第41話 検分の日
三十四日のあいだに、わたしは二体目を彫った。
一体目は布をかけたまま、棚の下に置いた。二体目は骨から始めた。こめかみの落ちと、頬骨の張りと、顎の角。そこまでを出して、三日置いた。置いたのは、線を引かずに慣れるためだ。
四日目に、目の位置を決めた。決めてから、また一日置いた。
鼻を入れるのに二日かけた。口は半日で終わった。
仕上げに、いちばん時間を使った。目尻の皮の厚みと、上唇の上の長さと、耳の付け根の高さ。測った数字のとおりに削って、削ったあとで指の腹を当てた。
引っかかるところは、やはり無かった。
◇
それでも、一体目よりは良かった。
どこがどう良いのかは、うまく言えない。並べるとこちらのほうが、二度目に見たときに残る。ミレナさまに見ていただいたら、「今度は明後日まで覚えていられますわ」と言われた。
明後日までだった。
三度目までは、届いていない。
◇
検分の日は、晴れていた。
人形を運ぶには、晴れの日のほうが難しい。雨は湿気だけだが、晴れは日が当たる。日の当たった面と当たらない面で乾き方が違うので、白い布で二重に包んで、抱えて運ぶ。荷車は使わない。揺れると、彫り上がりの角のところが荷台に当たる。
灰通りから典礼院までは、歩いて半刻ある。川を一度渡って、市の立つ広場を抜けて、坂を上がる。荷を抱えて坂を上がると腕が疲れるので、途中で二度持ち替える。持ち替える場所も決まっていて、噴水のところと、門の手前だ。
ニナは、門のところまで来て帰った。
「中には入れないので」
「はい」
「勝ってください」
「勝ち負けの話では、ないと思います」
「じゃあ、負けないでください」
◇
典礼院の控えの間は、天井が高くて窓が北向きだ。北向きの窓は光が動かないので、一日中同じ影が出る。人形を見るための部屋というのは、そう作ってある。
長机が一つ。その上に、白い布が敷いてある。
立会は十二人だった。検分方が三人、記録の書記が二人、院長。残りは式部の側の人だ。
わたしは、包みを抱えて端に立っていた。
キールさまは、先に来ておられた。職人を二人連れている。二人とも荷を持っていて、キールさま自身は手ぶらだった。
◇
二体が、布の上に並べられた。
左がキール工房のもの。右がうちのもの。
わたしは、左のほうを見た。
良い仕事だった。三十四日でこれが上がるのなら、七人いる意味がある。目尻の皮は薄く、鼻梁は途中でわずかに折れて、上唇の上の長さも正しい。
正しい、と思ってから、わたしは自分の指の先が冷たくなっていることに気づいた。
似ていた。
うちのものより、はっきり似ていた。
◇
アマーリエさまが、部屋へ入ってこられた。
頭巾はかぶっておられない。宮の装束で、髪も結ってある。灰通りで皿を割っていた方と同じ方だとは、たぶん、ここにいる誰も思わない。
長机の向こうの椅子に座られた。
座って、二体のほうを見られた。
検分方の一人が、書付を読み上げた。
「木、両方とも欅。乾き、双方十分。無理な木取り、無し」
もう一人が続けた。
「届け出、双方あり。彫り手の欄、双方記載あり」
三人目が、少し間を置いた。
「似ておられるか」
◇
三人が、順に長机の端まで歩いた。
歩いて、左を見て、右を見て、それからアマーリエさまを見た。同じ順序で、三人ともそうした。
一人目が戻ってきて、言った。
「左」
二人目。
「左でございます」
三人目は、少し長く見ていた。
右のものの前で、二度、顔の高さを変えた。しゃがんで見上げて、それから立って見下ろした。彫り手のやり方だ。この人は、たぶん昔は彫っていた。
「……左」
◇
書記が筆を走らせる音がした。
わたしは、右のものを見ていた。
目があって、鼻があって、口がある。骨から彫った。測ったとおりに削った。三度手を止めて、三度とも同じところで止めた。
落ちた理由を、誰も説明しなかった。
説明しないのが、この場の作法だ。検分方は理由を言わない。言えば工房が理由に合わせて彫るようになる。そうなると、人ではなく検分に似せた人形が出てくる。
だから、落ちた側は自分で考える。
考えて、たいていは一年か二年かけて分かる。
◇
式部の側の一人が、椅子の後ろから言った。
「左は、広間のお姿のとおりでございますな」
わたしは、顔を上げた。
その人は、褒めるつもりで言っていた。誰も咎めなかった。二人か三人が、そうだ、というふうにうなずいた。
アマーリエさまは、動かれなかった。
膝の上の指も、目の位置も、口の端も、入ってこられたときのままだった。
◇
院長のヴァイスさまが、初めて口を開かれた。
「灰通り」
「はい」
「あんたのところは、月に三体だったな」
「三体でございます」
「向こうは十二だ。人は七人。乾かし場は四倍ある」
ヴァイスさまは、数字で話す人だ。初めてお会いした日から変わっていない。
「王家の縁組は、年に八件から十件。急な差し替えが年に二件。差し替えは十日で上げてもらう」
「十日」
「あんたのところは十日、乾かすんだったな」
わたしは、答えなかった。答えようがなかった。
「灰通りは、王家の仕事には向かん」
◇
言われたことは、正しかった。
王家の縁組は数が要る。数が要る仕事に、月に三体の工房を入れれば、どこかで間に合わなくなる。間に合わせるには、乾かす日を削るか、人を増やすか、下彫りを外へ出すしかない。
どれもやらないと決めているのだから、向いていないのは本当だ。
「向いていないのは、承知しております」
「そうか」
「ただ、十日を六日にはいたしません」
ヴァイスさまが、こちらを見た。
「なぜだ」
「痩せますので」
「痩せた人形は、誰が困る」
「贈られた方が、三度目に困られます」
ヴァイスさまは、書付を閉じられた。
「数を出せんのなら、せめて通るものを出せ。今日のは通らん」
「はい」
「通るように彫れんのか」
「通るように彫ることは、できます」
わたしは、包みの紐を結び終えた。
「ただ、わたくしは、盛りません」
◇
わたしは、右のものを包み直した。
布を広げて、頭のほうから包む。裾を折って、紐を二重に回して、結び目を裾の側へ持ってくる。抱えて運ぶときに、結び目が胸に当たらないようにするためだ。
包み終えるまで、誰も何も言わなかった。
書記が筆を置く音がして、椅子が引かれる音がして、式部の側の人たちが先に出ていった。アマーリエさまも立たれた。立たれるとき、こちらを見られなかった。見られないほうが、こちらとしても助かった。
◇
部屋を出るまでに、誰とも目が合わなかった。
合わせにいかなかったので、当たり前だ。
廊下で、キールさまに追いつかれた。この人は歩くのが速い。真ん中を歩く人は、たいてい速い。
「二体目だな」
「はい」
「一体目は、置いてきたか」
「棚の下にございます」
キールさまは、少しだけ足を緩められた。
「あんたのは、盛っとらん」
「はい」
「わしのも、盛っとらん」
窓の外で、鐘が鳴った。四つだった。
「盛っておりません。選んだだけです」
◇
工房へ戻ったのは、日が落ちてからだった。
ニナは何も聞かなかった。聞かずに、湯を沸かして、鍋を温め直した。
わたしは、包みを解かずに棚の下へ置いた。
一体目の隣に、二体目が並んだ。
どちらも、誰でもなかった。
【今日の彫りおぼえ】検分は、落ちた理由を教えてくれません。教えると、次から検分に似せて彫る者が出るからでございます。理由は、落ちた者が自分で探すことになっております。
お読みいただきありがとうございます。
負ける回でございます。負けた側が悪いとは限りませんが、この場で言えることは何もありません。言えることが増えるのは、たいてい、もう少し先になってからです。
次話——院から、書付が一通まいります。母のときと、同じ書式でございました。




