第42話 名簿から外す、と言われまして
書付は、検分の四日後に来た。
院の書状は、封蝋が薄い。押した縁が立っていない。手に取った時点で、これは筋を通ってきたものだと分かる。
中身は一枚だった。
届け出のない縁組の人形を彫った件について、彫り手名簿の記載を審査する。ついては、七日以内に院へ出頭すること。
文はそれだけで、あとは日付と、院の判が押してあった。
ニナが横から覗いて、途中で読むのをやめた。
「これ、まずいやつですか」
「まずいほうです」
◇
彫り手名簿というのは、腕を保証する帳面ではない。
誰が、どの家の、どの縁組の人形を彫ったかを控えるための帳面だ。人形は縁組の証しなので、あとで争いになったときに「誰が彫ったか」が要る。だから、彫る前に届け出を出す。出した順に番号がつく。
番号のない仕事をすると、番号がないこと自体が咎になる。
わたしが彫った二体には、番号がない。届け出を出せなかったからだ。出すには贈り先の家名が要る。あの七行の紙には、家名が書いていなかった。
名簿から外れると、どうなるか。
彫れなくなるわけではない。木を削るのは誰でもできる。外れるのは、届け出を出す資格のほうだ。届け出のない人形は検分に出せない。検分に出せない人形は、贈れない。
つまり、見合い人形ではなくなる。
置き物としてなら売れる。母が死んだあとの七年、灰通りの工房が空き家になっていたのは、そこに人がいなかったからではない。届け出のできない家に、誰も注文を出さなかったからだ。
筋を通っていない依頼は、あとから筋のほうが追いかけてくる。
そう言われたのは、五十日ほど前だった。
◇
院へは、三日目に行った。
七日待つ理由がない。待てば待つだけ、待ったことが気に障る。それも母の帳面から覚えたことだ。呼ばれたら早く行く。早く行って、短く済ませる。
通されたのは控えの間ではなく、院長の部屋だった。
机が一つと、椅子が二つ。棚には帳面が並んでいる。背に年が書いてあって、いちばん古いのが四十年ほど前のものだった。
ヴァイスさまは、机の向こうに座っておられた。
書記はいない。二人だけだった。
◇
「早いな」
「はい」
「座れ」
わたしは座った。
ヴァイスさまは、机の上の帳面を開いて、こちらへ回された。
彫り手名簿の写しだった。左の欄に名前。中の欄に工房。右の欄に、二つ。入った日と、抜けた日だ。抜けた日の下に、もう一つ細い欄がある。
理由の欄だ。
「読め」
◇
わたしの名前は、上から四行目にあった。
入った日は、三月ほど前。工房は、灰通りヴェルクマイスター。抜けた日は空白。理由の欄も空白。
その二つ上に、母の名前があった。
抜けた日は、七年前の春。
理由の欄には、六文字だけ書いてある。
——申し出により
この六文字は、自分から名簿を降りた者に使う。年をとって彫れなくなった者。国を出た者。家を畳んだ者。理由の欄には他にも書き方があって、病で死んだのなら「病没」、院の側が外したのなら「院の裁定による」と入る。
「申し出により」は、いちばん角の立たない書き方だ。
角が立たないというのは、あとから誰も掘り返さないということでもある。
母は七年前の冬に死んだ。欄の日付は、その年の春だ。春に降りて、冬に死んだことになっている。
降りたのではない。工房を潰されたのだと、わたしはふた月ほど前に知った。
「読んだか」
「読みました」
「同じ書式だ」
ヴァイスさまは、帳面を戻された。
「あんたの欄を埋めるとしたら、そこへ同じ六文字が入る」
◇
わたしは、しばらく黙っていた。
黙っていたのは、言うことを探していたからではない。声の出し方を選んでいた。
母のことになると、わたしの声は低くなる。低くなると、相手はこちらが怒っていると思う。思われると、話が進まなくなる。
「母は、申し出ておりません」
選んだつもりだったが、やはり低くなった。
「そう書いてある」
「書いてあるだけでございます」
「帳面に書いてあることは、書いてあることだ」
ヴァイスさまは、指で机を一度だけ叩かれた。
「わしは、書いてあることで仕事をしとる」
◇
「審査は、どのように行われますか」
「三人で読む。わしと、検分方の長と、式部の一人だ」
「わたくしは」
「呼ばれん。呼ぶと言い分が入る。言い分を入れると、書いてあることが動く」
わたしは、その理屈の形を覚えた。
書いてあることで仕事をする。言い分を入れれば書いてあることが動く。だから当人を呼ばない。その二つは、繋がっているようで繋がっていない。
繋がっていないところに、六文字が入る。
「一つだけ、伺ってもよろしいですか」
「言え」
「七年前、母の欄を書かれたのは、どなたでいらっしゃいますか」
ヴァイスさまは、帳面を閉じられた。
閉じてから、少しのあいだ、こちらを見ておられた。
「話は終わりだ」
◇
帰りの坂を、ゆっくり下りた。
急いで下りると、膝に来る。灰通りまで半刻。噴水のところで一度立ち止まった。人形を抱えていないので、持ち替える必要はなかった。
手ぶらで坂を下りるのは、久しぶりだった。
考えていたのは、六文字のことではなかった。
最後の問いに、あの人は答えなかった。答えないという答え方をした。話は終わりだ、と言って帳面を閉じた。閉じるまでに、こちらを見ておられた時間が長かった。
七年前、母の欄を書いた人は、いまも院にいる。
いるとして、その人がなぜ「申し出により」を選んだのかは、二通りある。命じられて書いたか、自分で選んで書いたか。前者なら、書いた人は駒だ。後者なら、書いた人は当事者になる。
どちらであっても、わたしの欄には同じ六文字が入る。
◇
工房に戻ると、ニナが受付簿を開いて待っていた。
「七件のうち、二件が延期です」
「どちらの」
「北の門のほうの二軒です。理由は言いませんでした」
ニナは、鉛を置いた。
「あと、聞きました。堤通り、二件目です」
「二件目」
「破談です。今度は、贈る前に止まったって」
うちの延期と、向こうの破談は、たぶん同じ場所から来ている。院の突き合わせが進めば、王都の家は様子を見る。様子を見るあいだ、縁談は止まる。
止まっているあいだ、彫り手は食えない。
◇
その夜、雨は降っていなかった。
降っていないのに、戸を叩く音が濡れているような音がした。指の腹ではなく、掌で叩いている。
開けると、アマーリエさまが立っておられた。
頭巾ではなく、外套の襟を立てておられた。髪は結ったままで、片方が崩れている。靴は宮のものだ。石畳を半刻歩けば、あれは傷む。
「入っても、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
◇
アマーリエさまは、土間へ入って、棚の下を見られた。
包みが二つ、並べて置いてある。
しばらく見てから、こちらへ向き直られた。
「あの日、申し上げられなかったことがございます」
「はい」
「あちらの一体は、似ておりました」
「はい」
「ただ、似ておりましたのは、わたくしにではございません」
アマーリエさまは、外套の襟を下ろされた。
「わたくしの顔は、あの人形の顔でございます」
【今日の彫りおぼえ】帳面に書いてあることは、書いてあることでございます。書かれなかったことは、どこにも残りません。残らないので、あとから誰も直せません。
お読みいただきありがとうございます。
六文字の欄がございます。母の欄に入っている六文字と、同じものが入るそうです。同じ書式で二代続けて消えるというのは、たぶん、書いた側から見れば手続きでございます。
次話——十年ぶんの稽古の話を伺います。聞き手は、十四の見習いのほうが先に気づきます。




