↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「人形のような妻だ」と離縁されたら、公爵家の縁談が全部壊れました  作者: 風音シエル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/45

第30話 灰通りの工房です

 人が来なくなるまでに、九日かかった。


 並べた日の翌日から、灰通りには人が来た。注文ではない。見に来る人だ。工房の前で立ち止まって、看板を見上げて、それから中を覗く。


 ニナが最初の三日で三十七人を数えた。四日目からは数えるのをやめた。


「あの人たち、何しに来るんですか」


「たぶん、確かめに来ておられます」


「何をですか」


「実際にあるかどうかです」


 話は先に届く。届いた話の中の工房は、たいてい実際より大きい。来てみると、間口三間の煤けた家がある。


 人は、それを見て帰る。


 九日目に、来なくなった。


    ◇


 注文は、七件になった。


 多すぎず、少なすぎない。ニナが日取りを組んで、木の乾く十日ぶんを間に挟んで、三月先まで埋めた。


「これ以上は取りません」


「はい」


「取ると、割れます」


「はい」


「わたしが言うことじゃないですけど」


「よく分かっておられます」


 ニナは帳面を閉じて、少し得意そうな顔をした。


    ◇


 典礼院からは、二度、書状が来た。


 一度目は記録の写し。二度目は、上申が受理されたという通知だった。三十年ぶんの突き合わせが始まる。終わるのがいつになるかは、書いていない。


 メルツ公爵家の名は、そのどちらにも出てこなかった。


 ただ、王都の話としては伝わってきた。あの家は、王家の縁組の仲介から外れたそうだ。三十年、続いていた役目だという。


 処分ではない。外れただけだ。


 外れた家に、次の縁組の話は来ない。


    ◇


 エルンストからは、手紙が一通来た。


 封は正式なもので、字は本人のものだった。四行あった。


 三行までは、詫びだった。


 最後の一行だけ、違うことが書いてあった。


 ——ヴィオラが、部屋から出た。


 わたしは、その一行を二度読んで、封に戻した。


 返事は書かなかった。


 書かないことにしたのではない。書くことが見つからなかった。三年半ぶんのことを四行で受け取って、四行で返すことは、たぶんできない。


 封は、糸で括って棚に置いた。母がそうしていた。開けた封は捨てずに残す。


    ◇


 母の人形は、工房に置いた。


 物置には戻さなかった。棚の五十体の前、いちばん光の入るところに台を出して、そこに立てた。布はかけていない。


 典礼院から、預かりたいという申し出があった。断った。


「あれは、納めていないものです」


 アーベルさまは、それで引き下がった。


「では、当院の記録には『所在、灰通り』とだけ書いておきます」


「所在、でございますか」


「はい。人形は、どこかに在ることになっておりますので」


 彼は書類に書き込んで、それから、人形のほうを見た。


「……よい顔ですね」


「はい」


「盛られていないほうが、私は好きです」


「盛られていないほうは、たいてい、そう言われます。贈られる前には」


 彼は、少し笑った。


    ◇


 その日の夕方、わたしは真鍮の板を出した。


 小指の先ほどの大きさに切って、片側を平らにする。平らにするのに、半刻かかった。真鍮は木より硬い。刃は使えないので、鑢で削る。


 削ったところに、線を引いた。


 一本。二本。三本。


 そこで手を止めた。


 母のものは三本だ。祖母のものは二本だったと聞いている。


 四本目を引くと、この工房は、母の工房ではなくなる。


    ◇


「引かないんですか」


 ニナが、いつのまにか隣にいた。


「引きます」


「じゃあ、なんで止まってるんですか」


「引くと、母のものではなくなりますので」


「なりますね」


 ニナは、あっさりそう言った。


「なりますけど、いま、あなたのですよね。ここ」


「……」


「名簿にも、そう書きましたよね。当主、リディア・ヴェルクマイスターって」


 わたしは、鑢を持ち直した。


 四本目を引いた。


 三本目より、少し太くなった。手が震えたのではない。力の入れ方が違った。母の三本は等間隔で、太さも揃っている。わたしのは、四本目だけ太い。


 直そうかと思って、やめた。


「歪んでますよ」


「はい」


「直さないんですか」


「直しません」


「なんでですか」


「これが、わたくしの手ですので」


    ◇


 試しに、端切れの木に押してみた。


 軽く叩く。三度。


 窪みがついた。線が四本と、点がひとつ。母のものより、少しだけ大きい。


 ニナが覗き込んで、指でなぞった。


「……分かんないですね、これ」


「分かりません」


「誰も見ないですよね、裾の裏なんて」


「見ません」


 わたしは、その窪みを見ていた。


「見ないから、入れるのです」


    ◇


 九日目に人が来なくなってから、灰通りはもとに戻った。


 朝はハウザーさんが桶を洗い、昼に荷車が三度通り、夕方にパン屋の娘さんが焼きすぎたパンを置いていく。雨が降れば板が渡され、上がれば片づけられる。


 変わったことがひとつある。


 通りの奥の研ぎ屋に、細身の彫刻刀が来なくなった。刃こぼれしたものが四本まとめて持ち込まれることも、もう無い。


 代わりに、うちの刃が月に一度、そこへ行くようになった。母の七本のうち、線を引くほうの三本。研ぎ減ってはいるが、こぼれてはいない。


 研ぎ屋の主人は、初めて持っていった日にこう言った。


 ——こういう減り方をした刃は、久しぶりだ。


 看板は、ニナが彫った。


 言い出したのは本人だ。油の染みは落ちない。文字も戻らない。だったら彫り直すしかない、と言った。


「顔じゃないので、彫れます」


「はい」


「文字なら彫れます」


「はい」


 彼女は三日かけた。


 一日目に板を削り直し、二日目に下書きをして、三日目に彫った。彫っているあいだ、わたしは口を出さなかった。出すと、次から自分でやらなくなる。


 夕方に、脚立を出した。


 二人で掛けた。ニナが下から見上げて、「曲がってます」と言った。直した。「まだ曲がってます」と言った。もう一度直した。三度目で、「いいです」と言った。


    ◇


 看板には、こう彫ってあった。


 ——灰通り ヴェルクマイスター工房


 その下に、もう一行。


 ——リディア・ヴェルクマイスター


 わたしは、それを下から見上げていた。


 名前が外に出ているのを見るのは、初めてだった。三年半、名前は木の内側にあった。誰にも見えないところに、指の腹で押していた。


 いま、通りから見える。


「あの」


「はい」


「泣いてます?」


「泣いておりません」


「泣いてますよ」


「泣いておりません」


 ニナは、それ以上言わなかった。


 言わずに、脚立を片づけた。片づけながら、こっちを見ないで、こう言った。


「その顔で来る客は、だいたい嘘つきです」


    ◇


 ハウザーさんが、桶を持って出てきた。


 看板を見上げて、帽子を取った。


「読めるようになったな」


「はい」


「前は読めんかった」


「読める看板を出すと、読んだ人が来ると申し上げました」


「言ったな」


 彼は帽子をかぶり直した。


「で、来てほしくなったのか」


 わたしは、少し考えた。


「はい」


 ハウザーさんは笑って、店へ戻っていった。戸を半分閉めて、そこにしばらく立っていた。


    ◇


 その夜、戸の下に、紙が差し込まれていた。


 封がしてある。


 蝋の色が濃い。押してある印は、天秤でも鍵でもない。


 王家の紋だった。


 わたしは、それを拾って、灯りの下へ持っていった。ニナが階段の途中で止まって、こちらを見ている。


 封は切らなかった。


 切る前に、道具箱の底板を外して、真鍮の刻印を入れた。線が四本と、点がひとつ。四本目だけ太い。


 板を戻して、留め金をかけた。


 それから、封に指をかけた。


【今日の彫りおぼえ】四本目だけ太い。直そうかと思って、やめた。これがこちらの手なので。


お読みいただきありがとうございます。


見ないから入れる、というのは母の言い方でした。十四の見習いには、まだ通じていません。通じなくていいと思います。あと五年もすれば、たぶん自分で四本目を引くことになるので。


ここからは、封の中の話になります。


★とブックマークだけは、裾の裏ではなく、見えるところに入ります。押していただけると、こちらからも分かります。


次話——封を切ります。差出人は、この国でいちばん整った顔をお持ちの方です。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。