18,喪失感
葬儀は行わなかった。
たっちゃんの骨壺を抱えて帰ってきた。
「……」
家の中は何も変わっていないはずなのに、何もかもが違って見えた。
壺を抱えたままベッドに潜る。
もう何もしたくない。
たっちゃんに会いたい。
とめどなく流れる涙をそのままに、目を瞑った。
眠りたい。
そして目覚めたら、どうかこの悲劇が夢でありますように。
頭が痛くて目が覚めた。
鼻が詰まって息が苦しい。
壺を抱えて一階に降りた。
暗い部屋に電気を点けた。
縁側に干してあったたっちゃんのパジャマに着替える。
ふわっと、好きな匂いに包まれる。
たっちゃんに優しく抱かれているみたいだ。
でも……もっとぎゅっと……痛いくらいに抱きしめられたいよ……私は自分で自分の体にきつく腕を巻きつけた。
どうしようもない喪失感。
私の胸にぽっかりと開いた埋められない穴。
咄嗟に、持ち帰った遺品の中から、たっちゃんの結婚指輪を取り出し、中指にはめた。
2つ並んだ揃いの結婚指輪。
ずっと一緒にいてくれるって約束だったのに……
思い出すとさらに涙が溢れてくる。
どうしよう……
たっちゃんを感じたいのに、ちっとも駄目だ。
たっちゃんと描いた絵を見ながら泣く。
「どうしよう、たっちゃん、私生きていけないよ……」
一人でなんて到底無理。
たっちゃん無しに私は生きられない。
その場でうずくまり、スケッチブックを広げた。
床に置き、鉛筆を滑らす。
サカサカと音を立てながら、一心不乱に記憶の断片を模写していく。
「どうしよう、たっちゃん……私……下手くそになっちゃったよ……」
たっちゃんを描こうとしたけど、似ていなかった。
たっちゃんに見せたくて描いていた絵は、その目的を失うと、これ程までに情けない出来なのかとがっかりした。
なんとも言えない、誰だか分からない男性の絵。
ペリペリと破り、部屋の隅に放り投げた。
白紙のページに名前を書いてみる。
『南原 万里江』
次のページにも、その次のページにも……
私にやってくるはずだった、たっちゃんとの生活みたいだと思った。
白紙
きっとたっちゃんのことだから、私に好きにしろって言ってくれるだろう。
何も強要しない人だったから。
私の意思を尊重してくれる人だったから。
もし、本当に好きにしていいのなら……
今すぐにでもたっちゃんの元に行きたい。
ピンポーン
チャイムの音ではっとした。
たっちゃんの思い出に溺れ、生への執着がなくなるところだった。
足に力が入らず、転びそうになるのを、壁につかまりながら慎重に歩いた。
「はい」
玄関の向こうに声をかけた。
「小竹です」
扉を開けると、喪服を着た小竹さんと間宮さんがいらした。
「この度は……」
手を震わせながら、下を向いて小竹さんが涙をこぼしている。
「よぉ、万里江さん、大丈夫かぁ?」
間宮さんも目が赤い。
「来てくださってありがとうございます。上がってください」
二人を居間にお通しした。
スケッチブックが散らかっていて、ちゃぶ台に骨壺が置かれた部屋。
「私、どうしたらいいかよく分かってなくて……」
骨壺を指さした。
「一応、仏壇はあるから、そこに置けばいいのかな……」
たっちゃんのご両親の写真が並べてある。
そうか、たっちゃんの写真がいるのか。
ぼんやりと考える。
「今日はさ、達ちゃんのデスクにあったものをお届けに来たんだよぉ。弔いも兼ねてなぁ」
そう言って間宮さんはワンカップのお酒を開けた。
「達ちゃんよぉ、これはいくらなんでもあんまりだぜぇ……こんな綺麗な嫁さんもらって、これからって時じゃねぇかよ……」
涙を流しながら間宮さんはお酒を口にした。
「小竹も俺も、達ちゃんのこと頼りにしてたんだぜぇ?お前がいなくなっちまって、会社はどうなるっつうんだよぉ」
間宮さんは他のワンカップも開けて、私と小竹さんにも差し出した。
「万里江、万里江って、幸せそうによぉ。毎日だぜ。万里江は天才なんだ、俺なんかが嫁にもらうのは勿体ないような女性だって、散々自慢してきてよぉ」
私の方を見ながら、たっちゃんの話をしてくれた。
「こいつのこと許してやってな?万里江さん、達ちゃんは世界一幸せ者で、不幸者だからよぉ」
それから改めて私に向き直って、大きな封筒を差し出した。
「なんですか?」
やる気が起きなくて、少しの動作も面倒に感じる。
「俺にはよく分からねぇんだけどよぉ。小竹が言うには、入札絡みの書類じゃねぇかってよ……な?」
「入札ですか」
とりあえず手に取って中を見た。
5年後に開催される博覧会の概要が記載された書類と、デザインコンペの入札条件がまとめられたメモが入っていた。
「たっちゃんの字だ……」
「万里江さんよぉ、これは俺の勘なんだがよぉ、達ちゃんはこれをお前さんに渡そうとしてたんじゃないかって思うんだよぉ。いつもいつもさぁ、万里江はすごいんだ、天才だって自慢してたからよぉ、きっとお前さんにこれに挑戦しろって言いたかったんじゃないかって……余計なお世話かもしれないけどよぉ、捨てるわけにもいかなくてよぉ」
間宮さんは時々、声を詰まらせながら話してくれた。
「そうですか」
どう受け止めていいのか分からない。
今は感情が鈍ってしまって、何も考えられない。
間宮さんの隣で泣きじゃくる小竹さんの肩に、私は手を置いた。
「小竹さんのせいじゃありませんよ」
小竹さんはあの日、たっちゃんの作業着を持って行ったことを悔やんでおられるようだった。
だるい腕を一生懸命、小竹さんに這わす。
「あの日、停電があった時、私たちは一緒にいたんです」
少し話すのも息が切れる。
「たっちゃんが自分から電話をかけて、現場に向かったのを見ていました」
あの時のことを思い出すと、頭がズキズキする。
「小竹さんが呼んだんじゃないでしょう?知ってますから、あまりご自分を責めないで」
ようやく言えた。
「すみません……ほんと……すみませんでした」
「だから、小竹さんが謝る必要なんてないんですってば」
俯いてぽたぽたと涙を流す小竹さんに、どんな言葉を掛けたらいいのか……
「こうして自分のせいで小竹さんが泣いてるって知ったら、たっちゃんも不本意でしょうから」
「……はい」
たっちゃんのメモをそっと指でなぞる。
小竹さんに言いながら気付いてしまった。
私も同じだ。
たっちゃんは私が泣いて何もできなくなっている姿なんか見たくないはずだ。
泣かないなんて無理だけど、せめて、生きていく努力をしなくては。
たっちゃん、私にできるかな?
少し頑張ってみるから、見ててくれるかな?




