23,滝岡社長
まだぱっと見では分からないけど、私のお腹は着実に膨らみを帯びてきている。
5月末に締め切られる博覧会のデザインコンペの準備に追われていた。
「なんか、書類ばっかりで思ってたのと違いますぅ」
柏木さんが弱音を吐く。
「そうなんだよね、デザインそのものが出来てても提出書類が間に合わないと応募出来ないからね、しんどいよね」
幸い、私のつわりは軽い方で、仕事にもコンペの準備にも支障はなかった。
だけど、柏木さんや滝岡社長の助けなしには乗り越えられない挑戦だったから、感謝の念が絶えない。
「これを書留で郵送したら出来上がりなんですよね?早く送っちゃいたいですねぇ」
「うん。そしたら後は結果の連絡を待つだけだから、頑張っちゃおう」
「はい!」
平日の勤務時間にも関わらず、滝岡社長は私たちの作業を許可してくれている。
実は個人名で参加するのはハードルがあまりにも高く、断念していた。
実績を表明するための決算報告書や主な取引先の開示を求められ、困っていると、それなら会社名を使って構わないと社長が申し出てくれたのだ。
デザインに特化した会社ではないが、自社でデザイン部を持っているので、個人でコンペに参加するよりいいだろうということになり、有り難くそうさせていただいた。
「万里江さん、今日、これ出したら、打ち上げに行きましょうよ!」
「そうだね。駅前のイタリアンレストランとかどう?」
「いいですね!社長も誘います?あ、でも、社長は車だし、女性だけの飲み会には来づらいか」
こちらをちらちらと盗み見ている滝岡社長を柏木さんがからかっている。
「南原さんは飲めないんだから、飲み会じゃないだろ。俺だって飲まなきゃいいんだし」
滝岡社長がムッとしている。
「でも、私は万里江さんと二人の方が話が盛り上がりそうだから、やっぱり社長には遠慮してもらいたいなって」
「そんなこと言うなよ、邪魔しないからさ。食事代は会社持ちにするよ、車で送ってくし」
「そんな……」
社長を運転手みたいな扱いできるわけない。
「わーい!じゃ、誘ってあげましょうか、ね?万里江さん?」
強い……柏木さんって、滝岡社長に厳しいよね。
私の返事を待たずに、柏木さんは書類の封をして提出書類を完成させた。
「じゃ、私、郵便局までひとっ走りしてきます!」
軽快に走り出した柏木さんを見送りながら、滝岡社長の元へ行く。
「なんとかここまでやって来られました。本当に、ありがとうございました」
「いやいや、俺は何も。頑張ったのは南原さんであり、柏木だ。今日はそんな二人を労いたいんだけど、一緒に行っても構わないかな?もし本当に邪魔なら、また次の機会にでも……」
「いいえ。ぜひ一緒に」
なんだか少し距離が近い位置に立ったままの滝岡社長を見上げる。
「あの、南原さん」
「はい」
「今日は家までお送りしていいでしょうか?」
「いえ。柏木さんだけで大丈夫です。私はタクシーを拾いますので」
我が家は滝岡社長の家とは反対方向だもの。
同じ方面の柏木さんを送ったらそのまま帰っていただくのがいいに決まっている。
「でも……」
落とされた視線を感じ、お腹を擦る。
「大丈夫ですよ。これのおかげで、席とか譲ってもらえたり、何かと親切にしてもらえますので」
『お腹に赤ちゃんがいます』というピンクのマタニティマークをひょいっと見せる。
鞄に付けているこの丸いサインは、まるで水戸のご老公様の印籠のように役に立ってくれる。
「だけど、夜になるので……」
「本当にご心配なく。柏木さんも言ってましたけど、お酒は飲みませんし、そんなに遅くなりませんから」
と……思っていたのだけど……
「ひぇーん、万里江しゃぁん、最高ですぅ、あたし一生ついていきますからぁ~」
泥酔してしまった柏木さんに手を焼く、私と滝岡社長……
「どうしましょう」
「どうもこうも、送って行くしかないですよね。初めてじゃないんですよ」
柏木さんの脇の下に腕を差し込み、滝岡社長が車まで連れて行く。
「あの、申し訳ないんですが」
車の前まで鞄を運んだ私に、滝岡社長が訴えるような目つきで話しかけてくる。
「一緒に来ていただけませんか?柏木を部屋に運ぶ際に、誤解があってはいけませんので」
「そうですね。何もないのは分かっていますが、一応、念の為ですよね」
「はい。一応……」
滝岡社長の車は、前回も思ったけど、乗り心地の良い高級車だ。
とても静かで滑るように道路を走る。
「嫌な予感がしてたんです。柏木は酒癖が悪いのが唯一の欠点みたいなところがあって」
「だから、今日はご一緒していただけたんですね」
「いや……それだけでは……」
柏木さんの家はワンルームマンションで、私は滝岡社長の後に付いて、柏木さんの鞄から鍵を出しドアを開けた。
「まったく……勘弁してくれ。こんなになるまで飲むなんて困った子だ」
「はは。ですね。でも滝岡社長、柏木さんの扱いに慣れてらっしゃる」
「冗談言わないでください。こんなのに慣れる気なんて、さらさらありませんよ」
柏木さんをベッドに寝かせた後、滝岡社長はコップに水を入れ『ここに置いとくからな』と言って枕もとのサイドテーブルに置いた。
「さ、我々も帰りましょう」
「はい」
一仕事終えたような顔をしている滝岡社長が面白くて笑ってしまった。
「言っておきますけど、柏木は手のかかる社員でしかないですからね。くれぐれも、誤解の無いようにお願いしますね」
「ふふふ。はい。分かってます」
「いやいや、本当に、柏木を『女』と思ったことはただの一度もありませんからね。こうして家に送るのだって手のかかる部下として仕方なくですから」
「ふふふ、分かってますってば」
一生懸命に誤解を解こうとしている姿が面白くて、つい笑ってしまう。
「だから……じゃ、なんで笑うんですか。俺は、結構真面目に、あの……いや……」
「気を悪くしましたか?ごめんなさい」
滝岡社長の車の助手席に乗り、シートベルトを締めた。
「すみませんが、最寄りの駅までお願いします」
電車で帰って、駅からタクシーに乗ろう。
「家まで送ります」
「いいえ。大丈夫です。まだ21時ですし」
「送ります。柏木を送って、南原さんを送らないなんてあり得ません」
「ははは。滝岡社長、今日はなんだか面白いですね」
「そうですか?いつも面白いつもりですけど」
「ははは。そうですね。すみません。では、お言葉に甘えて家まで送っていただけますか?」
音もなく発進し、私はそんなつもりはなかったのに、気が付いたら眠ってしまっていた。
「南原さん、着きましたよ」
「あ、すみません。丁寧な運転で、ついうとうとしてしまいました」
「今日は、柏木がすみませんでしたね」
「いえ。楽しかったです。滝岡社長もお疲れさまでした」
じっと私を見ている滝岡社長に違和感を覚えながらも、振り返って玄関に向かう。
「あの……」
「はい?」
振り返ると、すぐ近くに滝岡社長が来ていた。
「南原さん、その……」
「はい」
「ご迷惑でなければ、俺が……」
なんだろう。
「近くにいたら駄目でしょうか」
「はい?」
「えっと……南原さんを支えられたらな……と……」
「はあ」
「公私ともに」
「公私ともに?」
「迷惑ですか?」
え……公私ともにって……なに?




