19,立ち直るために
「しばらくお休みを頂戴してすみませんでした」
年明けからもう二週間が経過していた。
「まだいいんだよ?あんなことがあったんだし、もっとゆっくりしてて……」
「いえ、ずっと家にひきこもっていると、なんかもう出てこられなくなっちゃいそうで怖いんです。そんなのは、たっちゃんも望んでないだろうし」
「そう?あまり無理はしないでいいからね」
滝岡社長に挨拶を終え、柏木さんのデスクに向かった。
「ずっと休んでごめんね」
「いえ、そんな、お悔やみを申し上げます」
柏木さんもたっちゃんには会ったことがある。
二人は私のデザインをすごく褒めてくれて、意気投合していたように見えた。
「ごめんね、実はまだなんだかふわふわしてるって言うか、地に足が着いた感じがしないんだ。仕事にならないかもだけど、家で一人でいたくないから、ここにいさせてくれる?」
仕事にならなさそうなのに職場に来てしまった。
嫌なことがあると一人で閉じこもりがちな私だから、頑張らないと。
だって、もうたっちゃんはいないんだから……また涙が出そうになって、慌てて思い直す。
頑張らないと、頑張らないと。
たっちゃんが見てるぞ。
だめだめだった私を元気づけ、生かしてくれたのはたっちゃんなんだ。
だから私はたっちゃんの期待に応えたい。
それが私を立ち直らせてくれた、たっちゃんへの恩返しになるんだから。
そう自分に言い聞かせながら、久しぶりにパソコンを開いた。
年末休みに入って以来で、100件を超えるメールの未読が溜まっていた。
順に開けて読み進める。
その殆どが年賀の挨拶や、もう必要なくなった業務連絡ばかりだった。
一件だけ……
板倉を除いては。
まさかたっちゃんに目撃されているとは思わなかったけど、クリスマスの前、私は元婚約者であり、当時の職場の上司だった板倉に呼び出されていた。
用件は分かり易かった。
『デザイン事務所に戻ってこないか?』
馬鹿を言わないでほしいと思った。
言うことを聞かないと、5年前に私が盗んだデータ(と言ってもそもそも私が作ったものだけど)を世間にばらすと脅された。
市長の娘がスキャンダルになったら困るだろうと言われたが、それに関しては痛くも痒くもなかった。
ただ、たっちゃんに知られるのは嫌だなと思った。
たっちゃんは真面目だし、曲がったこととかしなそうだから、幻滅されたくなくて……
それに関しては後日、たっちゃんにちゃんと話すことができたし、私が恐れていた事態にはならなかったのだけど。
今さら、どうして板倉が私を事務所に戻れと言って来たのかは不思議だった。
私は18歳の時、美大の受験に失敗した。
別に先生になりたかったわけじゃないし、作品をアートとして売り出すよりも、商用として広く世間に認知されることに喜びを持っていたので、大学に行かないというのは悪くないと思えた。
ただ、高卒で就職活動もしていなかったし、行くところが無くて困っていたところを受け入れてくれたのが板倉のデザイン事務所だった。
父が市会議員を3期連続当選したところだったので、役所の仕事でも優先して回すとでも持ちかけたのだろう。
今となっては、それくらいのメリットが無いとあの板倉が私を雇うとは思えない。
当時の私はまだ子どもで、無知で愚かだった。
そして同時に、純粋でやる気に満ち溢れ、将来に夢を抱いている若者であるとも言えた。
最初は下働きのようなことしかさせてもらえなかったけど、入社3年目にはジュエリー会社のパンフレット作成を依頼され、それを皮きりに私を指名して発注をくれる業者が増えていった。
仕事は充実していたし、私は働くことが好きだった。
入社7年目の春、事務所がデザインコンペの入札に参加した。
私は全身全霊をかけて、そのプロジェクトに取り組んだ。
あの時は、私だけじゃなくて、事務所が一丸となってそれぞれの役割を果たし、皆で勝ち取った勝利と言えた。
『万里江、やったな。さすがだよ』
まだ板倉の正体に気付いていなかった私は、彼のことを頼れる年上の人だと思い込んでいて、仕事で一緒に過ごす時間が長かったこともあって、徐々に深い仲になっていった。
結婚は全く考えていなかった。
もっと仕事をしたかったし、家族を持つということに興味がなかった。
うちは父がワンマンだし、父の言いなりになっている母を、私は軽蔑していた。
ところが父と板倉は勝手に縁談の話を進め、私を抜きに挙式のスケジュールまで立て始めていたのだ。
「どうしてそんな勝手なことするの?」
私は板倉を責めた。
「あのプロジェクトは大きすぎて君の手には負えない。俺が前面に出て仕切るから、君は俺のバックアップについて欲しい。結婚後はそのスタイルでやっていけたらいいと思っている」
何を言っているのか、さっぱり分からなかった。
「私のデザインだよ、私の名前で出します」
「勝手なことを言うな。事務所あってのコンペだろうが、君はそのパーツに過ぎない」
「そうかもしれないけど、でも、あのデザインは私が……」
「いいから家庭に入れよ!俺の言う通りにしろ!」
私は板倉を説得するのをやめ、怒りに任せて会社のパソコンからデータを消去したのだった。
「ふぅ」
自然と溜め息が漏れた。
「疲れたら休んでていいですからね」
「ありがとう」
柏木さんに気を遣わせてしまった。
だけど、私の溜め息の原因は板倉のメール。
博覧会のデザインコンペのデータが添付されていた。
間宮さんが持って来てくれた、たっちゃんの封筒と同じ書類だった。
たっちゃんは本当に私にこれを?
板倉は5年前と同じ要領でこの入札案件を勝ち取ろうとしている。
「次は君の名前で公表するから」
板倉はそんなようなことをしきりに言っていたのを思い出す。
もちろん受けるつもりはないし、適当に聞き流していたのだけど。
たっちゃんも私に挑戦してほしかった?
集めてくれた資料を見る限り、そう思うのが自然だった。
「あのさ、会社と関係ないデザインってしてもいいのかな?」
何の気なしに柏木さんに聞いてみる。
「え?」
「例えば、フリーのデザイナーとして、作品を出すのは会社の規定違反になる?」
「大丈夫だと思いますよ。うちみたいな小さな会社にはそんな規定なんてないし、そもそもうちは副業禁止じゃないんで、スキルアップのため、実はみんないろいろやってますよ」
「そうなの?柏木さんも?」
「はい。私は特技を売るサイトで、似顔絵を販売しています」
「へえ」
まだ決められないけど、たっちゃんの気持ちを考えてみたいと思った。
「ただいま……」
たっちゃんがいないと分かっている家に帰ってくるのは辛い。
張りつめていた気持ちが一気に解けて、急に涙が止まらなくなる。
そのまま仏壇の前で手を合わせた。
「ねえ、私にできると思う?」
たっちゃんの写真を持っていなくて、私が記憶を頼りに描いた絵が置かれている。
ここがあってよかった。
たっちゃんはいないけど、たっちゃんの空気を感じることができる。
「いただきます」
仏壇の前に買って来たお弁当を置き、両手を合わせる。
「もうちょっと健康的な生活をしないとだよね、分かってはいるんだけどさ」
苦笑いをしながら、手元に視線を落とす。
あぁ、たっちゃんの声が聞きたい。
一言でいいから……




