第39話 骨は、嘘をつきません
ニナが、端切れの木を出してきたのは朝だった。
うちの端切れは、木取りで落ちた外側の部分だ。使い道がないわけではない。刃の試し彫りに使うし、乾き具合を見る目安にもする。ニナは、その中から手のひらに乗る大きさのものを三つ選んで、作業台の隅に並べた。
選び方は悪くなかった。三つとも木口が詰まっていて、節が入っていない。
「彫ってもいいですか」
「どうぞ」
「顔です」
わたしは、刃を置いた。
◇
ニナは、道具の扱いだけなら誰より器用だ。
去年、わたしが戻ってきたばかりのころに看板の下地を削らせたら、一日で平らにしてしまった。刃の当て方も、木の目の読み方も、教えたことより先に手が知っている。文字も彫れる。先だっては、外の看板を三日で彫り直した。
顔だけが、彫れない。
その日も、そうだった。
鉛で線を引くところまでは進んだ。目の位置を決めて、鼻の付け根を決めて、口の線を引いた。線は真っすぐで、間隔も正しい。
刃を持って、当てて、そこで止まった。
◇
この子が顔を彫れない理由は、ひと月ばかり前に聞いている。
十二のとき口入れ屋へ預けられた。そこで自分の顔を彫られた。彫った人形は本人より頬が丸く、目が大きかった。その人形で買い手がついた。買い手は最後まで本人の顔を見なかった。話が流れたのは、人形と本人が並んだからではない。買い手のほうの都合だった。
だから、この子は自分の本当の顔を知らない。知っているのは、盛られたほうの顔だけだ。
顔に刃を入れるというのは、その人の本当を決める仕事になる。決める側に立つのが怖いのだと、わたしは思っている。思っているが、本人に確かめたことはない。
止まっている時間は、前より短くなっていた。
初めのころは、握ったところで手が震えた。半年前は、当てる前に置いていた。いまは、当てて、押さずに止まる。
わたしは、そのまま見ていた。
「……だめです」
「どこがだめでしたか」
「目のところです」
ニナは刃を置いて、指で自分の目のあたりを押さえた。
「線を引いたら、こっちを見てくる気がして」
◇
わたしは、腰かけを引いてニナの隣に座った。
「ニナ」
「はい」
「あなたが彫れないのは、顔です」
「知ってます」
「骨は、彫れます」
ニナが、こちらを見た。
わたしは端切れを一つ取って、刃を入れた。目も鼻も口も入れずに、こめかみから頬骨へ抜ける線と、その下の落ち込みと、顎の角だけを出した。四半刻もかからない。
出来上がったのは、顔ではない。
「これは、誰でもありません」
「はい」
「では、これに目を入れると、誰かになります。目を入れる前は、誰でもない」
ニナは、それを手に取った。
「顔は、後です」
「後です」
「先に彫るものだと思ってました」
「先に彫ると、その顔しか出ません」
◇
昼前に、二人で外へ出た。
骨は、彫っているより見ているほうが早く覚える。灰通りは人が少ないので、練習にはちょうどいい。荷車が通る。パン屋の娘さんが通る。魚屋の子が桶を担いで走る。
ハウザーさんが、桶を洗っていた。
「ハウザーさん」
「なんだ」
「そこに立っていてくださいますか。四半刻ほど」
ハウザーさんは、手を止めた。
「立ってどうする」
「見ます」
「見るな」
◇
結局、立ってくださった。
わたしはニナに、こめかみのところを指させた。
「ここから、下へ向かって落ちております」
「はい」
「落ちた先が、この方は横に張っております。だから、正面から見ると四角く見えます」
ハウザーさんは、水を捨てながら聞いていた。
「それから、鼻の下が長うございます。上唇の上が、指一本ぶん」
「おい」
「頬の肉は落ちておりますが、骨は太うございます。若いころは丸い顔でいらしたはずです」
「おい」
ハウザーさんは桶を置いた。
「あんたの母親も、同じことを言った」
◇
ニナが、笑った。
笑ってから、こちらを見ないで言った。
「あの人なら、彫れる気がします」
「なぜでしょう」
「なんとなくです」
ニナは、それ以上言わなかった。言わないところで止めるのは、ニナが自分でもまだ言葉にしていないときだ。
わたしも、聞かなかった。
聞くと、答えを探しに行ってしまう。探して見つけた答えは、たいてい本当ではない。
◇
午後、研ぎ屋へ行った。
うちの刃は月に一度、通りの奥の研ぎ屋へ出す。線を引くほうの三本だけだ。荒どりの刃は自分で研ぐ。細い刃は、角度を一度でも間違えると戻らないので、人に頼む。
研ぎ屋の店先には、砥石が三種類置いてある。荒いのと、中くらいのと、仕上げ用だ。仕上げ用は水を張った桶に沈めてある。主人はそれを一日中、沈めたままにしている。乾かすと表面が締まって、当たりが変わるからだ。
研ぎ賃は一本につき銅貨二枚。うちは三本で六枚になる。年に一度、そのうち一本を新しく買う。買うのは春だ。冬に買うと、木のほうが縮んでいるので当たりが分からない。
研ぎ屋の主人は、うちの三本を受け取って、根元から先へ指を滑らせた。
「こぼれてはおらんな」
「はい」
「先が丸い。使っとる」
それから、棚のほうを顎で指した。
布の上に、細身の刃が四本並べてあった。どれも先のほうが欠けている。
「昨日、来た」
「どちらから」
「西門のとこの工房だ。人形をやっとる」
主人は、四本のうち一本を持ち上げた。
「押して彫っとる。四本とも、同じ持ち方でな」
◇
その並びには、覚えがあった。
半年ほど前、義妹が突き返してきた彫刻刀も四本で、こぼれ方が同じだった。押して彫れば、刃はこぼれる。引いて彫れば、こぼれずに減る。
王都には、届け出のある工房が十九ある。
うちが盛らないと言い、堤通りも盛らないと言い、残りの十七がどうしているかを、わたしは知らない。知らないまま一年やってきた。
研ぎ屋の主人は、四本を布に戻した。
「同じのが、去年から増えとる」
◇
夕方、工房へ戻ると、ニナが端切れを五つ彫り上げていた。
どれも顔がない。骨だけだ。並べてみると、五つとも違う人だった。誰なのかは分からないが、五人いることは分かる。
「上手ですね」
「顔がないだけです」
ニナは、木屑を袋へ入れながら言った。
「ねえ」
「はい」
「骨って、嘘つかないんですよね」
「つきません」
ニナは、袋の口を縛った。
「じゃあ、あの人の顔も、骨だけ彫ればいいんじゃないですか」
◇
わたしは、その晩、灯りを点けたまま作業台に向かった。
新しい端切れを一つ出して、アンナさまの紐の寸法を当てた。目も鼻も口も入れずに、こめかみから頬骨へ抜ける線と、その下の落ち込みと、顎の角だけを出した。
四半刻で終わった。
台の上に置いて、少し離れて見た。
骨は、出ていた。
こめかみの落ちも、頬骨の張りも、顎の角も、あの方のものだ。目も鼻も口も無いのに、あの方だと分かる。分かるということは、骨のほうは嘘をついていない。
それから、その骨の上に鉛で線を引いた。目の位置。鼻の付け根。口の線。引き終わって、少し離れて見た。
線を引いただけで、誰でもなくなった。
わたしは灯りを近づけて、線を消した。指の腹でこすると鉛は落ちる。落としてから、また離れて見た。
骨だけの端切れは、あの方に戻っていた。
線は、六度引いて六度消した。六度とも同じことが起きた。
灯りは消さずに、その端切れを窓辺へ置いた。朝の光でもう一度見るためだ。
【今日の彫りおぼえ】骨を先に彫ると、まだ誰でもないものができます。顔を先に彫ると、その顔しか出ません。順序を逆にすると、一体ぶん損をいたします。
お読みいただきありがとうございます。
十四の見習いは、まだ人の顔に刃を入れられません。入れられませんが、止まる時間は年々短くなっております。彫れるようになる日が来るとして、その日は本人が決めることでございます。
次話——雨が降ります。雨の日は木が動くので、うちは休みでございます。




