第29話 並べました
長机は、広間の端から端まであった。
三つの卓を継いである。継ぎ目に布をかけて、段差が出ないようにしてあった。典礼院の係が、朝から二刻かけて据えたのだという。
その上に、三十六体が並んでいた。
◇
並べ方は、家格順でも年順でもなかった。
最初のひとつは、割れたものだった。
左の頬に、髪の生え際から顎まで、線が入っている。ゼルテン伯爵家から借り受けたもの。ヴィオラの人形だ。
入ってきた人は、まずそれを見る。見て、割れているのが分かる。分かってから、隣の三十五体を見る。
アーベルさまが決めた順だ。
◇
人は、五十人ほど入っていた。
贈られた家の当主か、あるいは代理の方。十四家からは、ご当人も来ていた。人形にされた本人だ。年配の方が多い。いちばん年上は六十を過ぎておいでで、五年前の縁組は再縁だという。
ヘルマン・メルツは、いちばん奥の席にいた。
座り方が変わっていない。背をまっすぐにして、両手を膝の上に置いている。当家は届け出を返上済みだ。処分の対象にならない。
余裕がある人の座り方だった。
◇
ヴァイスさまが、検分の結果を読み上げた。
三十六体のうち、割れているもの一体。反りが出ているもの九体。寸法違いが四体。
数字だけを読んだ。誰の家のものかは言わなかった。
読み終えて、彼はこう言った。
「以上が、目で見て分かるものだ」
広間が静かだった。
「これより、ご当人にご覧いただく。ご自分の人形を手に取り、似ているかどうかをご自身でお決めいただきたい」
人が動いた。
十四人が、机に近づいた。
◇
最初に裾を返したのは、フレデリカ・ゼルテンさまだった。
彼女は割れた人形の前に立って、それを横に倒し、断面を見た。それから、裏返した。
裾の裏に、指を当てた。
わたしは、そこから離れたところに立っていた。呼ばれて来たので、来た。それだけだ。
フレデリカさまが、顔を上げた。
「あの」
声は大きくなかった。だが、広間が静かだったので、通った。
「うちのには、印がございます」
◇
二人目が、自分の人形を裏返した。
三人目は、その隣の人が裏返すのを見てから、自分のも裏返した。
四人目は、確かめずに係の者を呼んだ。
五人目のあたりで、机の前が混みはじめた。年配の方が多いので、指の腹で探しても分かりにくい。係が灯りを持ってきて、斜めから当てた。斜めから当てると、木目に紛れた窪みに影が入る。
線が三本と、点がひとつ。
六人目。八人目。十一人目。
誰も、大きな声を出さなかった。
ただ、机の前が、だんだん静かでなくなっていった。
◇
「二十一体」
アーベルさまが、そう言った。
「借り受けた三十六体のうち、裾の裏に同じ印のあるものが二十一。年は五年前から一年半前まで」
ヴァイスさまが、机の端から端まで見渡した。
「この印は、どこの印か」
誰も答えなかった。
わたしは、答えなかった。
答えないと決めていた。決めていたので、答えなかった。
◇
答えたのは、ヘルマンだった。
「先代のものだ」
彼は、座ったまま言った。声はよく通った。低い声は、広い部屋でこそ通る。
「灰通りのヴェルクマイスター。先代の当主が押した印だ。当家は長く、あの工房に頼んでいた」
彼は、そこで一度、こちらを見た。
「先代は、七年前に死んでいる」
広間が、少し動いた。
言っていることは正しい。正しいので、逃げ道になる。印が先代のものなら、二十一体は全部、七年より前のものになる。
そうすると、五年前から一年半前までのものは、説明がつかなくなる。
だが、説明がつかないだけだ。つかないものは、記録に残らない。
◇
わたしは、そこで初めて口を開いた。
「公爵さま」
広間が、こちらを向いた。
ヘルマンも、こちらを見た。
「左の頬の筋が、先ほどから動いておいでです」
彼の目が、わずかに動いた。
「顎の骨に沿って走る筋です。強く歯を噛んだときにだけ浮きます」
「……何の話だ」
「顔の話でございます」
わたしは、それだけ言った。
「三年半、お屋敷におりました。そのあいだ、その筋が浮くのを三度見ております。三度とも、その場に王家の使いの方がおいででした」
誰かが、息を吸う音がした。
「わたくしは彫り手ですので、顔しか見ておりません。顔しか見ないと、こういうものが残ります」
わたしは、長机のほうへ目をやった。三十六体が、端から端まで並んでいる。
「人形は嘘をつきません。彫る人が嘘をつくだけです」
◇
ヘルマンは、答えなかった。
答えないことが、いちばんまずい答えになる場合がある。この人は、たぶんそれを知っていた。知っていて、答えられなかった。
わたしは、それ以上何も言わなかった。
言うことがなかった。二十七体の紙は、道具箱の底にある。持ってきていない。
代わりに、アーベルさまが動いた。
◇
彼は、係の者に合図をした。
係が奥の扉から出ていって、しばらくして戻ってきた。両手で、布をかけた包みを持っている。
包みは、大きかった。手のひらに乗る寸法ではない。
「当院の保管庫より、一体」
アーベルさまが言った。
「婚姻簿に添えて保管されているものです。規程により、当院の許可なく持ち出せません。本日は院長の許可を得ております」
彼は布を取った。
◇
立ち姿だった。
膝から上ほどの高さ。両腕を体に沿わせて、手は前で組んでいない。裾が長い。
顔は、整っていた。
頬に丸みはない。目尻は下がっていない。眉の高さは、左右そろっている。
わたしは、その顔を知っている。
姿絵と同じ顔だ。
「十二年前。当代の王妃陛下、輿入れの際の見合い人形」
アーベルさまは、それを横に倒した。
裾の裏側を、灯りに向けた。
線が三本と、点がひとつ。
◇
ヴァイスさまが、名簿を開いた。
係が押さえて、彼が読み上げた。
「十二年前。届け出、灰通りヴェルクマイスター工房。彫り手、当主」
彼は紙をめくった。
「七年前。同工房、当院の彫り手名簿より除名。理由の欄——」
彼は、そこで一度止まった。
「申し出により」
紙を置いた。
「誰の申し出かは、書かれておらん」
◇
五十人いる部屋から、音が引いた。
外の音が入ってきた。荷車の音がする。典礼院の裏の道を、材木を積んだ車が通っている。
誰かが、机の上の一体を指した。
「では、これを彫った工房は」
「七年前に、名を消されております」
「消したのは」
「書かれておりません」
別の誰かが言った。
「この人形と、うちのに、同じ印が入っております」
また別の誰かが言った。
「うちのは、四年前のものです」
◇
ヘルマン・メルツは、立たなかった。
公開彫りの日は、席を立って出ていった。今日は、立たなかった。
彼は、机の上を見ていた。
三十六体でも、二十一体でもない。いちばん端に置かれた、大きい一体だけを見ていた。
整った顔の、王妃陛下の見合い人形。
わたしは、その視線を追っていた。
十二年前、この人はあの人形を受け取った。受け取って、たぶん、悪くないと思った。整っている。頬の丸みも、下がった目尻も、眉の高さの差もない。
そのあとで、母のところへ人をやった。
——盛れ。
命じたということは、あの人形が盛られたものだと知っていたということだ。知っていて受け取り、知っていてもう一度命じた。
二度目に、母は断った。
◇
ヴァイスさまが、机の端に手を置いた。
「本件は、当院より王室へ上申する」
彼は、そう言った。
「見合い人形の記録と、彫り手名簿の突き合わせを、三十年ぶん行う。除名の理由の欄が空白のものは、全て洗い直す」
誰も反対しなかった。
ヘルマンも、何も言わなかった。
彼は、まだ見ていた。
◇
人が引きはじめても、彼は座っていた。
係の者が声をかけた。返事をしなかった。もう一度かけた。今度は顔を上げたが、立たなかった。
わたしは、広間を出た。
出るとき、一度だけ振り返った。
長机の上に、三十六体が並んでいる。その端に、大きいのが一体。
その前に、公爵がひとりで座っていた。
【今日の彫りおぼえ】斜めから灯りを当てる。まっすぐ当てると、木目に紛れたものは見えない。
お読みいただきありがとうございます。
告発は、しませんでした。裾の裏を返したのは、二十一の家のご当人です。一人が返せば二人目が返します。そこに在るものは、誰が言わなくても、在ります。
よろしければ、こちらの裾の裏も返すおつもりで、ブックマークや★を。
次話——灰通りに戻ります。看板が、まだ読めないままです。




