10,実家のしがらみ
「いや、まさか……ここまでとは……」
覚悟はしてきたつもりだけど、ここまででかいとは誰が想像できるって言うんだよ。
「いくらなんでも『お屋敷感』がすごくないか?」
万里江も緊張していたようだが、俺のビビリ具合を見て心なしか元気を取り戻したように見える。
「たっちゃん、行こう」
手を出されて握り返すと、ぐいぐいと俺を引っ張って屋敷に突進していく。
あーもう!どうにでもなれ!
罵声を浴びせられようが、蔑まれようが俺は構わない。
万里江だけは……絶対に守ってみせる。
客間と言うのだろう。
洋風のテーブルや椅子が上品に置かれていて、恐ろしく高い天井の大きな窓からは、整えられた絶景の庭が見渡せた。
気が緩むと歯がガチガチと音を立てて鳴り出しそうだったので、歯を食いしばる。
俺たちは席に着かず、固く手を握り合いながら、その場に立っていた。
「ようこそお越しくださいました」
にこやかな笑みを浮かべた市長、貴島 慎太郎が現れた。
「さあ、さあ、立ってないでお掛けになって下さい」
促され、下座に腰掛ける。
「妻から話は聞いています。娘がご迷惑をおかけしているとか」
「迷惑だなんて、そんな。勝手をお許しいただき、感謝しております。ご挨拶が遅れたことを申し訳なく……」
「そんなことより、万里江、いつ戻ってくるんだ。いい加減、駄々を捏ねるのはやめなさい。もういい大人だろ?」
万里江が痛いくらいに俺の手を握りしめている。
「このままじゃ板倉さんに顔向けが出来ないだろう?婚約を破棄されても知らないぞ」
市長には俺が見えないのだろうか。
話は遮られ、万里江の方だけを見て言っているが……正直、情報過多で頭が追い付かない。
板倉?婚約者?
万里江はやはり俺のところに引き止めていい人ではなかったということだろうか。
敗北感に心が引き千切られる。
「あ、の……パソコン!」
万里江が大きな声で言ったが、その声はひっくり返っていた。
「相変わらず人として会話がなっとらんな。そんなんじゃ、やはり板倉さんのところに嫁ぐのは難しいか」
滝のように汗をかく万里江の髪がおでこや首に貼り付いていた。
「パソコン……持ってく!ここには、もう帰らない!」
そう言い放った万里江に、市長が牙を剥いた。
「どこまで我儘を言えば気が済むんだ!私にこれ以上恥をかかせるんじゃない!」
「縁を……切る!もう、関係ない!」
万里江が俺の手を引っ張り部屋を出た。
螺旋階段を昇り、人形の家のような個室に入った。
白い大理石の床、天蓋付きのベッドに、豊かなドレープのカーテン。
「本当のお嬢様だな」
「たっちゃん、これ……」
万里江がパソコンと電源ケーブル、本を数冊、鞄に詰めた。
「オッケー。俺が持つよ」
それから鏡台の引き出しから、綺麗な小箱を取り出すと、大事そうに抱えた。
「できた、行こう」
「もういいのか?洋服とか、化粧品とか?よく分かんないけど、他にも要る物あるんじゃないか?」
「要らない」
言い切った万里江はかっこよかった。
「よっしゃ、じゃ、おいとましようか」
「ん」
部屋を出ると、この前、玄関で出くわした母親が立っていた。
「お母さん、さようなら」
「万里ちゃん……あなた、またお話が出来るように……」
母親は目を潤ませながら、俺に縋りついてきた。
「先日は、失礼いたしました。万里ちゃんが……万里ちゃんのことを、どうぞよろしくお願いしますね」
囁くような声は、しっかりと俺に届いた。
父親はあんなだったが、少なくとも母親は万里江の変化を感じ取ってくれたようだ。
「よかったら、また会いに来てください」
そう静かに言って、俺たちは逃げるように豪邸を後にした。
パソコン音痴の俺でも分かる、きっと会社から支給されたパソコンとは桁が違うであろうハイスペックなパソコンを、万里江は無造作に畳に投げ出した。
「たっちゃん!」
突進されるように抱き付かれる。
「よく頑張ったな。お前の親父怖いのな。選挙のイメージは詐欺じゃねーかってくらい、目がこーんな尖がってたよな?」
目尻を人差指で吊り上げてみせる。
「ははっ」
万里江を笑わせることに成功した。
「本当によかったのか?」
万里江を抱きしめたまま聞いてみる。
婚約者がいるなんて知らなかったし、『もう帰らない』とか『縁を切る』とか万里江は実家に絶縁を言い渡していた。
「いい、大丈夫」
婚約者のこととか、持ち帰った小箱のこととか、聞いてみたいことはたくさんあったが遠慮した。
「キスしていいか?」
返事の代わりにキスが返ってきた。
深く熱く唇を重ね、万里江の服に手を潜り込ませる。
すべすべとした感触に、我を忘れそうになったが、はたと手が止まった。
やはりさすがに無視できないか……
そのうち気が向いたら、万里江から話してくれるだろう。
そう思っていたが、知ってしまった以上、『婚約者』がいる女性を抱くわけにはいかない。
「万里江、ごめん、ひとつ聞きたいことがある」
「たっちゃん……」
「板倉さんって、万里江の婚約者のことが、どうしても気になって」
万里江の過去を詮索するようで気分が悪いが、こればかりは本人に聞くしか解決しない。
「きらい……」
万里江が両耳を塞ぎ、しゃがみながら叫んだ。
「きらい……きらい……きらい……きらい……きらい……きらい……きらい……!」
その姿に胸が締め付けられた。
「もう、いいよ、ごめん、忘れていい、ごめん」
強く抱き寄せて万里江を落ち着かせる。
少なくとも万里江は『婚約者』を愛してはいないのだ。
これで充分だ。
俺が万里江を愛する障害にはなり得ない。
震える万里江の両腕をそっと耳から離し、俺の頬に当てる。
「俺は万里江を愛してる」
「たっちゃん」
「万里江のことは俺が守るから。ここは安全な場所だから、安心してほしい」
「たっちゃん……愛してる」
万里江が想いを告げてくれて、それがあまりにも嬉しくて、俺は万里江をきつく抱き寄せた。
「く……るしい……よ」
「あ。ごめん。力が入った」
声を出して笑い合った。
俺の幸せが完成したような気がしていた。
俺が夕飯を料理している間、万里江はパソコンに向かっていた。
もともと周りはあまり見えてなさそうだが、それにしてもものすごい集中力だ。
片時も画面から目を離さず、手を動かし続けていた。
「できたけど食う?」
「うん。私も」
「私も?」
人差指を画面に向けているので、ひょいっと覗いてみる。
「は?もうできたの?」
「うん」
「今?この短時間で作ったのかよ?」
「うん」
先日、間宮さんから預かっていたチラシの色味を生かした、でもそれよりはるかに手の込んだお洒落なデザインが仕上がっていた。
「嘘だろ?凄すぎるだろ!万里江!お前、マジで天才なのな?」
興奮して万里江の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「んふふふ」
嬉しそうな笑い声が、万里江の鼻から抜ける。
なんていい声なんだ、なんて幸せな気持ちになるんだ。
どうやら『愛』には上限がないらしいことに、俺は怖さを覚えていた。




