第15話 この世界の文字がなぜか読めます。
「ここが王宮の書庫です」
ノアが大きな扉を開ける。
扉の向こうには、天井まで届きそうなほど高い本棚がいくつも並んでいた。そこに収められた本の数に、リアは思わず息を呑む。
「わぁ……!」
思わず声が漏れた。
(学校の図書室と比べ物にならないくらいの本の数……)
「えっと……どこから探せば……」
リアは、ずらりと並ぶ本棚を見回した。
「まずは国の歴史に関する資料から探しましょう」
「じゃあ、僕はあっちの方から探してくるよ」
オスカーはそう言うと、右奥の本棚へ向かって歩いていった。
「それでは、俺たちは手前からですね」
ノアがリアを見る。
「はい!」
こうしてリアは、ノアと二人で手前の本棚からアストリア王国に関する資料を探すことになった。
二人で本棚を見ていると、リアが一冊の本に手を伸ばした。
「あっ……!」
リアが声を上げる。
「どうしました?」
「これ、アストリア王国って書いてあります!」
リアは本を手に取ると、すぐにページを開いた。
「……え?」
ノアが、リアを見る。
「どうかしました?」
「いえ……」
ノアは本の表紙とリアを交互に見た。
「リア殿、文字が読めるんですか?」
「え?」
「この世界の文字が」
「……?」
リアはきょとんとした。
「はい。読めますけど……」
「……そうですか」
ノアは、少し考えるように黙り込んだ。
「何か変ですか?」
「いえ。ただ……リア殿はこの世界の人間ではないんですよね?」
「はい」
「それなのに、文字が読めるのは少し不思議だなと思いまして」
「……あ」
リアは目を瞬かせた。
言われてみれば、確かにそうだった。
この世界に来てから、文字を読めないと思ったことは一度もない。
「そういえば……どうして読めるんでしょう?」
「それは、俺にも分かりませんね」
ノアは苦笑した。
「また一つ、調べることが増えましたね」
「そうですね!」
リアはそう言って、再び本へ視線を戻した。
そして、ノアも本へ視線を戻す。
――けれど。
ふと、隣にいるリアの気配を感じた。
肩が触れそうなほど近い。
「……」
ノアの指が、ページの上で止まった。
(……近いな)
いつもなら、気にするほどの距離ではない。
それなのに、今日はなぜか妙に意識してしまう。
ちらりと横を見る。
リアは、そんなことなど気にも留めず、本に夢中になっていた。
「……」
無防備な横顔。
ページをめくるたびに揺れる髪。
ノアは、慌てて視線を本へ戻した。
(……何を考えているんだ、俺は)
いつもと何も変わらない。
ただ隣にいるだけだ。
それなのに――
なぜか、心臓が少しだけ騒がしい。
「ノアさん?」
「……っ」
突然名前を呼ばれ、ノアの肩がわずかに跳ねた。
「はい?」
「この言葉、どういう意味ですか?」
リアが本の一文を指差す。
「ああ……これは――」
ノアは平静を装いながら、リアの指先を目で追った。
けれど、さっきよりも近く感じてしまう。
(……落ち着け)
「……では、読んでみましょうか」
しばらく読み進めていると、ノアがふと手を止めた。
「……妙ですね」
ノアが首を傾げる。
「何がですか?」
「アストリア王国が滅びた経緯について、詳しい記録がほとんど残っていません」
すると、奥からオスカーが何冊かの本を手にこちらに向かってきた。
「確かに。これほど魔法技術の発達した国なら、もっと資料が残っていてもおかしくないはず………」
「そうなんですね」
リアはオスカーを見る。
「ここにある資料をまとめてみると……」
オスカーは手にしていた本を机の上に置いた。
「アストリア王国は、十一年前に近隣国からの侵攻を受けた。そして、魔法技術が非常に発達した国であり、特に魔法陣や魔道具の研究においては、他国よりも優れていた……」
オスカーは本のページをめくりながら続けた。
「その技術を巡って、ある国との関係が悪化。やがて戦争へと発展した」
「そして、アストリア王国は滅びた……」
ノアが呟く。
「そういうことになるねぇ」
オスカーは頷いた。
「戦争によって国土は大きく荒れ、王都も陥落。その後、エルディア王国が残された領土を併合した」
「エルディア王国が……」
リアは、少し驚いたように呟いた。
「でも、どうして攻撃してきた隣国ではなく、エルディア王国が?」
「そこまでは、なぜか詳しく書かれていないんだよ」
オスカーは、別の本を開いた。
「ただ、エルディア王国がアストリア王国の民を保護し、混乱した土地を治めるために介入した、とある」
「じゃあ、エルディア王国はアストリア王国を助けようとしたんですか?」
「そう考えられるね」
オスカーが答えた。
「少なくとも、記録上は」
「記録上……?」
リアが首を傾げる。
ノアは、開かれた本のページへ視線を落とした。
「アストリア王国が滅びた経緯について、詳しい記録が少なすぎるんです」
「……」
「戦争があったなら、もっと多くの記録が残っていてもおかしくない。どのように戦いが始まり、どんな経緯で王都が陥落したのかも、ほとんど書かれていません」
オスカーも難しい顔をして、本を閉じた。
「まるで……誰かが意図的に記録を消したようだねぇ」
その言葉に、リアは思わず顔を上げた。
「記録を……消した?」
オスカーは、リアを見た。
「可能性の話だよ。十一年も前のことだからね。戦争で資料が失われたという可能性もある」
「そうですよね……」
リアは頷いた。
けれど。
なぜか、その話が妙に気になった。
アストリア王国。
十一年前に滅びた国。
そして、自分が描いた魔法陣。
その三つが、まだ見えないところで繋がっているような気がした。
ノアは、机に積まれた資料をもう一度手に取った。
「……?」
一枚の古い記録に目が留まる。
『王歴○○年 十二月十五日――アストリア王国、陥落』
「十二月十五日……」
リアがこの世界へ来た日。
そして、リアが誕生日だと言っていた日でもある。
ノアの表情が、ほんのわずかに変わった。
その日付が重なる。
偶然なのだろうか。
「どうかしましたか?」
リアが不思議そうにノアを見る。
「いえ。少し考え事をしていただけです」
ノアは穏やかに笑った。
それからしばらくの間、三人は資料を読み続けた。
けれど、アストリア王国が滅びた詳しい経緯については、やはりほとんど分からなかった。
残されている資料の多くは、魔法技術や魔道具に関するものばかり。
「……あ」
リアが、あるページで手を止めた。
「どうしました?」
隣にいたノアが、リアの手元を覗き込む。
「ここに、アヴェリオス王国って書いてあります」
「アヴェリオス王国?」
ノアが本へ視線を落とす。
「はい。アストリア王国と、友好関係にあったみたいです」
「そうみたいですね」
ノアはページを読み進めながら頷いた。
「アヴェリオス王国とは、魔法技術に関する交流も盛んだったようです。研究者の行き来もあった、と」
「じゃあ、アヴェリオス王国にもアストリア王国のことを知っている人がいるかもしれないんですね」
「可能性はあると思います」
リアは、ページに書かれた国名を見つめた。
アヴェリオス王国。
その文字を目で追った瞬間、胸の奥が小さく跳ねた。
――どくん。
心臓が、一拍だけ強く脈打つ。
「……?」
リアは無意識に胸元へ手を当てた。
痛みではない。
けれど、胸の奥に何かが引っかかるような、説明のつかない感覚が残った。
(……なんだろう)
視線は本から離れないのに、その国名だけが妙に気になる。
「どうしました?」
ノアの声で、リアは我に返った。
「いえ……なんでもありません」
リアは小さく首を振る。
ただの国名のはずなのに。
なぜかそこだけ、胸の奥に引っかかっていた。
「アヴェリオス王国か……」
それまで黙って資料をめくっていたオスカーが、ぽつりと呟いた。
「確かに、アストリア王国と深い関わりがあった国だね。魔法研究の分野では、共同で進めていた案件もあったはずだよ」
「先生もご存じなんですね」
ノアが視線を向ける。
「まあね。うちの国とも交流があったから、記録はいくつか残っているよ」
オスカーは本を閉じ、軽く肩をすくめた。
「ただ……アストリア王国のことになると、どの国も記録が曖昧みたいだねぇ。まるで、そこだけ綺麗に抜け落ちているみたいに……」
その言葉に、ノアの表情がわずかに引き締まる。
「やはり、何か不自然ですね」
「そう思うだろう?」
オスカーはそう言って、再び本へ視線を落とした。
リアは、静かにページの文字を見つめていた。
アヴェリオス王国。
その名前はもう、ただの文字列ではなかった。
理由の分からない“重さ”だけが、胸の奥に静かに残り続けていた。
気づけば、窓の外の陽が傾いていた。
「そろそろ今日は終わりにしましょうか」
ノアが、リアとオスカーに声をかける。
「そうだねぇ」
オスカーは本を閉じると、リアの方へ向き直った。
「今日は一旦ここまでにして……お嬢さん、明日は僕と一緒に魔力のコントロールを練習しようか」
そう言うと、オスカーはリアの手を取った。
「えっ……と」
突然のことに、リアは驚いて目を瞬かせる。
その瞬間、ノアの眉がわずかに動いた。
「先生!殿下がいないからって、リア殿が困ってますよ」
ノアが苦笑しながら、オスカーをたしなめた。
「おや?そうかい?」
オスカーはリアの手を離すと、楽しそうに首を傾げた。
「いやいや、僕はただ明日の予定を決めただけだよ」
「その距離感の話です」
「そうかい?」
オスカーはまったく気にした様子もなく、再び本棚へ視線を向けた。
リアは、そんな二人のやり取りを見て、思わず小さく笑った。




