↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「人形のような妻だ」と離縁されたら、公爵家の縁談が全部壊れました  作者: 風音シエル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/45

第27話 名前のない人形

布は、思ったより軽かった。


 埃は上に積もっているだけで、麻そのものは薄い。持ち上げると、埃が先に落ちて、布はそのあとからついてきた。


 ニナが灯りを近づけた。


    ◇


 立ち姿だった。


 膝から上ほどの高さ。手のひらには乗らない。両腕を体に沿わせて、手は前で組んでいない。裾が床につくほど長く、そこだけ彫りが荒い。仕上げていないのではなく、荒いままにしてある。


 顔は、仕上がっていた。


 二十歳前後の女の人だ。頬に丸みがある。目尻がわずかに下がっている。左の眉が、右より少し高い。


 わたしは、その顔を知っていた。


 二つの意味で知っていた。


    ◇


 ひとつ目は、棚だ。


 工房の棚に、五十体の彫りかけがある。母が最後の冬に彫ったものだ。ほとんどが目の入っていない下地で、仕上がっているのは一体しかない。


 七年ぶりに戻ってきたあの夜、わたしはそれを布で拭いた。


 頬に丸みがあり、目尻が下がっていて、左の眉が右より少し高い顔だった。


 同じ顔だ。


 わたしは棚のほうへ行って、その一体を持ってきた。並べた。同じ人だ。目の彫り方だけが違う。棚のほうは影が浅い。台の上のほうは、深い。


 母は、同じ顔を何度も彫っていた。


 わたしは、棚の五十体を順に見ていった。


 目が入っていないものが四十九ある。目が入っていないと、顔は誰のものとも言えない。だがこうして一体を手に持って見比べると、頬の張り方と眉の位置で、同じ骨のものが選り分けられる。


 十一体あった。


 十一体、同じ骨だ。彫り方は少しずつ違う。頬の丸みを残したもの、削ったもの、眉の高さの差を強く出したもの、消したもの。


 母は迷っていた。九年か十年、迷い続けていた。


 迷った形が、そのまま五十体の中に十一体、残っている。


    ◇


 ふたつ目は、公爵家だ。


 三年半のあいだに、わたしは王家の縁続きの人形を四体彫った。その四体のときだけ、屋敷は資料を出した。肖像の写しと、身なりの覚え書きと、それから、公式の姿絵だ。


 姿絵は、いつも同じ人の名で始まっていた。


 当代の王妃陛下。


 十九で王太子妃として輿入れなさった。いまは三十を過ぎておいでだ。姿絵の中の顔は、いつも整っている。頬の丸みは無く、目尻は下がっておらず、眉の高さは左右そろっている。


 台の上の人形は、その顔ではない。


 だが、同じ骨だ。


 骨は嘘をつかない。頬の丸みは肉で、いずれ落ちる。目尻の下がりは癖で、年をとれば強くなる。眉の高さの差は生まれつきで、消えない。


 姿絵は、そのどれも消していた。


    ◇


「……誰ですか」


 ニナが、灯りを持ったまま聞いた。


「王妃陛下でいらっしゃると思います」


 ニナの手が、少し下がった。灯りが揺れて、人形の顔の影が動いた。


「王妃って、あの、王妃ですか」


「はい」


「なんでうちにあるんですか」


「存じません」


 わたしは台の下を見た。


 台は古い作業台だ。天板の裏に、細い隙間がある。母は書き付けをそこに挟む癖があった。彫っている最中に思いついたことを、紙の切れ端に書いて、そこへ差す。


 指を入れると、紙が触れた。


    ◇


 三枚あった。


 どれも小さい。手のひらの半分ほどで、母の字だ。角の丸い、崩した字。


 一枚目。


 ——一度、彫った。納めた。


 二枚目。


 ——これは、彫らなかったほう。


 三枚目。


 ——二度目は、断る。


    ◇


 わたしは、三枚を並べて置いた。


 順に読んで、それから、もう一度読んだ。


 母は、盛った。


 命じられて、盛って彫って、納めた。だから王妃陛下の見合い人形は、頬の丸みが無く、目尻が下がっていない顔になった。


 そのうえで、盛らないほうも彫った。


 彫って、布をかけて、物置に置いた。売らず、贈らず、誰にも見せず、七年——いや、もっと長く。わたしが十五、六の頃にはもうあったのだから、八年か、九年。


 母は、それを持っていた。


 誇りとして持っていたのではないと思う。


 誇りなら、棚に置く。この工房の棚には、仕上げていない顔が五十体ある。母は仕上がる前のものを人に見せない人だったが、隠しはしなかった。


 布をかけて物置に置くのは、隠すためだ。


    ◇


「あの」


「はい」


「これ、悪いことしたってことですか。お母さん」


 ニナが、灯りを台に置いた。


 わたしは、しばらく答えられなかった。


「……盛りました」


「はい」


「一度、盛りました」


「じゃあ」


「そのあとで、断りました。断ったので、名簿から名を消されました」


 わたしは、三枚目の紙を指で押さえた。


 ——二度目は、断る。


 書いたのは、たぶん一度目を納めたあとだ。次に来ることが分かっていて、来る前に決めておいた。決めておかないと、二度目も彫ってしまうと思ったからだ。


 自分でそう思う人は、一度目に彫ったときのことを、忘れていない。


    ◇


「わたくしは」


 声が、掠れた。


「わたくしは、母は盛らない人だと習いました」


「はい」


「三年半、そのとおりにいたしました。名前を入れずに、誰にも見えないところに印を押して、盛らずに彫りました」


「はい」


「守っていたつもりでした」


 わたしは、人形の顔を見た。


 頬の丸み。下がった目尻。左が少し高い眉。


 母は、この顔を九年か十年、布の下に置いていた。


「守っていたのではなく、母のやり直しをしていたのだと思います」


    ◇


 ニナが、隣に来た。


 来て、人形の裾のほうを見た。荒いままの裾だ。


「あの」


「はい」


「これ、裏、見ました?」


 わたしは、人形を持ち上げた。


 重い。この大きさだと、手のひらに乗る人形の十倍はある。裾の裏側を、灯りに向けた。


 印は、無かった。


 線が三本と、点がひとつ。あの窪みが、どこにもない。


 わたしは、指で確かめた。裾の裏、腰の内側、背中の下のほう。母が押しそうな場所を全部。


 無い。


「……押しておりません」


「なんでですか」


「分かりません」


 わたしは人形を台に戻した。


 戻してから、思い当たった。


 印は、彫ったものに押す。母がわたしに言ったのは、「彫った人形には、必ず自分の印を入れなさい」だ。


 これは、彫ったものではない。


 納めなかったものだ。


    ◇


 その夜、わたしは物置の扉を閉めなかった。


 人形は台の上に出したままにした。布はかけ直さなかった。かけ直すと、また七年になる気がした。


 ニナは早くに上がった。上がる前に、階段の途中で止まって、こう言った。


「あの、ひとつ聞いていいですか」


「はい」


「その人、いまも生きてるんですよね」


「王妃陛下は、ご存命です」


「じゃあ、その人は」


 ニナは、人形のほうを見た。


「自分の顔じゃない顔で、お嫁に行ったんですね」


 わたしは、答えなかった。


 答えられなかったのではない。答えは分かっていた。


 十九で輿入れなさって、いま三十を過ぎておいでだ。そのあいだずっと、姿絵は整った顔で描かれている。頬の丸みは無く、目尻は下がらず、眉の高さはそろっている。


 誰も、直していない。


 直していないのではなく、直せないのだと思う。最初に贈った顔が正しいことになっている以上、あとから本当の顔を出すことは、誰にもできない。


 二十日後に、三十六体が並ぶ。


 その中に、王家のものはあるだろうか。

【今日の彫りおぼえ】印は、彫ったものに押す。納めなかったものには、押さない。


お読みいただきありがとうございます。


盛らない人だと習った人が、一度だけ盛っていた。その一度を、八年か九年、布をかけて手元に置いていた。誇りなら棚に置きますので、あれは隠していたのだと思います。


次話——三年半で彫った二十七体が、いまどこにあるのかを数えます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。