第23話 盛らない人形は、売れません
典礼院から呼び出しが来たのは、公開彫りから十日後だった。
封は正式なもので、日時と、控えの間の番号まで書いてある。ニナが封を裏返して、蝋の印を指で押さえた。
「今度は何ですか」
「うかがってみないと分かりません」
「またあの家がなんか言ってきたんじゃないですか」
「かもしれません」
「行くんですか」
「行きます。役所の呼び出しは、断ると次が面倒になりますので」
ニナは、前掛けを畳んで渡してきた。ハイデマリーさまが縫い直したものだ。
「持っていってください」
「彫りませんよ、今日は」
「持っていくんです」
◇
控えの間は、広間よりずっと狭かった。
卓がひとつと、椅子が四脚。窓は北向きで、光が入らない。この部屋は、彫るために作られていない。話すために作られている。
典礼院長のヴァイスさまは、先に座っていた。
六十がらみの痩せた方だ。公開彫りの日は法衣を着ていたが、今日は普段着に近い。首の肉が落ちて、喉の骨が浮いている。
その隣に、アーベルさまが立っていた。座っていない。
「灰通りのヴェルクマイスターどの」
「はい」
「先日は、面倒な役を負わせた」
「いえ」
「座りなさい」
◇
ヴァイスさまは、卓の上に紙を並べた。
三枚ある。数字が書いてある。
「今月の縁組の届け出だ。先月の三分の二になった」
「……」
「先々月と比べると、半分だ」
彼は一枚目を指で押さえた。
「検分を厳しくしたのは当院だ。割れた人形は贈った家の責めとする、と通達を出した。そうしたら、贈るのをやめた家が出た」
「贈らなければ、縁組が進みませんが」
「進まない。だから届け出が減っている」
わたしは紙を見た。
数字は正直だ。理屈より先に、数字が出る。
三枚のうち、二枚目には家格ごとの内訳があった。伯爵家以上の届け出は、ほとんど減っていない。減っているのは、子爵家と男爵家と、爵位のない商家だった。
上のほうの家は、割れても困らない。困らないというより、割れたことにしない手立てを持っている。困るのは、一体しか贈らない家のほうだ。
三枚目は、工房ごとの数だった。
王都で見合い人形を扱う工房は、届け出のあるものが十九ある。そのうち六つが、今月、一体も出していない。
わたしは、その六つの名前を見た。知っている名前が四つあった。母の帳面に出てくる。二十年前は、どこも忙しい工房だった。
「なぜ、贈るのをおやめになったのでしょう」
「怖いからだ」
ヴァイスさまは、あっさりそう言った。
「贈った人形が割れたら、家の恥になる。だったら贈らないほうがいい。——そう考える家が、思ったより多かった」
◇
「ヴェルクマイスターどの」
「はい」
「あなたの言うことは、正しい。木のことも、寸法のことも、当院の誰より詳しい」
「恐れ入ります」
「そのうえで、聞いてほしい」
彼は紙を揃えて、脇へ寄せた。
「見合い人形は、本人を写すためのものだと、当院の規程には書いてある。三百年前からそう書いてある」
「はい」
「だが、実際に贈られているものは、そうではない」
部屋が静かになった。北向きの部屋は、音が響かない。
「あれは、家が相手に見せたい顔だ。少し良く見せる。相手もそれを承知で受け取る。互いに承知しているから、会ったときに『思ったより』と言い合って、そこから始まる」
「……」
「三百年、そうやって回ってきた」
ヴァイスさまは、両手を卓に置いた。
「あなたのやり方は、その承知を壊す」
◇
「盛らない人形は、売れません」
彼は、そう言った。
言い方に含みはなかった。嫌味でも、脅しでもない。実務の話をしている人の言い方だった。
「売れないものを作る工房は、いずれ潰れる。潰れるのは構わない。当院の仕事ではない。だが、あなたの人形が正しいとなると、他の工房は全部、間違いになる」
「はい」
「そうすると、王都の工房は全部、割れない人形を作らなければならなくなる。作れる者は、そう多くない」
「多くはございません」
「作れない工房は、廃業する。廃業すると、人形が足りなくなる。足りなくなると、縁組が止まる」
彼は、そこで一度息を吸った。
「制度が、壊れる」
◇
わたしは、その人の顔を見ていた。
喉の骨が浮いている。首の皮膚が薄くなって、下の筋がそのまま見える。頬骨は張っているが、その下がごっそり落ちている。
この落ち方は、老いだけでは出ない。
「ヴァイスさま」
「なんだ」
「顎の下の筋が、片側だけ張っておいでです」
ヴァイスさまの手が、卓の上で止まった。
アーベルさまが、天井を見た。
「……なに」
「左です。長いあいだ、右を下にしてお休みになっておいでかと。あるいは、右の歯でお噛みにならない」
「……」
「差し出がましいことを申しました。職業柄でございます」
ヴァイスさまは、しばらくわたしを見ていた。
それから、自分の顎の下を、片手で押さえた。
「……三年前から、右の奥歯がない」
「さようでございましたか」
「誰にも言っていない」
「はい」
「言っていないのに、なぜ分かる」
「顔は、隠していることのほうを先に出しますので」
◇
ヴァイスさまは、手を下ろした。
下ろして、少しのあいだ、卓の木目を見ていた。
「……グラーフ」
「はい」
「お前が連れてきたがるわけだ」
「連れてきてはおりません。呼び出したのは院長です」
「口が減らんな」
アーベルさまは、そこで初めて一歩前に出た。
「院長。ひとつ、申し上げてよろしいですか」
「言え」
「制度が壊れる、と仰いましたが」
彼は卓の紙を指した。
「壊れているのは、制度ではなく在庫です」
「……なに」
「割れる人形が三百年ぶん積み上がっている。それが、いま一度に表に出ているだけです。壊れたのではなく、表に出たのです」
ヴァイスさまは答えなかった。
「規程には本人を写すと書いてある。書いてあるものを、書いてあるとおりにやる者が現れたときに、制度が壊れると仰るのでしたら」
アーベルさまは、そこで言葉を切った。
「壊れる側が、書き換えるべきかと存じます」
◇
わたしは、二人のあいだで座っていた。
言うつもりのなかったことを、言った。
「ヴァイスさま」
「なんだ」
「盛った人形を、全部並べてみてはいかがでしょう」
彼が顔を上げた。
「……並べる」
「はい。当院がいま借り受けておいでのものを、割れているものも、割れていないものも、一列に。そのうえで、贈られた先のご当人に、順にご覧いただく」
「何のために」
「どれが本人に似ているかを、ご当人にお決めいただくためです」
わたしは、卓の上の紙を見た。
「三百年、互いに承知していたと仰いました。ですが、承知していたのはご家同士でございます。人形にされたご当人が承知していたかどうかは、どこにも記録がございません」
ヴァイスさまは、何も言わなかった。
アーベルさまも、何も言わなかった。
北向きの部屋は、音が響かない。だから、誰も何も言わないと、本当に何も聞こえない。
◇
控えの間を出るとき、ヴァイスさまが背中に言った。
「ヴェルクマイスターどの」
「はい」
「並べるとなれば、あの家のものも並ぶ」
「はい」
「あの家の当主は、王家の縁組にも関わっている」
わたしは、扉の手前で止まった。
「……さようでございますか」
「三十年、そうだ」
彼は、それだけ言った。
わたしは頭を下げて、部屋を出た。
廊下は長く、片側だけに窓があった。窓のあるほうが明るく、ないほうが暗い。歩いていると、明るいところと暗いところを交互に通る。
三十年。
七年前は、その中に入っている。
【今日の彫りおぼえ】顔は、隠していることのほうを先に出す。隠すと、隠したかたちが残るので。
お読みいただきありがとうございます。
三百年、互いに承知のうえでやってきた、という説明はよく出てきます。ただ、承知していたのは取り引きをする側で、取り引きされる側が承知していたかどうかは、たいてい記録に残っていません。
次話——元の夫が、三度目に来ます。今度は、頭を下げます。




