呼ばれて、一瞬、ドキッとした。
「はい?いえ、違うと思いますけど。え?少々お待ちください」
一旦受話器を置いた柏木さんが、怪訝な顔をしている。
「万里江さんって、市長の娘さんなんですか?」
「え、あ、うん」
「ふーん、その件で、市のコンプライアンス調査の小森さん、だっけな、が話があるそうです」
走り書きしたメモを見ながら柏木さんが電話を取り次いでくれた。
「はい。お電話代わりました」
『あの、こちらですね、博覧会のデザインコンペの入札を担当しております小森と申します』
「はい、お世話になります」
『えー、貴島さんでよろしいでしょうか?』
「はい。今は南原ですが、貴島は私の旧姓です」
『そういうことですね。実はですね、貴島市長が娘さんであるあなたに入札情報を事前に漏らしたとリーク情報が入りまして、調査をしなければなりませんで』
「はい?」
父が私にどんな情報をもたらしたと言うのだろうか。
「なにかの間違いだと思いますけど。家は出てますし、父とはもう何カ月も会っていません」
『まあ、自分に不都合な事実を自ら明かす人はいませんよね』
なんだかカチンとくる言い方だった。
「調べていただいても構いません。どうせなにも出てきませんので」
私の口調が厳しくなったせいか、滝岡社長と柏木さんが目を丸くしてこちらを見ている。
『ま、即、入札参加資格が取り消されるわけではありませんので、安心してください。違法性が無いと認められれば問題にはなりませんから』
「はい。ですから、その違法性が無いということを証明するためにも、一刻も早く調査をお願いします」
『はいはい。では、また担当者から電話が行くと思いますので、その時は、ご対応をお願いしますね』
私をなだめるような言い方をするこの人に、虫唾が走った。
受話器を睨みつけながら電話を切る。
「なんですか今の?ちょー嫌な感じだったんですけど」
「父が私に入札情報を漏らしたという通報があったんだって。もちろんそんなの100%嘘なんだけど、父が市長なのは本当だからね」
「知らなかったです!でも、デザインで競うのに情報もなにもありませんよね?金額のことを言ってるのかなぁ?」
「さあ……痛くもない腹を探られたところで何ともないけど、あらぬ疑いで私たちが不利になるなんてことあってほしくないもんね。さっさと終わらせてほしい」
私にはこの嘘情報を流したのが板倉だとすぐに分かった。
こういう小賢しい手を使い、彼は業界をのし上がってきたのだ。
でも証拠がないし、犯人を暴いたところでこちらにはメリットがない。
板倉のことで悩んだって、時間の無駄になるだけだ。
「俺に何か出来ることはあるか?」
滝岡社長の目は暗い海の底を思わせる色をしていた。
「大丈夫です。ただの誤解なので、すぐに解決すると思います」
「南原さん、俺、昨日も言ったけど、君のことは公私ともに……」
「あ!その件ですね!」
滝岡社長の話を遮り、私は咄嗟にファイルを抱えて立ち上がって歩き出した。
「あの、あっちで話しませんか?柏木さんの仕事の邪魔になりますから」
有無を言わせず、ずんずんと歩き、入り口の近くにある応接スペースに移動した。
柏木さんに変に思われただろうか……
いや、変でもしょうがない、あのまま会話を聞かれてしまうくらいなら……
「え……と……南原さん?」
私の不自然な態度に、動揺していそうな滝岡社長と無言のままソファに腰掛けた。
ここはたっちゃんと面接に来た場所だ。
この会社に初めて来た時のことを思い出す。
私はとても緊張していて、形が変わりそうなほどスケッチブックを握りしめていた。
人としゃべる事ができなくなり、目も見られなくて、私の態度は最低だった。
それを広告の仕事をもらうどころか、たっちゃんはここの社員として迎え入れてくれるように話してくれたのだ。
運がよかった。
タイミングがよかったのだと思う。
それだって、たっちゃんの思い付きがあってのことだし、根回しや準備がよかったから叶ったのだ。
だけど……
そもそも面談をしてくれ、こんな私だって知りながら会社に迎い入れてくれた滝岡社長には特別な恩を感じる。
柏木さんが押してくれたこともあるけど、滝岡社長が私を見る目には色が付いていなかった。
『環境に馴染めず心を壊してしまった』『社会に潰された可哀想な人』『再起不能』当時の私はそんな風に見られていた。
だけど、たっちゃんはもちろん、滝岡社長も柏木さんも、私をそんな憐れんだ目で見たりしなかったし、むしろ、私の特技を褒めてくれた。
感謝してもしきれない恩がある。
だけど、これは『愛』ではないの。
「昨日の話ですけど」
「あ、別に返事は今でなくても……ほら、昨日はその流れって言うか、酔った勢いみたいなところがあって……って、酒は飲んでないんだけど……」
「ごめんなさい」
どうにも心が締め付けられる。
「滝岡社長のお気持ちは有難いんですけど、私にはたっちゃんしか……」
「そうだよな。時間がいるよな。でも、お腹の子は待ったなしに大きくなるんだろう?別に、都合のいい運転手くらいに思ってくれても構わないよ。俺は……」
「そんなことできません」
大切な人だから。
滝岡社長は私の恩人だから。
そんな扱いできるわけない。
「どれだけ待っていただいても私の答えは変わりません。滝岡社長には相応しい人が……」
柏木さんの気持ちに気付いてほしい。
柏木さんとなら、滝岡社長は必ず幸せになれるのに。
喉元まで出かかっているけど、私がそれを言っていいはずがない。
「いやあ、分かってたのになぁ。こうなるって。気まずいよなあ、さすがに」
おでこに手を当てて、ペチペチと叩きながら、滝岡社長が頭を下げた。
「どうかさ、辞めないでくれるか?」
「え……」
「もうこんな空気にならないよう注意するから、俺のことは嫌になっても、会社のことは嫌いにならないでくれないか?柏木も南原さんには懐いてるし」
「もちろんです」
辞める気なんてない。
たっちゃんを少しでも思い出せる場所を、私が離れられるわけがない。
「これからもよろしく頼むよ」
右手を差し出され、右手で握り返した。
ほっと胸を撫でおろし、デスクに戻る。
柏木さんが私を見る目に背筋が凍った。




