第43話 鏡の前の稽古
夜に人の話を聞くときは、灯りを二つにする。
一つだと、影が片側にだけ出る。影の出た側の顔は読めない。二つ点けて、斜めから当てると、話している人の顔が両側とも見える。母がそうしていた。客が夜に来ることは少ないが、来る客はたいてい長い話を持ってくる。
わたしは灯りをもう一つ点けて、腰かけを二つ、向かい合わせに置いた。
ニナが、湯を持ってきた。
持ってきて、帰らなかった。階段の三段目に座って、こちらを見ている。
アマーリエさまは、それを止められなかった。
◇
「七つのときのことを、覚えておいでですか」
「覚えております」
「どのように彫られましたか」
「三日、座りました」
アマーリエさまは、湯呑みを膝に置かれた。飲まない。この方は、いつも最後まで飲まない。
「彫り手の方が、こちらを見て、木を見て、また見て。それを三日でございます」
「お話は、なさいましたか」
「一度もございません」
◇
人形を彫るときに口を利かない彫り手は、いる。
わたしは利くほうだ。母も利いた。利くのは、その人の顔が話しているあいだに動くからで、動いたところにその人が出る。黙って座った顔は、たいてい固まる。
固まった顔から彫れるのは、骨だけになる。
骨だけで人形を仕上げると、きれいなものができる。
三日黙って座らせて、きれいなものを作る。それは、やり方としては筋が通っている。通っているが、そのやり方をする人は、あらかじめ「どんな顔にするか」を決めている。
決めていなければ、黙って座られては困るからだ。
うちでは、彫っているあいだに客へ三つのことを聞く。子どものころに好きだった食べ物。いちばん長く一緒にいた人。最近腹の立ったこと。順序は変えない。三つ目まで来ると、たいていの人は顔が動く。
動いた顔を彫るわけではない。動いた顔を見てから、動いていないときの顔へ戻る。戻ったときに、どこが元の位置なのかが分かる。人の顔は、動かしてみないと真ん中が分からない。
母は、それを「一度散らかしてから片づける」と言っていた。
◇
「縁組は、流れました」
「伺いました」
「戻ってきた人形は、広間に置かれました。母が亡くなって三年目のことでございます」
アマーリエさまは、そこで少し止まられた。
「置いたのは、父ではございません」
「では」
「いまの母でございます」
わたしは、聞き返さなかった。
継母、という言い方をこの方はされない。いまの母、と言われる。その言い方を選ぶまでに、たぶん何年かかかっている。
「置いてから、宮の者が申すようになりました。よく似ておいでですね、と」
「どなたに、でございますか」
「人形にでございます」
◇
わたしは、そこで指を止めた。
順序が、また逆だった。
「似ておいでですね、と申されるとき、その方々は人形を見ておられます。それから、わたくしを見られます」
「はい」
「似ていないと申される方は、おられません。おられませんが、似ていないと思っておられる日は、分かります」
「分かりますか」
「目が、二度往復いたします」
◇
その夜のことを、わたしは何度も思い出すことになる。
このとき、アマーリエさまは何も辛そうに話しておられなかった。声も落ちなかった。顔の筋も動かなかった。段取りの話をする人の口調だった。
「往復されると、次の日から直します」
「直す、とおっしゃいますと」
「鏡の前で」
◇
宮の鏡は、磨いた金属だと伺った。
うちにあるのは井戸端の一枚だけで、あれは水面より少しましという程度のものだ。磨いた金属の鏡は、輪郭がはっきり出るかわりに、色が沈む。沈んだ色で自分の顔を見続けると、たぶん、影の出方のほうを覚える。
「口の端は、右を先に上げます。左を同じだけ上げると、笑ったように見えすぎます」
「はい」
「目を伏せるときは、顎を引きません。引くと、下から見上げる形になりますので」
「はい」
「首は、右へ二度ぶん。三度ぶん傾けると、崩れて見えます」
アマーリエさまは、そこまで言って、湯呑みを持ち直された。
「日に、四度でございます。朝と、昼の前と、夕方と、寝る前に」
「十年でございますか」
「十年でございます」
◇
わたしは、その話を聞きながら、彫るということを考えていた。
顔を作るというのは、彫るのに似ている。目の位置を決め、口の端の高さを決め、首の角度を決める。決めたところへ、毎日戻す。戻し続ければ、そこが定位置になる。
木も同じだ。曲げた形で押さえ続けると、そのまま留まる。留まったものを戻そうとすると、折れる。
この方は十年、自分を押さえてこられた。押さえた形のほうが、いまでは楽なのだと思う。
そして、押さえた形を彫れば、押さえた形の人形ができる。似る。似るに決まっている。
わたしが二体とも外したのは、押さえられる前の骨のほうを測ったからだ。骨は嘘をつかない。つかないが、この方の骨と、この方の顔は、十年ぶんずれている。
◇
階段の三段目で、木が鳴った。
ニナが立ち上がった音だった。
「知ってました」
アマーリエさまが、そちらを向かれた。
「最初の日から、知ってました」
ニナは、階段を降りてこなかった。三段目に立ったまま、こう言った。
「その顔、作ってますよ」
◇
わたしは、ニナのほうを見た。
この子は、人の顔が彫れない。彫れないのに、顔のことになると誰より早い。早いのは、たぶん、見る側にいた時間が長いからだ。
十二のときに、自分の顔を盛って彫られている。その人形で買い手がついた。買い手は最後まで本人の顔を見なかった。
作られた顔がどう見えるかを、この子は内側から知っている。
「怒っているのですか」
アマーリエさまが聞かれた。
「怒ってません」
「怒っておいでのように見えます」
「怒ってないです」
ニナは、階段を一段だけ降りた。
「四度もやってたら、疲れるでしょって思っただけです」
アマーリエさまは、何も言われなかった。
言われないまま、湯呑みを両手で持ち直された。指の位置が、少しずれた。
◇
翌日の昼、ミレナさまが荷を持って寄ってくださった。
「堤通りのお話、聞かれまして」
「二件目のことでしょうか」
「三件目ですわ」
ミレナさまは、荷を下ろしながら言われた。
「それと、職人さんが二人お辞めになったとか。うちの店へ、木の卸の方が話していかれましたの」
わたしは、その話を頭の隅へ置いた。
「灰通りのほうも、止まっておられるでしょう」
「二件、延期をいただきました」
「王都じゅうが止まっておりますのよ。院が三十年ぶんを調べておりますから、どの家も様子を見ておりますわ」
ミレナさまは、右の口角を上げてから言われた。
「止まっているうちは、どちらも減りませんの。商いはそういうものですわ」
◇
その日の夕方、わたしはアマーリエさまに、一つだけ伺った。
台の下には、包みが二つ置いてある。どちらも誰でもない顔だ。
「アマーリエさま」
「はい」
「作っていらっしゃらないお顔を、これまでにご覧になった方は、どなたかおられますか」
アマーリエさまは、少し考えられた。
考えるところを、初めて見た。
「……一人も、おりません」
【今日の彫りおぼえ】黙って座った顔からは、骨しか彫れません。骨だけで仕上げると、きれいなものができます。きれいなものを作りたい彫り手は、だから客を黙らせます。
お読みいただきありがとうございます。
日に四度、十年。数にすると一万四千六百度でございます。それだけ繰り返したものを「作った顔」と呼んでよいのかどうか、この工房はまだ決めかねております。
次話——先の検分で並んだ一体の、外を取ったほうと内を取ったほうの話でございます。




