第28話 二十七体
紙を一枚、台に広げた。
線を引いて、三つの欄を作る。左が家の名、真ん中が年、右がどなたの人形か。
一体ずつ書いた。
書けた。二十七体、全部。
◇
最初の一体は、嫁いだ年の秋だった。
伯爵家の三女。十七。目が小さく、鼻が高い。屋敷の作業部屋にはまだ慣れていなくて、光の入り方が分からず、目を二度彫り直した。
二体目は、その冬。子爵家の次男。人の話を聞くとき唇を噛む方だった。
三体目、四体目——書いていくと、顔が順に出てきた。
名前は覚えていない家もある。だが顔は全部出た。目の位置、頬の張り、口角の癖。彫った顔は、木に移した時点で、こちらの手にも残る。
十一体目のところで、一度、手が止まった。
二年目の夏。男爵家のご長女。十六。左の耳が、右より少し前に出ている方だった。髪で隠しておられたので、初めは気づかなかった。三度目にお会いしたときに、風で髪が上がって、それで分かった。
人形では、髪を左だけ厚くした。耳は隠れる。隠したのではない。この方は、いつもそうやって隠しておいでだったので、そのとおりに彫った。
その人形は、南の伯爵家へ贈られた。縁は、まとまった。
まとまった先で、その方がいまどうしておられるかは、知らない。
わたしは、また書きはじめた。
二十七体を書き終えるのに、二刻かかった。
◇
書き終えてから、右の欄をもう一度見た。
四体だけ、印をつけた。
二年目の春、二年目の秋、三年目の夏、三年目の冬。この四体のときだけ、屋敷が資料を出した。肖像の写しと、身なりの覚え書きと、公式の姿絵。
王家の縁続きの方々だ。
王弟殿下のご息女がお二人。王妃陛下のご実家の姪ごが一人。もう一人は、名を伏せられていた。伏せられていたが、資料の紙が上等だったので、王家に近い方だと分かった。
その四体にも、印を押した。
誰も見ない場所に、指の腹で、三度。
◇
アーベルさまが来たのは、その日の夕方だった。
書類は前より厚い。
「三十六体、検分が終わりました」
「はい」
「そのうち、裾の裏に印のあるものが、二十一体」
わたしは紙を見た。
二十七のうち、二十一。残る六体は、まだ借り受けができていない家か、あるいは処分されたか、どちらかだ。
「多うございますね」
「多いです。当院の検分方が三人がかりで、二日かかりました」
彼は書類を置いた。
「ヴェルクマイスターどの。ひとつ、確かめさせてください」
「はい」
「この印は、あなたが押したものですか」
「はい」
「先代のものではなく」
「印の形は母のものです。押したのは、わたくしです」
「押した時期は」
「五年前から一年半前まで。メルツ公爵家に嫁いでおりました三年半のあいだです」
彼は書類に何か書いた。
書いてから、顔を上げなかった。
「二十一体のうち、四体が」
「はい」
「王家の縁続きです」
◇
わたしは、湯を沸かしに立った。
沸かすあいだ、二人とも何も言わなかった。ニナは奥にいる。今日は出てこない。この子は、出てこないほうがいい日を知っている。
湯呑みを二つ置いてから、わたしは座った。
「アーベルさま」
「はい」
「二十日後、並べたあと、どうなりますか」
「分かりません」
「見当は」
彼は湯呑みを持ったまま、少し考えた。
「三つあります」
「うかがいます」
「ひとつ。当院が記録を取って、それで終わる。メルツ公爵家は届け出を返上済みですので、処分の対象になりません」
「はい」
「ふたつ。贈られた家のいくつかが、縁組の取り消しを申し立てる。三十六体のうち、いま婚姻が続いているものが十四です」
わたしは、その数を聞いた。
十四の家庭がある。人形で始まって、いまも続いている。
「みっつ」
彼は、そこで湯呑みを置いた。
「王家が動きます」
◇
「王家の縁続きの人形に、除名された工房の印が入っている」
彼は、言葉を選ぶように言った。
「これは、二つのことを同時に意味します。ひとつ、メルツ公爵家は名簿に無い者に彫らせていた。ふたつ、その者は、当家の名で贈られる人形を、三年半にわたって彫っていた」
「はい」
「後者だけなら、家の中の話です。前者は、届け出の違反になります」
「三十年、そうしておいでだったのでは」
「三十年ぶん、遡って調べることになるでしょう」
彼は、そこで初めてこちらを見た。
「そうなると、王妃陛下の人形も出ます」
◇
わたしは、物置のほうを見た。
扉は開けたままだ。台の上に、布をかけていない人形が立っている。この二十日、ずっとそのままにしてある。
頬に丸みがあり、目尻が下がっていて、左の眉が少し高い。
「アーベルさま」
「はい」
「わたくしは、告発をいたしません」
彼の手が、止まった。
「……と、申しますと」
「二十日後、並べる場に、わたくしは出ます。呼ばれれば行くと申し上げました」
「はい」
「ですが、何も申し上げません」
わたしは、二十七体の書き付けを、彼のほうへ滑らせた。
「この紙も、お渡しいたしません」
◇
「なぜでしょう」
「言えば、わたくしの言い分になります」
わたしは自分の指を見た。木屑が、爪の縁に入っている。洗っても取れない。
「離縁された前の妻が、元の嫁ぎ先を告発した。そう書かれます。書かれれば、聞く方は、まずそこを聞きます。本当かどうかより先に、恨みがあるかどうかを」
「……」
「三年半ぶんの仕事の話が、恨みの話になります」
彼は、何も言わなかった。
「それは、困ります」
わたしは、書き付けを手元に戻した。
「困るのは、わたくしではありません。困るのは、二十七体の人形のほうです」
◇
「では、どうなさるおつもりですか」
彼が、そう聞いた。
わたしは、湯呑みを両手で持った。この人の癖がうつっている。手が冷えているわけではないのに、そうしていた。
「並べていただければ、けっこうです」
「並べるのは、当院がいたします」
「はい。並べたものを、順にご覧いただければ、それで足ります」
「見るだけで、何か起きますか」
「起きます」
わたしは湯呑みを置いた。
「裾の裏を、ご覧になった方が、これまで一人もおられませんでした」
「……」
「一人が見れば、二人目が見ます。二人目が見れば、三人目が自分の家のものを取りに帰ります」
わたしは、二十七体の紙を折った。
「わたくしが申し上げなくても、そこに在るものは、在ります」
◇
アーベルさまは、しばらく黙っていた。
それから、書類を抱えて立ち上がった。
「ひとつだけ、申し上げます」
「はい」
「私は検分方ですので、あの日は口を出せません」
「うかがいました」
「ですが、並べる順は、私が決めます」
彼は、戸のところで一度止まった。
「どこから並べるかは、当院の裁量です。誰の目に、どれが最初に入るかも」
わたしは、頭を下げた。
彼は出ていった。
◇
その夜、ニナが奥から出てきた。
二十七体の書き付けを見て、指で数えた。数えてから、こう言った。
「これ、全部持ってくるんですか」
「持っていきません」
「じゃあ、どうするんですか」
わたしは、紙を道具箱の底に入れた。入れて、板を戻した。
「並べるだけで、けっこうです」
【今日の彫りおぼえ】彫った顔は、木に移した時点で、こちらの手にも残る。名前は忘れても、顔は出てくる。
お読みいただきありがとうございます。
言えば言い分になります。言い分になると、本当かどうかより先に、恨みがあるかどうかを聞かれます。そうならないやり方は、たぶん、何も言わずに置いておくことだけです。
次話——典礼院の長机に、人形が並びます。




