第45話 王女殿下の受付
ニナが熱を出した。
朝、降りてこないので上がってみると、布団の中で怒っていた。この子は具合が悪いと、まず自分に怒る。
「起きます」
「寝ていてください」
「受付があります」
「わたしがやります」
「あなた、断るの下手じゃないですか」
これは、本当のことだった。
◇
うちの午後は、戸口で受ける。
彫るのは朝なので、人を入れるのは昼を過ぎてからだ。来た人の用件を聞いて、その場で三つに分ける。今日中に済むもの。日を改めるもの。うちでは受けないもの。
三つ目がいちばん多い。
多いので、断る回数がいちばん多い。断り方が下手だと、断ったあとに話が続く。話が続くと、その日の仕事が終わらない。
ニナは、そこが上手い。
上手いのは、断る前に一つ差し出すからだ。よそが早い、と言う。早いというのは本当で、うちは十日乾かすので、どこよりも遅い。遅い理由を先に渡してしまうと、断られた側は納得して帰る。
わたしは、そこで盛りませんと言ってしまう。言うと、相手は自分が盛れと言われたように受け取る。受け取ると、話が続く。
わたしは、下手だ。母も下手だったと、ハウザーさんが言っていた。
熱のある子に受付をさせるわけにはいかない。かといって、その日は彫りかけが二件ある。荒どりの途中で手を離すと、木の表と裏で乾き方が変わる。
◇
「わたくしが、やってみてもよろしいでしょうか」
アマーリエさまが、そう言われた。
わたしは、少し考えた。
考えたのは、断る理由を探したからではない。この方が客の前に立つと、顔が知られる。知られると、宮に伝わる。
伝わって困るのは、この方だ。
「頭巾を、お召しになりますか」
「かぶります」
「では、お願いいたします」
◇
教えたのは、ニナだった。
布団から起き上がって、階段の三段目に座って、そこから指示を出した。熱があるので、声はいつもより低い。
「まず、用件を聞きます」
「はい」
「名前と、いつ贈るのかと、どこの家かを聞いてください」
「はい」
「日取りが詰まってたら断ります」
「なんと申しましょう」
ニナは、鼻をすすった。
「うち、盛らないので。よそのほうが早いです」
◇
最初の客は、パン屋の娘さんだった。
娘さんは、姉の縁談の話を持ってきた。ただ、うちの値は商家の値なので、その場で無理だと分かる。分かっているのに来るのは、聞きたいことが別にあるからだ。
アマーリエさまは、頭巾の下から、こう言われた。
「うち、盛らないので」
娘さんが、目を丸くした。
「よそのほうが、早いです」
言い方が、まるきりニナだった。
言葉だけ写して、声の調子まで写している。三段目のニナが、布団の端を握って震えていた。笑っていた。
◇
二人目は、木の卸の人だった。
用件は請求で、金額はニナの帳面に書いてある。アマーリエさまは帳面を開いて、指で欄をたどって、そこに書いてある数字を読み上げた。
「銀貨十四枚と、銅貨六枚でございます」
「先月ぶんは」
「先月ぶんは、済んでおります。三月十一日に」
卸の人が、少し驚いた顔をした。
「よく覚えとるね」
「ここに書いてございます」
アマーリエさまは、帳面をそのまま見せられた。
その所作は、宮の人の所作だった。数字を隠さない。隠さないほうが早い、と知っている人の出し方だ。
卸の人は、帳面を覗き込んで、指で三月十一日の行をたどった。それから、自分の帳面を出して同じ日を探した。二冊を並べて同じ数字を見つけると、たいていの商いはそこで終わる。
うちの支払いは月末だ。木は先に来て、金はあとから出る。先に来るものを扱う商売は、信用のほうを先に貸している。だから、卸の人は帳面を見せてもらえると機嫌が直る。
ニナはそれを知っていて、いつも先に帳面を開いておく。開いておくのは受付簿ではなく、金の側の帳面のほうだ。
◇
三人目は、断るのが難しい客だった。
北の門のほうの家で、延期を申し出た二軒のうちの一軒だ。今度は延期ではなく、取り消しに来た。
取り消しの理由は言わない。言わないまま、言い訳を三つ並べる。日取りが合わない。木の値が上がった。親が渋っている。
どれも本当ではない。本当は、院が三十年ぶんを調べているあいだ、灰通りに関わりたくないだけだ。
わたしなら、そうですかと言って終わりにする。
アマーリエさまは、違った。
「承知いたしました」
「……そうかい」
「取り消しの日を、帳面に書きます。日を書いておきますと、あとでまた頼まれるときに、こちらが覚えておりますので」
客は、少し黙った。
「覚えとくのかい」
「覚えます。書きますので」
◇
客が帰ったあと、ニナが階段の上から言った。
「上手でした」
アマーリエさまが、振り返られた。
「上手でしたか」
「上手です。最後のやつ、わたしでも言えないです」
ニナは、また鼻をすすった。
「あれ、絶対もう一回来ますよ」
アマーリエさまは、頭巾を取られた。
取ってから、少し笑われた。
◇
その笑い方を、わたしは見ていた。
口の端が、左から上がった。
この方の稽古では、右が先だ。日に四度、十年、右から上げてきた。左が先に上がるのなら、稽古を通っていない。
目の下に、小さな膨らみが出た。
出るのを、初めて見た。
わたしは、刃を持っていなかった。持っていても、間に合わなかったと思う。あれは一呼吸ぶんだった。
一呼吸ぶんの顔は、彫れない。
人形は動かない。動かないものに動いた顔を入れると、止まった瞬間に見える。止まった瞬間に見える笑いは、たいてい嘘くさくなる。だから、笑っている見合い人形はほとんど作らない。作るとしても、口の端を指の幅の十分の一だけ上げる。
彫るのは、笑う前の顔だ。笑う前の顔にだけ、その人がどんなふうに笑うかが残っている。
わたしが見たかったのは、そちらのほうだった。
その日、それは一度きりで、あとはもう出てこなかった。
◇
夕方、ハウザーさんが桶を洗いながら言った。
「メルツの屋敷が売りに出たとよ」
「さようでございますか」
「北の棟だけだそうだ。庭ごとな」
水の音が三度した。
「使わん部屋を残しても、火を入れる薪が要る。冬に売るより、いま売るほうが高い」
ハウザーさんは水を捨てた。
「そういう話だ。落ちぶれたわけじゃない」
三言を過ぎたので、店へ戻られた。
わたしは、その北の棟に三年半住んでいた。作業部屋は、二階の東の端だった。
◇
日が落ちてから、戸を叩く音がした。
二度。待たない叩き方だった。
開けると、宮の装束の男が立っていた。若くはない。灰通りの土間へ、足を入れなかった。
「アマーリエさまは、こちらでいらっしゃいますか」
わたしは、答えなかった。
答えないのが答えになることは分かっていたが、それでも答えなかった。
男は、懐から書付を出した。
「王妃陛下より、お戻りくださいますようにと」
【今日の彫りおぼえ】断るのが上手い人は、断ったあとの日付を書いておきます。書いておくと、次に来られたときに覚えていることになります。覚えていると、話が早うございます。
お読みいただきありがとうございます。
うちの受付は十四の見習いが仕切っております。熱を出した日に代わりが立つとは思っておりませんでした。代わりが立ってみると、案外どうにかなるものです。どうにかなると、こちらの下手さだけが残ります。
次話——客帳を見た方が、顔色を変えられます。書いてあるのは、名前ひとつでございます。




