第14話 アストリア王国?
「……え?」
オスカーが、間の抜けた声を漏らした。
数秒の沈黙が、部屋を包む。
魔法の話で盛り上がっていた空気が、一瞬にして静まり返った。
「この世界の……人間じゃない?」
「……はい」
リアはこくりと頷いた。
「私がいたのは、ここではない別の世界です」
「別の……世界?」
オスカーは目を見開いた。
「そんな世界が、本当に存在するのかい?」
「私にもよく分からないんですけど……たぶん」
「……これは驚いたねぇ」
オスカーは信じられないものを見るように、リアを見つめる。
「それで……君がいた世界は、どんなところなんだい?」
「えっと……私がいた世界には、魔法がありませんでした」
「魔法が……ない?」
オスカーの表情が固まった。
この国では、魔法は火や水と同じくらい当たり前のものだ。だからこそ、その言葉がすぐには理解できないらしい。
「えっと……魔法を使う人も、魔道具も、ないんです」
「――ちょっと待ってくれ!」
突然、オスカーが声を上げた。
「魔法が存在しない世界があるのかい!?」
「えっ……」
リアは驚いて、思わず身を引いた。
「いや、待て……そうなると、リアちゃんはどうやって生活を……? そもそも魔力は? 魔力の概念は? 魔道具は? いや、それ以前に――」
オスカーは頭を抱えた。
「オスカー」
ルシアスの低い声が、暴走しかけたオスカーを止めた。
「落ち着け」
「これが落ち着いていられるかい!?」
オスカーは勢いよくルシアスを振り返った。
「異世界だよ!? 異世界人が目の前にいるんだよ!?」
その言葉に、リアは少しだけ肩をすくめた。
異世界人。
そう言われると、改めて自分がここにいることを実感する。
魔法が当たり前の世界に、自分だけがまったく違う常識を持って迷い込んでいるのだと。
「……私、本当に元の世界に帰れるんでしょうか」
ぽつりと呟いたリアに、部屋の空気が変わった。
オスカーの表情から、興奮が少しだけ消える。
ノアも、笑みを引っ込めた。
魔法の話に夢中になっていたが、本来の目的はそこではない。
リアを元の世界へ戻す方法を探すこと――そのために、ここへ来たのだ。
そしてルシアスは、リアをまっすぐ見つめた。
「帰す」
短い言葉だった。
けれど、その声には迷いがなかった。
「リア殿が元の世界に帰る手がかりを探すためにここへ来たんですから、先生、協力してくださいよ」
ノアは、オスカーを見る。
「なるほど……。そういうことなら、もちろんだとも!ここには研究に必要な設備も資料も揃っているからね」
オスカーは、いつもの調子を取り戻したように笑った。
「その前に、どうやってここに来たのか、詳しく説明してくれないかい?」
今度は先ほどまでの興奮を抑え、優しくリアに問いかける。
「あ、はい」
リアは頷いた。
「昨日、学校帰りに歩いていたら、足元に魔法陣みたいなものが現れて……」
リアは、ルシアスたちに説明したのと同じように、昨日の出来事をオスカーに話した。
突然、足元に現れた光。
その中心に描かれていた、不思議な模様。
そして、気づいたときには、見知らぬ場所に立っていたこと。
「……なるほど」
話を聞き終えたオスカーは、顎に手を当てて考え込んだ。
「それで、そのさっき言っていた魔法陣はどんなものだったんだい?」
「えっと……」
リアは少し考えた。
「こんな感じです」
そう言って、近くにあった紙を手に取る。
そして、記憶を頼りに、魔法陣のようなものを描いていく。不思議なことに、迷うことなく手が動いた。
「……これです」
リアが紙を差し出す。
オスカーは、それを受け取った。
次の瞬間。
その表情が変わった。
「……これは」
「何か分かりますか?」
リアが尋ねる。
「……」
オスカーは答えず、紙に描かれた魔法陣を食い入るように見つめていた。
「……この術式は、十一年前に滅びた国のものだ」
オスカーの言葉に、ルシアスとノアの表情が変わった。
「……まさか」
ノアが、低く呟く。
「アストリア王国……」
その名を聞いた瞬間、リアは首を傾げた。
「アストリア王国?」
聞いたことのない名前だった。
「十一年前に滅びた国だ。今はエルディア王国の一部になっているが……」
ルシアスがリアを見る。
「その王族は……全員亡くなったと聞いている」
低い声で、ルシアスが続けた。
「……全員?」
リアは、ぽつりと呟いた。
なぜだろう。
その言葉が、なぜか耳に残った。
そのとき、窓から差し込む光に気づいたルシアスが、ふと外へ視線を向けた。
「……もう昼か」
「えっ!? もうお昼なんですか!?」
リアも慌てて窓の外を見る。
「昼食を取りながら、アストリア王国について話そう」
「そうですね。行きましょう」
ノアが歩き出す。
その後を追うように、リアも歩き出す。
魔法研究室を出て、長い廊下を進んでいく。遠くからは、食堂の方へ向かう使用人たちの足音や、食器が触れ合うかすかな音が聞こえてくる。
「そういえば、アストリア王国ってどんな国だったんですか?」
リアが歩きながら尋ねると、ノアが振り返った。
「……そうですね」
ノアは少しだけ言葉を選ぶように考えた。
「アストリア王国は、魔法技術がとても発達した国だったと聞いています。特に、魔法陣や魔道具の研究では、他国よりも進んでいたとか」
「魔法陣……」
リアは先ほど自分が描いた紙を思い出した。
「じゃあ、私が描いた魔法陣も、その国のものなんですね」
「おそらくは」
ノアは頷いた。
「ただ、アストリア王国の魔法陣は特殊なものが多かったそうです。すべてが公開されていたわけではないので、今では詳しい術式を知る人も少ないと思います」
「そうなんですね……」
リアは考え込む。
「リア殿?」
「え?」
「どうかしましたか?」
「いえ……なんでもないです」
リアは首を振った。
「ただ、思い出しながらなのにあの魔法陣をスラスラ描けたのが、不思議で」
「確かに……。それは、これから少しずつ調べていきましょう」
ノアは、いつものように穏やかに笑った。
「そうですね!」
リアも笑顔になる。
そんな二人の少し前を歩いていたルシアスが、ふと足を止めた。
「……話しながら歩いていると、食事が冷めるぞ」
「あ、殿下。待ってくださいよ」
ノアが苦笑しながら、リアとともにルシアスの後を追った。
やがて三人は食堂へと到着した。
扉が開いた瞬間、ふわりと温かな料理の香りが鼻先をくすぐる。
色とりどりの野菜、こんがり焼かれた肉料理、湯気を立てるスープ、艶やかな果物の盛り合わせ。見ているだけで、胸が弾むような光景だった。
「わあ……!」
リアの目が輝いた。
「すごい……!」
「朝食もかなり食べていた気がしますが……」
ノアが、少し呆れたように呟いた。
「……食いしん坊みたいな言い方しないでください!」
リアは頬を膨らませる。
「私はただ、美味しいご飯が好きなんです!」
「なるほど」
ノアは、くすっと笑った。
「つまり、食べることが好きなんですね」
「……そうとも言いますけど」
リアは少しだけ考える。
「でも、美味しいものを食べるのって幸せじゃないですか?」
「それは確かに」
ノアは頷いた。
「では、王都に行ったら美味しい店を探してみましょうか」
「本当ですか!?」
リアの目が輝く。
「ええ。王都には美味しいものがたくさんありますよ」
「絶対ですよ!」
「約束しましょう」
「やった!」
嬉しそうに笑うリアを見て、ノアも自然と笑みを浮かべた。
「……リア殿は、本当に分かりやすいですね」
「何がですか?」
「美味しいものの話をすると、すぐに顔に出ます」
「だって楽しみなんですもん!」
向かいに座ったルシアスは、そんな二人を黙って見ていた。
「楽しそうですねぇ」
そこへ、少し遅れて席に着いたオスカーが、穏やかな声で言った。
「オスカーさん!」
リアがぱっと顔を上げる。
「すみません、勝手に盛り上がってしまって……」
「いやいや。食卓が静まり返ってるより、ずっといいってもんさ」
オスカーは柔らかく笑いながら、椅子に腰を下ろした。
「そういえば、アストリア王国の件だけど、あの国は魔法研究で名を馳せた国だったんだよ。けれど、今ではその記録もほとんど残っちゃいない。王宮の書庫にも、断片的な資料が残っているくらいだろうねぇ」
「書庫に行けば、何か分かるかもしれないんですね」
リアが身を乗り出すようにして尋ねる。
「滅びる前の記録が残っていれば、だけどね」
オスカーは少しだけ表情を和らげた。
「まあ、十一年前に滅びた国だからねぇ。残っている資料にも限りがある。古い文献なんてのは、国が滅びた混乱の中で失われたものも多いだろうからねぇ」
「それでも、調べてみたいです」
リアは、はっきりと答えた。
「私がどうしてこの世界に来たのか。どうしてあの魔法陣を描けたのか。帰る方法を見つけるためにも、知りたいです」
「その意気、その意気」
オスカーは満足そうに頷いた。
「まずは王宮の書庫で、アストリア王国に関する資料を探してみようじゃないか。必要なら、手を貸すよ」
「ありがとうございます!」
リアは嬉しそうに頭を下げた。
その様子を見ていたルシアスが、静かに口を開いた。
「食事が終わったら、書庫へ行く」
「はい!」
リアは元気よく返事をした。
「……殿下」
ノアが、ふとルシアスを見る。
「何だ」
「午後の予定は?」
「……」
ルシアスが、わずかに眉を寄せた。
「父上への報告がある」
「ですよね」
ノアが苦笑する。
「さすがに第一王子殿下が、ずっとリア殿に付き添っているわけにもいきませんからね」
「……分かっている」
ルシアスは短く答えた。
リアは、二人の会話を聞きながら首を傾げた。
「ルシアスさん、お仕事があるんですか?」
「ああ」
「そうなんですね」
リアは少しだけ残念そうに呟いた。
「じゃあ、午後はノアさんとオスカーさんと一緒に書庫へ行きます」
「……」
ルシアスの視線が、リアへ向く。
「何か?」
「いや」
ルシアスは、視線を料理へ戻した。
「……何でもない」
昼食を終えると、リアはノアとオスカーの二人とともに、書庫へ向かうことになった。
「ルシアスさん、お仕事頑張ってください」
リアはそう言って、ルシアスに向かって手を振る。
「ああ」
ルシアスは短く返事をした。
リアはそのまま、ノアとオスカーの後を追って歩き出す。
しばらく歩いたところで、リアはふと振り返った。
ルシアスは、まだその場に立っていた。
リアと目が合う。
「……?」
リアが首を傾げると、ルシアスはわずかに視線を逸らした。
そして、何事もなかったかのように踵を返す。
「リア殿、どうかしましたか?」
少し先を歩いていたノアが振り返る。
「あ、いえ!」
リアは慌ててノアたちのもとへ駆け寄った。
なぜルシアスがまだそこに立っていたのか――リアには分からなかった。




