24,告白
鈍い私でもさすがに滝岡社長の意味するところは分かる。
もちろんお受けする訳にもいかず、だけど、どうお断りをすればいいのか……
「万里ちゃん、お客様がいらしてるの?」
玄関が開いて、母が顔を出した。
「あ、来てたの?」
傍若無人な父に愛想をつかし、家を出た母は、沖縄の伯母の家に居候させてもらっている。
最後に会ったのは1月で、その時に家の鍵を渡していた。
「あ、わたくし、南原さんの勤め先の会社を経営していまして、滝岡と申します」
社長が90度に腰を折ってお辞儀をした。
「今日は同僚と食事をしたんだけど、その子が酔っぱらっちゃってね、連れて帰ったあと私もここまで送っていただいたの」
「まあまあ、お茶でも」
母が滝岡社長を招き入れようとしている。
「いえ!遅いですので、今日はもう失礼させていただきます。じゃ、南原さん、また来週」
「はい。ありがとうございました」
滝岡社長はあたふたと行ってしまわれた。
「万里ちゃん、今……告白されてなかった?」
母がびっくりした顔で話しかけてきた。
「うん。ちっともそんな雰囲気なかったから、私も驚いてる。こんな、お腹抱えて……あ、そうだ、言ってなかったんだけど、私、妊娠してて……」
ワンピースをお腹に押し当てて膨らみを見せる。
「まあ!万里ちゃん!まあ……」
言葉を失いながら、私のお腹を愛おしそうに擦ってくれる。
「達夫さんの……そう……よかったわね……」
「うん」
「そんな大事なこと、どうして教えてくれなかったのよ」
「ごめん。お母さん、こっちには帰ってきたくないんじゃないかと思って。知ったら、飛んで来ちゃいそうな気がしたから、なかなか言えなくて」
「そう。気を遣わせたわね。でもこの時期に知れてよかったわよ。これからこーんなに大きくなるんだから」
そう言いながら両腕で体の前に大きな輪を作って見せた。
「そんなに?」
「ええ、そんなに?って言いたくなるくらい、本当にでっかくなるのよ。一人じゃ何もできなくなっちゃうんだから」
「そうなの?」
「そうよ!お腹が邪魔で足元は見えないし、お腹がつかえて立ったりしゃがんだりもままならないし、台所に立つのさえ一苦労で料理なんて大変なんだから」
「へえ……」
周りに妊婦がいたことがなくて知らなかった。
母という、一番身近な経験者から助言をもらえるのは有難い。
「だからね、ママは孫の顔を見るまで、一緒に暮らします」
「はい?」
「万里ちゃんが駄目って言っても無駄よ。ママもここに住みます」
「いいけど……」
笑ってしまった。
こんなに張り切ったお母さんを見たのは、子どもの時以来だもん。
「でも……もし……さっきの社長さんと一緒にって考えてるのなら……」
「ないない。滝岡社長とはそんなんじゃないから」
「でもね……この先、人生は長いのだから……ずっと一人で……子育てをしながら生活をしていくというのは……新しいお相手が現れても、達夫さんは怒ったりしないと思うわ……」
そうかも知れない。
たっちゃんはきっと、私が決めたことを認めてくれると思う。
「今はそんな話ししたくないよ」
「そうね、心ない発言をしてしまったわ。ごめんなさい。気を悪くしないでね」
「大丈夫」
私を心配してのことだと分かっている。
昔から保守的で、言いたいことを飲み込んできた母が、こうして気持ちを話してくれたことが意外だった。
たっちゃんに勇気をもらって、父の呪縛から逃れた成果が、こういう形で現れてるんだな。
「さ、もうお風呂に入って寝なさい」
たっちゃんが使っていた部屋には、私が描いた絵が壁のいたるところに飾られている。
私が彼を想って描いた絵。
たっちゃんが、その気持ちをそのまま受け取ろうとしていたのが伝わってくる。
私はたっちゃんが大好きだった。
気持ちが落ち込んで、もう二度と浮上してくることなんて無いと思っていた、最悪の時に救われたんだ。
最初は目を合わせることもできなかったけど、たっちゃんは根気強く付き合ってくれた。
初めて会った日から、離れたくなくて、付き纏ってしまったというのに……
たっちゃんがこの家の鍵をくれた日のことを思い出す。
どうしても会いたい衝動に抗えず、私はたっちゃんの会社に行っちゃったんだ。
『おまえ、こんなところで何してんだよ』
名前を呼んでくれないのかと、少し悲しい気持ちになった。
だけどすぐにたっちゃんは私の隣にしゃがみ込んで、『絵を描いてるんだな』と言った。
私はコンテでデッサンをしていた。
たっちゃんの勤めていた電力会社の社屋を。
なんでもよかったんだ。
だって、たっちゃんに会いたかっただけだから。
ひたすら描き続けて、お腹が空いたな、と思っていたら、たっちゃんが来てくれた。
『まだ仕上がらないのか?』
とっくに仕上がっていたけど、もう一度たっちゃんの声が聞きたくて、夕方まで待つつもりだった。
『腹減っただろ?メシ食わないか?』
嬉しかった。
『ずっと同じ姿勢で体が固まっちゃったんじゃないか?』
たっちゃんが手を差し出してくれて、私はその手を握った。
あれが、初めてたっちゃんに触れた瞬間だったと思う。
温かくて、力強くて、衝撃を受けた。
立ち上がらせてもらって、すぐ手を放されちゃったけど、本当はずっと繋いでいたかった……
自分の両手を握り合わせてみる。
たっちゃんの手とはまるで違う。
指を絡めたり、髪や顔を触ってみる。
たっちゃんが触れてくれた感触を思い出したくて……
目を瞑ってその声を思い出そうとしてみる。
笑った声や、困ったときに詰まる感じ、朝の眠そうな掠れた声……
「たっちゃん」
呼びかけると『万里江』と返ってくる気がして……
ああ、駄目だ。
ここ最近はメソメソする癖もよくなってきていたのに。
人差し指で涙を拭った。
「おはよう」
朝、家に挨拶をする相手がいるというのはいいものだ。
「おはよう、万里ちゃん。よく眠れた?」
「うん、お母さんは?」
「実はあまり眠れなかったの。だから万里ちゃんが会社に行ったらお昼寝でもするわ」
実家で父の手足となり働いていたことを知っているから、こんなにのんびりした母の姿が見られて良かった。
「いいんじゃない?何か要る物ある?帰りに買ってこようか?」
「自分のことは自分でできるから心配しないで。さ、もう行く時間でしょ?」
運転中に気分が悪くなったらいけないので、妊娠が分かってからは電車通勤にしている。
マタニティマークのお陰で、優先席に座れなかったことはないから、楽ちんだ。
「万里江さん!」
会社に着くなり、柏木さんが飛び付いてきた。
「おはようございます、柏木さん。昨日、大丈夫だった?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!私、調子に乗って飲み過ぎちゃって……やっちゃいました。本当、ごめんなさい!」
手の平を頭の上で合わせて、拝むように謝っている。
「気にしないで、私はなんもしてないから」
「そうですか……じゃ、やっぱり……」
「うん。滝岡社長が柏木さんをお家まで運んだの」
「ガーン……最悪……」
「ん?別に柏木さん、暴れたりしてなかったし、滝岡社長、慣れてそうだったけど」
「私、なにか言ってませんでした?」
「何かって?」
はて?楽しくお酒を飲みながらおしゃべりをしていた記憶しかないけど。
なんなら、柏木さんを送り届けた後の方が、考えるべきことなんだよね。
滝岡社長の『公私ともに』という言葉が頭を過った。
だけど今、考えることじゃないから、頭を振って追い出す。
「実は、私……もう、万里江さんも気付いてるかもしれませんが……」
なにを?
「社長のこと好きなんです」
え?




