第44話 二度、彫っておられます
アーベルさまが来られたのは、三日後の昼だった。
昼に来られるのは珍しい。この方は院の勤めが終わってから寄られるので、いつも夕方になる。
書類の束が、いつもより厚かった。
「木の仕入れの帳面を、突き合わせております」
「木の、でございますか」
「届け出には、使った木の出どころを書く欄がございます。卸の名と、買った日でございます」
アーベルさまは、湯呑みを見て、手を伸ばされなかった。四度目だ。
「三十年ぶんを卸のほうの帳面と突き合わせておりますと、数の合わない工房が出てまいります」
◇
「合わない、とおっしゃいますと」
「買った木が、届け出より多いのです」
わたしは、湯を注ぎ足した。
「木は余ります。試し彫りにも使いますし、失敗もいたします。ですから、多いこと自体はどこの工房にもございます」
「はい」
「ただ、堤通りは、一つの縁組につき二本ずつ買っておられます。十五年ぶん、ほぼ全件で」
紙をめくる音がした。
「二本のうち一本は、届け出の欄に出てまいりません」
欅は、安い木ではない。うちが去年買った一枚が金貨一枚だった。人形一体ぶんの木を二本買えば、材の費えは倍になる。倍にしても割に合うのは、それで通る率が上がるからだ。
通る率が上がれば、注文が来る。注文が来れば人を雇える。人を雇えば数が出る。数が出れば御用達になる。
十五年で、そこまで行った。
順序としては、どこにも無理がない。無理がないので、十五年、誰も止めなかった。
◇
わたしは、何も申し上げなかった。
申し上げるとすれば、あの人がこの土間で言ったことの意味と、研ぎ屋の主人が雨の日に言ったことの意味を並べればいい。並べれば、そこにあるものは一つになる。
ただ、それは並べる人が決めることだ。
わたしは彫り手で、検分方ではない。
「ヴェルクマイスターどの」
「はい」
「何かお考えのことがおありでしたら、伺いたいのですが」
「木のことでしたら、一つだけ」
「伺います」
「叩けば、分かります」
◇
院へ行ったのは、翌日だった。
控えの間の長机に、白い布が敷いてある。その上に、キール工房の一体が置かれていた。検分は通っているが、まだ札は付いていない。札は贈る日の朝に付く。
立会は四人だった。アーベルさまと、検分方の長と、書記が一人。それから、院長のヴァイスさま。
「叩くのか」
ヴァイスさまが聞かれた。
「はい」
「割るなよ」
「割れません。指の背で叩きます」
◇
三か所と決まっている。
額の上。頬の裏。裾の内側。
同じ強さで、同じ間隔で叩く。強さを変えると比べられない。間隔を変えると、耳のほうが前の音を覚えていられない。
一度目。
二度目。
三度目。
わたしは、もう一度、同じ順で叩いた。二度やるのは、聞き違いを避けるためだ。
人形の中は空ではない。木の塊だ。塊なので、叩けば場所ごとに違う返り方をする。頭は厚いので低く、頬は薄いので高く、裾は肉の残し方で変わる。三つの音は揃わないのが普通で、その揃わない揃い方が一体ごとの癖になる。
癖は数では覚えられない。耳が覚える。
裾の音だけが、高かった。
「高うございます」
「どういうことだ」
「一本の木から二体お取りになった場合、外を取ったほうと、内を取ったほうができます。外は締まっておりますので、叩くと高く返ります」
わたしは、指を離した。
「これは、外を取ったほうでございます」
◇
書記の筆が止まっていた。
検分方の長が、身を乗り出された。
「では、内を取ったほうは」
「どちらにあるかは、存じません」
わたしは、それだけ申し上げた。
薪にされたか、乾かし場に立ててあるか、荒どりのまま置いてあるか。そのどれかだろうと思ったが、思ったことは申し上げなかった。
思ったことを申し上げると、それは告発になる。
告発をすると、そこから先は言葉の勝ち負けになる。言葉の勝ち負けは、上手いほうが勝つ。上手いほうが正しいとは限らない。
ふた月ほど前に学んだのは、そのことだった。二十七体を長机に並べたとき、わたしは一言も言わなかった。言わずに並べて、読み上げたのは院の側だった。
人形は、そこに在るだけで一つのことを言う。言い方を選べないので、嘘をつけない。
叩いた音も、同じだ。高いか低いかしかない。
◇
ヴァイスさまが、人形を裏返された。
裾の内側を、灯りへ近づけて見ておられる。しばらく見て、こちらへ向けられた。
「印が無い」
「ございません」
「あんたのところは、入れるな」
「入れております」
わたしは、裾の裏の窪みの話を、そこで一度だけ申し上げた。
誰も見ないところに入れる。見ないから入れる。入れておくと、あとで誰が彫ったかが分かる。
「印の無い人形は、二体あっても、どちらが届け出のものか分かりません」
灯りの芯が鳴る音が、長机のこちら側まで届いた。
◇
キールさまが呼ばれたのは、その日の夕方だった。
わたしは帰るところだったが、廊下で行き合った。避けなかった。あの人も避けなかった。
控えの間の戸は、開いていた。
ヴァイスさまが、木の仕入れの帳面を読み上げておられた。二本ずつ、十五年ぶん。読み上げの途中で、キールさまが遮られた。
「盛っておりません」
その声は、大きくなかった。
「一分も、半分も、盛っておりません。十五年、一度も」
「ではこれは何だ」
「選んだだけです」
◇
アーベルさまが、検分の記録に書かれた一行を、わたしはあとで見せていただいた。
——同一縁組につき、木の仕入れ二本。届け出、一体。彫り手の印、なし。
それだけだった。
悪いとは書いていない。嘘だとも書いていない。あったことだけが、三つ並べてある。
三つ並べば、読んだ人が自分で結ぶ。
結んだ結果は、五日後に王都へ回った。キール工房は、王室御用達の看板を下ろすことになった。下ろしたのは院ではない。式部の側が、先に手を引いた。
王女殿下の一体には、札が付かなかった。
札が付かないというのは、贈れないということだ。贈れなければ、縁組は止まる。止まっているあいだに、別の工房が彫り直すことになる。
彫れる工房は、王家の名簿に四つ載っている。堤通りが外れて、三つになった。
残った三つは、どこも西の側の工房だ。灰通りは、その中に入っていない。
◇
その五日後の夕方、キールさまが灰通りへ来られた。
手ぶらだった。真ん中を歩いてこられた。
看板の下で足を止めて、上から下へ一度、下から上へもう一度、文字を見上げられた。初めて来られた日と同じ順序だった。
「あんたは、叩いただけだな」
「はい」
「言わなかった」
「言うことが、ございませんでしたので」
キールさまは、看板から目を離された。
◇
「一つ聞く」
「はい」
「あの叩き方は、うちで覚えたのか」
わたしは、答えるまでに少し間を置いた。
置いたのは、選んでいたからではない。答えは、はい、でもいいえ、でもなかった。
「半分でございます」
「半分か」
「残りの半分は、母から」
キールさまは、少しだけ顎を引かれた。
通りの向こうで、ハウザーさんが戸を半分閉めた。いつもの時刻だった。
「お前は、うちで三年半、何を見ていた」
【今日の彫りおぼえ】印は、誰も見ないところに入れます。見ないから入れるのでございます。入れない工房は、入れない理由のほうを、いつか説明することになります。
お読みいただきありがとうございます。
一行だけ書く、というやり方がございます。悪いとも嘘とも書かず、あったことを三つ並べて置く。並べれば、読んだ人が自分で結びます。結ぶのはこちらの仕事ではありません。
★とブックマークは、外を取ったほうにも内を取ったほうにも押せます。押していただけると、こちらからも分かります。
次話——王女殿下が皿をもう一枚割ります。うちの皿は、あと四枚でございます。




