第11話 灰通りに列ができました
朝、戸を開けたら人が立っていた。
一人ではない。工房の前から、通りの角のところまで、十人ほどが縦に並んでいる。並んでいるという自覚のない並び方で、先頭の人は戸の前に立ち、あとの人はなんとなくその後ろにいた。
いちばん前は、三十くらいの女性だった。目が合うと、慌てて頭を下げた。
「あの、こちらで、人形を」
「お作りしております」
「今日、お願いできますでしょうか」
わたしは、その後ろに続く列を見た。
十人。全部が注文なら、四か月ぶんある。
「本日は、お話をうかがうだけになります」
「では、それで」
「順にうかがいますので、少々お待ちください」
女性は頷いて、それから後ろを振り返った。振り返ったところで、自分が列の先頭なのだと初めて気づいたらしい。少し得意そうな顔をした。
◇
三人目まで話を聞いたところで、外から声がした。
「はい、そこ止まってください」
ニナだった。
いつのまに出ていったのか、通りに立って、両手を広げている。
「並ぶなら壁側です。真ん中に立たれると荷車が通れません。ハウザーさんとこの店先まで詰めてください」
列が動いた。素直に動いた。
「あと、お名前とご用件、こっちで先に聞きます。中に入ってから話すと長いので」
ニナは帳面を抱えていた。うちの帳面だ。金貨二枚を数えたあの帳面が、いつのまにか受付簿になっている。
昼までに、ニナは十四人ぶんの名前と用件を書き取った。字は雑だが、読める。日取りの希望まで聞いてある。
十四人の内訳を、あとで見せてもらった。
見合い人形の注文が九。うち六つは商家で、三つは下級の貴族だった。残る五人は注文ではない。二人は値段を聞きに来ただけ、一人は「割れない人形とはどういうものか」を聞きに来た人、一人は工房を見に来ただけの近所の人、最後の一人は、人形を彫る仕事を教えてほしいという十六の少年だった。
少年の欄に、ニナは横線を引いていた。
「これは」
「断りました」
「なぜ」
「うち、二人で回すのがやっとです。それに」
ニナは帳面を閉じた。
「あの子、手を見せてくださいって言ったら、見せませんでした」
わたしは何も言わなかった。
手を見せない者は、たいてい木を触ったことがない。触ったことがないのは構わないが、触ったふりをする者は続かない。この子は、それをどこで覚えたのだろう。
「あの」
「なんですか」
「どこで覚えたのですか、そういうことを」
ニナは帳面から顔を上げなかった。
「二年、この通りで暮らしてました」
「はい」
「並ぶ人も、割り込む人も、見てました」
◇
その日の午後に来たのは、恰幅のいい男性だった。
名はブラント。革の卸をしているという。上着の袖に、なめしたばかりの匂いが残っていた。
「娘の見合い人形を頼みたい」
「承知しました。お嬢さまは、ご一緒でしょうか」
「今日は連れてきておらん。忙しくてな」
「では、日をあらためて、お嬢さまとご一緒にお越しください」
ブラントさんは眉を上げた。
「本人が要るのか」
「はい。お顔を拝見しませんと、彫れません」
「絵姿がある」
彼は懐から折りたたんだ紙を出した。広げると、若い娘の顔が描かれている。悪くない絵だ。ただ、絵は絵だ。
「これで足りるだろう」
「足りません」
「なぜだ」
「絵は、描いた方の目で見た顔です。わたくしが彫るのは、わたくしが見た顔ですので」
ブラントさんは紙を折り直した。折り目が乱暴だった。
「……娘は、その、あまり気が進まんのだ」
「さようでございますか」
「乗り気になれば、ちゃんと来る。だから先に人形だけ作っておいて、話がまとまってから」
「まとまってから、お嬢さまはご覧になりますか」
彼は答えなかった。
わたしは筆を置いた。
「お引き受けできません」
「なんだと」
「見合い人形は、本人が知らないうちに贈るものではございません。それは、人形ではなく、書面です」
ブラントさんはしばらくこちらを睨んで、それから絵を懐に戻した。出ていくとき、戸を強く閉めた。
◇
「あの人、また来ますよ」
ニナが帳面に横線を引きながら言った。
「そうでしょうか」
「来ます。ああいう顔の人は、いっぺん断られてからが本番です」
「そういうものですか」
「そういうものです。——だいたい、その顔で来る客は、だいたい嘘つきです」
わたしは手を止めた。
「その言い方、前にもうかがいました」
「言いましたっけ」
「初日に。わたしのことを、嘘が下手そうな顔だと」
ニナは帳面から目を上げた。それから、少し口をとがらせた。
「あれは褒めてないです」
「存じております」
「……いまのは、ちょっと褒めてます」
◇
列は、昼を過ぎても減らなかった。
ハウザーさんが、店先に樽をひとつ出してくれた。腰かけるためのものだが、誰も座らない。座ると順番を譲ったように見えると思っているらしく、みな立ったまま、少しずつ前へ詰めていた。
三人目のあと、四人目を入れる前に、わたしは一度だけ手を洗いに出た。
外へ出ると、通りの端から端まで、人の背中が見えた。七年前、この通りに人が並んでいたのを見た覚えはない。母の工房は、いつも静かだった。客は一人ずつ来て、一人ずつ帰った。
あれは、そういう店だったのだろうか。それとも、あの頃はまだ人形を盛る家が少なかっただけなのだろうか。
母に聞けることは、もう一つもない。
夕方、ミレナさまが来た。
注文ではない。手ぬぐいを二枚と、豆を一袋持ってきて、それを台に置いた。
「並んでいらっしゃる方々を見て、たぶん食事どころではないと思いまして」
「そのようなことは」
「ございますでしょう」
ミレナさまは笑って、それから帳面を覗き込んだ。
「十四人ですって?」
「はい」
「わたくしのときは、誰もいませんでしたわ」
「はい」
「最初の客だと、いばってもよろしいかしら」
「どうぞ」
ニナが横から「いばってください。ただし豆はもう一袋ください」と言った。
◇
その夜、片づけをしながら、わたしはニナに言った。
「ニナ。彫ってみませんか」
ニナの手が止まった。
「……前も言われました」
「はい。前は木の話でした。今日のは、仕事の話です」
わたしは棚から荒彫りの途中の胴体をひとつ取って、台に置いた。
「これから注文が増えます。わたし一人では、四か月待ちになります。四か月待つ縁談は、ありません」
「……」
「胴と手を彫っていただけると、ずいぶん助かります」
ニナは台の上の木を見た。
手が出かかって、止まった。
「胴と手、ですか」
「はい」
「顔は」
「まだ結構です」
ニナは、しばらく木を見ていた。
それから、ゆっくり手を伸ばして、木を持ち上げた。両手で持って、重さを確かめるように少し上下させた。この子はときどき、教えていない持ち方をする。
「やります」
「ありがとうございます」
「あの」
ニナは木を台に戻した。戻すとき、そっと置いた。
「言っときますけど」
「はい」
彼女はこちらを見なかった。
「わたしは、顔だけは彫りません。木は好きですけど」
わたしは何も聞かなかった。
聞かなかったのは、聞いてはいけない気がしたからだ。理由のある「彫りません」は、たいてい理由のほうが先に立っている。
ニナは灯りを消して、階段を上がっていった。
途中で一度止まって、こう言った。
「聞かないんですね」
「はい」
「……ふうん」
足音が上まで行って、消えた。
【今日の彫りおぼえ】荒彫りは弟子に渡してよい。顔は最後に、一人で入れる。
お読みいただきありがとうございます。
うちの見習いは、木は好きだと言います。好きなものの中に、ひとつだけ触れないものがある人は、たいていそこに理由を置いています。主人公は今日、それを聞きませんでした。
次話——工房に、名乗らないお客がまた来ます。今度は差し入れつきです。




