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「人形のような妻だ」と離縁されたら、公爵家の縁談が全部壊れました  作者: 風音シエル


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第6話 彫り直してほしい、と言われまして

 その人は、布に包んだものを胸に抱えて入ってきた。


 三十過ぎの女性で、身なりは整っているが装飾がない。侍女ではなく、家の者だ。名乗った家名を聞いて、わたしは一度だけ手を止めた。


「ゼルテン伯爵家の、フレデリカと申します」


 ゼルテン家は、ヴィオラの婚約先だ。


「うかがっております」


「ご存じでしたか」


「王都の縁組は、だいたい耳に入りますので」


 嘘ではない。ただ、耳に入ったのは王都からではなく、三年半のあいだ屋敷の奥からだった。


 フレデリカさまは椅子に座って、布の包みを膝に置いた。ほどく手つきが丁寧すぎる。ほどきたくないものをほどく人の手つきだった。


 出てきたのは、見合い人形だった。


 手のひらに乗る大きさ。若い女の立ち姿。髪を結い上げて、少し顎を引いている。


 わたしはそれを見た。


 ——三年半前の冬に、屋敷の奥の作業部屋で彫ったものだった。


    ◇


「これを、彫り直していただきたいのです」


「どちらを」


「顔を、です」


 フレデリカさまは人形をこちらへ差し出さない。膝の上に置いたままだ。


「弟の縁談です。この人形をお受け取りして、弟は承知いたしました。人形を見て、まじめそうな方だと申しまして」


「はい」


「先月、初めてお会いしました」


 彼女はそこで一度言葉を切った。


「……人形と、ずいぶん違っておいででした」


 わたしは黙っていた。


「弟は、そういうことを気にしない子です。ですから、わたくしが勝手にまいりました。この人形は、あの方に似ていないのではないかと思いまして」


「似ていない、とおっしゃいますと」


「あの方は、もっと華やかでいらっしゃるのです」


 フレデリカさまは、ようやく人形をこちらへ寄越した。


「これは、地味すぎます。まるで、わざと控えめに彫ったような。——ですから、もう少し本当のあの方に近づけていただきたいのです」


    ◇


 わたしは人形を受け取って、窓のほうへ向けた。


 手が覚えていた。重さも、指をかける位置も、腰のあたりの角の落とし方も。三年半のあいだに彫ったものは全部この持ち方になるので、持った瞬間に自分の仕事だと分かる。分かってしまうと、次にどこを見ればいいかも順番に浮かんでくる。


 浅い頬骨。それを支えきれない細い顎。目は大きくないが、瞼の縁が厚いので、正面から見ると強く見える。口角は左のほうが上がる。上がるというより、上げる癖がついている。


 彫ったときのことも思い出した。あの冬、屋敷の作業部屋は北向きで、午後の二刻だけ壁の高いところに光が入った。わたしはその二刻に目を彫ることにしていた。斜めの光でしか、影の深さは確かめられない。


 どこも直すところがない。


 この顔は、三年半前のヴィオラ・メルツそのままだ。


 あれから彼女は化粧を覚え、髪の結い方を変え、笑い方を練習した。だからいま会えば、たしかに人形より華やかに見えるだろう。


 だが骨は変わらない。三年で少し落ちただけだ。


「彫り直しません」


「……なぜでございましょう」


「これは、直す必要がありませんので」


「ですが、似ておりませんのよ」


「似ております」


 わたしは人形を台に置いた。


「似ていないとお感じになるのは、この人形が化粧をしていないからです。お会いになったご本人は、なさっておいででしたでしょう」


 フレデリカさまが息を止めた。


「そういうことは、人形には彫りません。化粧は落ちますので」


 彼女はしばらく人形を見ていた。それから、小さな声で言った。


「……では、弟が承知したのは」


「化粧をなさらないときの、あの方です」


「……」


「それがご不満でしたら、彫り直すのはこちらではなく、先方の人形かと存じます」


 言ってしまってから、少し言いすぎたと思った。


 だがフレデリカさまは怒らなかった。逆に、肩の力が抜けたような顔をした。


「あなた、はっきりおっしゃるのね」


「申し訳ございません」


「いえ」彼女は首を振った。「メルツのお屋敷では、こうはうかがえませんでしたから」


    ◇


「行かれたのですか」


「ええ。先にあちらへ。この人形を彫った方に直していただくのが筋ですもの」


 フレデリカさまは手袋を直しながら言った。


「そうしましたら、抱えの職人はもうおりません、と」


 わたしは自分の指先を見た。


「代替わりなさったそうです。いまはお嬢さまご自身が彫っていらっしゃると。——ご自分の人形を、ご自分で彫り直すわけにもまいりませんでしょう」


「……さようでございますか」


「ええ。ですから、灰通りに腕のいい人形師が戻ったと聞いて、こちらへまいりました」


 わたしは、この人がここへ来るまでにいくつの段を踏んだかを考えた。


 弟が見合いをして、思っていた人と違うと感じた。弟自身は気にしないと言った。それでも姉は気になって、まずメルツ公爵家へ行った。門前で断られた。それから、王都のどこかで灰通りの噂を聞いて、包みを抱えてここまで来た。


 その全部を、弟には黙ってやっている。


 人形は嘘をつくが、嘘をついた人形をどうにかしようとする人のほうが、たいてい先に疲れる。


 彼女は帽子を取って、頭を下げた。


「無理を申しました。この人形は、このまま持ち帰ります」


「はい」


「弟には、化粧の話はいたしません」


「そのほうがよろしいかと」


 フレデリカさまは笑って、人形を包み直しはじめた。


    ◇


 包みの布を広げるとき、人形が一度、台の上で横倒しになった。


 わたしは手を出して起こした。


 そのとき、指の腹が裾の裏側に触れた。


 ——窪みがあった。


 木目の流れに紛れる位置に、ごく小さく。深さは爪の先ほどもない。見ようとしなければ見えない。


 わたしは指を離さなかった。


 三年半のあいだ、公爵家で彫った人形の全部に、これを入れた。誰も見ない場所に、誰にも読めない印を。母がわたしに教えた最初のことだからというだけで、意味があってやっていたわけではない。


 道具を持ち込むことは許されなかったので、指で押した。爪ではなく、腹で。木がまだ湿っているうちに、力を入れずに、三度。真鍮を当てて叩いたものより浅くなるが、形は同じになる。乾けば、そこだけ木目が寄って、光の角度でしか見えなくなる。


 誰にも見つからなかった。誰も裾の裏を見ないからだ。見合い人形を受け取った家がまず見るのは顔で、次が髪型で、最後が衣装の柄になる。裾の裏側まで返す人は、この国にたぶんいない。


 この人形は、いまゼルテン伯爵家にある。


 あの十二体は、あの日の午後に別の家へ渡った。


 その前の三年半ぶんは、王都のあちこちの家の棚の上にある。


 全部に、これが入っている。


「どうかなさいまして?」


 フレデリカさまが顔を上げた。


「いえ」


 わたしは手を離した。


「木目が立っておりましたので、押さえました。運ぶときは、布を二重になさってください」


「まあ、ご親切に」


 彼女は包みを抱えて、出ていった。


    ◇


 扉が閉まってから、ニナが奥から出てきた。


「あの人、何しに来たんですか」


「彫り直しの依頼です」


「受けたんですか」


「お断りしました」


「またですか」ニナが両手を上げた。「金貨二枚ですよ、うち」


「はい」


「……で、なんでさっき、人形の裾さわってたんですか」


 わたしは道具を片づける手を止めなかった。


「木目です」


「ふうん」


 ニナは疑わしそうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。


 わたしは何も言わなかった。


 言う相手がいなかったからではない。言うべき時が、まだ来ていないと思ったからだ。

【今日の彫りおぼえ】化粧は彫らない。落ちるものは、木に写さない。


お読みいただきありがとうございます。


見合い人形が化粧をしていないのは、この国では当たり前のことになっています。当たり前になっていることは、たいてい誰も確かめないので、いちばん静かに嘘をつける場所でもあります。


次話——公爵家から、手紙が一通届きます。戻れ、ではありません。

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