22,お腹の子
頭が真っ白
どうしよう
どうしようもないのだけど
まさか
妊娠してた
なんて
思ってなくて
ここのところの食事の不摂生、極端な睡眠不足を反省しても遅いけど。
「ごめん」
お腹に手を当てて謝った。
喜びと驚きがぶつかり合って、何も感じなくなる。
点滴の刺さった腕を見つめながら、途方に暮れる。
「なんか、すまない。流れで聞いてしまった」
滝岡社長は私の夫と勘違いされて、医師からの説明を受ける際に同席させられていた。
「いいえ。私の方こそ、ご迷惑をおかけしてしまいすみません」
「知ってたのか?その……」
ゆっくりと首を横に振る。
「そうか。余計なお世話かも知れないが、お腹の子を一番に考えた方がいい。仕事やコンペや、やりたい事もあるだろうけど、子どもが産まれてからでいいんじゃないか?」
思いも寄らなかった。たっちゃんの子を宿しているなんて。
だけどもし、知っていたら、私の判断は違っていたのだろうか?
デザインコンペに参加しようとは思っていなかったのだろうか?
「考えてみます」
幸福なのか、不安なのか、自分でも分からない。
お腹は出っ張ってないし、これといった変化を感じない。
「とりあえず送るよ。今日はもう帰っていいから」
頑張ろうと思った矢先に発覚した妊娠……
たっちゃん、私、上手くやれるかな……
ぼんやりとしていて、体も頭もすごく重い。
「送っていただき、ありがとうございました」
滝岡社長の車から降りた。
「あのさ……」
「はい?」
「一人なのか?プライベートなことを聞いて、気を悪くしないでほしいんだけど、南原さんの家に一人で住んでいるのか?」
「そうですけど」
「身の回りの世話をしてくれる人とか、これから協力してくれる人とかいた方がいいと思うんだけど、大丈夫なのか?」
「大丈夫だと思いますけど」
心配してくれるのは有難いけど、現状を変えるなんてそうそう出来る事じゃない。
お辞儀をしてから、玄関に向かった。
「あの……さ、南原さん」
呼び止められて振り返る。
「うちに来るか?」
「はい?」
「ほら、一人にさせるの心配だから……また、倒れたりしたら困るだろ?発見してくれる人がいないわけだから……」
「まあ、そうですけど」
だからって、会社の社長の家にお世話になるわけにはいかない。
「部屋なら余ってるし、自炊してるから料理は得意だよ。会社の送り迎えもできるし……」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
深々と頭を下げてから、家に入った。
手も洗わず、すぐさま仏壇の前に座る。
病院で渡されたエコー写真をたっちゃんに見せる。
「ねえ、信じられる?」
いつもならここに座るだけで涙が溢れてきちゃうのに、今は感情が湧いてこない。
「たっちゃん、私どうしたらいい?」
『万里江の好きにしたらいいよ』って声が聞こえてきそうだ。
「ねえ、私どうしよう」
気が付くと泣いていた。
いつもと違う意味を持つ涙だった。
悲しいとか、淋しいとかの弱気な涙じゃない。
しっかりするんだ、頑張ろう、という覚悟に身が引き締まる決意の涙だった。
もう朝か……
この気だるさの正体は妊娠初期のつわりの症状だったのか。
「さて、頑張るぞ!」
がばっと掛け布団を剥いだ。
病気じゃないんだから、気合で何とかなる……といいな……
「昨日は急にごめんね」
心配させてしまった柏木さんに謝った。
「いいえ。それより万里江さん、会社に来ちゃって大丈夫なんですか?」
「うん。ほら、別に病気じゃないし」
「病気じゃなかったんですね。なら、よかったですね」
あれ?滝岡社長から聞いてないのかな?
きょとんと私を見つめている柏木さんは『病気じゃないなら、何?』って言っているみたいだった。
「妊娠してたの」
「ただの過労だ」
私と滝岡社長の言葉が重なった。
「え?あ?」
突然、現れた滝岡社長に柏木さんが混乱している。
「おはようございます。え……と、黙ってた方がよかったですか?」
「あ、いや。そうじゃなくて、言って大丈夫なのか?」
「まあ、どうせ分かってしまうことですし、柏木さんにもご迷惑おかけしちゃうと思うので、早めに報告しておいた方がいいかと」
「そういうことなら、南原さんの判断にお任せするけど」
私は改めて柏木さんに向き合った。
「妊娠!おめでとうございます!」
柏木さんに抱き付かれる。
「私、聞こえちゃったんです!万里江さん、お腹に赤ちゃんいたんですね、本当におめでとうございます!」
「ありがとう……」
この子の存在を知った時、私は柏木さんみたいに喜んであげられなかった。
本当は嬉しくて嬉しくてたまらなかったけど、でも今後のことを考えると不安が全ての感情を飲み込んでしまうみたいで、それを相談できる相手もいなくて。
だけど、一晩経って、私の考えも変わった。
お腹の子はきっと日に日に大きくなる。
それは放っておいても『そうなってしまう』のだから考えても仕方がないことだ。
私は私に出来ることをきちんとやるだけ。
「それでね、こんな体だし、勝てる見込みのないデザインコンペに参加するのはどうなんだろうって……」
「万里江さんならできますよ!お腹の子と一緒に頑張りましょうよ!私もいるし!」
「こら、柏木、そんな簡単に言ってくれるな」
「社長!私は無理してでもなんて言ってません!きっと万里江さんなら出産だってコンペだって乗り切れるって思います!お腹の子がいれば、元気マシマシですよね?」
「うふふ」笑っちゃう。
「だから、柏木、そうやってプレッシャーを……」
「そうなんだよね」
私の言葉に滝岡社長が振り向いた。
「なんか、すごーく頑張れそうな気がするの。あ、もちろん、倒れるほど無理してとかそんなんじゃなくてね。よく考えたんだけど、私やっぱりコンペに参加したいから、柏木さん、手伝ってくれないかな、ってお願いしたくて」
「もちろんです!教えてください!何でもやりますから!」
柏木さんと手を取り合いながら、互いのやる気を確認し合った。
「南原さん、本当に大丈夫ですか?」
「はい、昨日はご心配おかけしましたが、この通り元気ですし、幸いつわりも軽いみたいなので、この挑戦は諦めたくないなって。勝手ばかりですみません」
「いや、いいんだけど……」
滝岡社長は本当に親切だ。いつかこのご恩に報いたいと心から思った。
「というわけで、早速なんですけど、柏木さん」
「はい!万里江さん!」
敬礼をしたりして、柏木さんってばやる気満々なんだから。
「次の入稿スケジュールが迫ってますので、新商品のデザインを仕上げてしまいましょう」
「それなら、昨日、万里江さんがぶっ倒れた後、やっておきました!」
「え?」
「いやぁ、万里江さんがすぐ復帰できるって思ってなかったんで、昨日、一人でやってみたんですけど、確認していただけますか?」
「おぉ、凄いね」
「お任せください!万里江さんが来る前はこれでも私一人でやってきてたんですよ!クオリティの低さに目を瞑っていただければ、スピードには自信があります!」
「えぇ……」
恐る恐る柏木さんのデザインを確認する。
「……いいと思うけど。ううん、すごくよくできてると思うよ?」
柏木さんの口ぶりから期待をしていなかったせいもあるけど、目の前のパソコンにはこれまでのコンセプトを踏襲しつつも、より人目を引く斬新なデザインが映っていた。
「滝岡社長……そうですよね?」
同意を求めて顔を見たけど、文句なしの満足顔がそこにはあった。




