第10話 笑いものになった人形
話は、三日かけて灰通りに届いた。
最初はハウザーさんの三言だった。次に、パン屋の娘さんが焼きすぎたパンと一緒に持ってきた。三日目に、フレデリカさまの手紙が来た。
順番に届くたび、話は少しずつ形を変えた。噂というのはそういうもので、通る口の数だけ角が丸くなったり、逆に尖ったりする。
だが、三つとも同じところだけは変わらなかった。
——人形が、割れた。
◇
フレデリカさまの手紙は、詫び状の形をしていた。
先日は無理を申しました、という一文から始まって、あのとき彫り直しを断っていただいたことに、いまは礼を申し上げます、と続いていた。
その後に、経緯が書いてあった。
彫り直しは、行われたのだそうだ。ゼルテン家が断られたあと、メルツ公爵家のほうから申し出があった。当家の者が直しますので、人形をお預かりしたい、と。
預けたのは、ひと月前。
戻ってきたのは、顔合わせの三日前だった。
フレデリカさまは、戻ってきた人形を見て、弟に見せるのをためらったと書いていた。以前のものより、頬が細くなり、目が大きくなり、口角が上がっていた。似ていないというより、誰でもなくなっていた、と。
弟君は、それを見て「これは誰?」と聞いたそうだ。
冗談のつもりだったらしい。
◇
顔合わせは、ゼルテン家の広間で行われた。
両家の当主と、弟君と、ヴィオラと、双方の親族が十数人。この国の顔合わせは、まず人形を並べる。互いの家が贈り合った二体を、卓の上に向かい合わせて置く。
そのとき、片方が倒れた。
置いた拍子ではない。誰も触れていない。ただ、乾いた音がひとつして、それから、ヴィオラの人形が卓の上で横に倒れた。
左の頬に、線が入っていた。
髪の生え際から顎まで、まっすぐに。木の目に沿って、内側から。
広間は静かになったそうだ。誰も何も言わなかった。人形が割れる場面を見たことのある者が、あの場に一人もいなかったからだと思う。木は普通、贈られたあとに割れたりしない。
最初に動いたのは弟君だった。倒れた人形を起こして、卓に戻した。それから、もう一体のほうを見た。
三年半前の、頬を落としていないほうを。
その二体は向かい合わせに置かれていた。片方には線が入り、片方には入っていない。並んでいれば、どちらが本人に近いかは、誰の目にも分かる。
弟君は、こう言ったそうだ。
——こちらのままで、よろしかったのに。
誰に言ったのでもなく、卓に向かって言ったのだという。ヴィオラは何も答えなかった。答えるより先に、公爵家の側の誰かが人形を布で包んでしまった。
包んでも、割れたことは消えない。あの場には十数人がいた。
◇
「割れたんですか」
ニナが手紙を覗き込んで、二度読み返した。
「はい」
「なんで割れるんですか、人形が。落としたわけでもないのに」
わたしは湯を沸かしながら答えた。
「削りすぎたのでしょう」
「削ると割れるんですか」
「頬を落とすと、そこだけ薄くなります。薄いところと厚いところがあると、乾き方が変わります。乾き方が変わると、内側で引っぱり合います」
「……で、割れる」
「はい」
ニナは手紙を台に置いた。
「じゃあ、あの人、盛るために削って、削ったから割れたんですか」
「そう思います」
「それ、間抜けすぎませんか」
「間抜けではありません」
わたしは湯を注いだ。
「木のことを知らないだけです。知らない人がやると、必ずそうなります。必ずです」
◇
わたしは、その割れ方を頭の中で追った。
線は、髪の生え際から顎まで通っていたという。それは木の目の向きだ。頬を落とすとき、目に逆らって刃を入れたのではない。逆らったなら、線はもっと短く、途中で止まる。
目に沿って通ったということは、削った量そのものが多すぎたのだ。
あと、預かってから返すまでがひと月というのも早い。木は、削ったあとに落ち着く時間がいる。表面と内側の湿りがそろうまで、少なくとも二十日は置く。置かずに渡せば、贈られた先で乾く。
贈られた先で乾いた木が、いちばんよく裂ける。
その日の午後、通りの向かいで、ハウザーさんが四人と話しているのが見えた。
三言では終わらなかった。
夕方には、話は灰通りを出て、川向こうの職人町まで行っていた。次の日には、王都の南側に届いた。噂は、貴族の屋敷の中よりも、荷車の通る道を速く走る。
人形が割れたという話は、それだけなら誰も面白がらない。
面白がられたのは、そのあとに続く部分だった。
——メルツ公爵家の人形は、この三年半、王都でいちばん評判がよかった。
——その家の人形が、卓の上で勝手に割れた。
「割れた話より、そっちの話のほうが伸びてますね」
ニナが窓の外を見ながら言った。
「そうですね」
「なんでですか」
「人は、落ちるところを見るのが好きだからです」
「あなた、たまにひどいこと言いますね」
「はい」
◇
三日目に、ミレナさまが来た。
最初の依頼人だ。あの人形はまだ持っているらしく、包みを抱えていた。
「あの、これ、見ていただきたくて」
「どうかなさいましたか」
「いえ、どこも。どこも、なんともないんです」
彼女は包みをほどいた。半年近く前に彫ったものだ。木の色が少し落ち着いて、はじめより深くなっている。割れも、反りもない。
「割れた人形の話を聞いて、心配になって」
「これは、削っておりませんので」
「はい。……はい、そうだと思います」
ミレナさまは人形を胸に抱えた。
「あの、それで、噂のことなんですけれど」
「はい」
「みなさん、こうおっしゃっているんです」
彼女は少し声を落とした。
「メルツのお嬢さまは、去年まで人形を彫っていらっしゃらなかった。じゃあ、その前の三年半、あそこの人形を彫っていたのは誰なんでしょう、って」
◇
その夜、わたしは道具箱の底板を外した。
母の刻印。線が三本と、点がひとつ。真鍮の縁が、七年ぶんだけ黒ずんでいる。
三年半のあいだに彫った人形は、二十七体ある。
数えたことがなかったので、その夜、初めて数えた。
伯爵家が五、子爵家が九、男爵家が七、公爵家の縁続きが四、あとの二つは名前を思い出せない家だ。全部、指で押した。木がまだ湿っているうちに、腹で、三度。
いま、その二十七体は王都のあちこちの棚の上にある。
誰も裾の裏を見ない。だから、まだ誰も知らない。
「何してるんですか」
ニナが階段の上から言った。
「数えておりました」
「何をですか」
「昔の仕事です」
「……何個あったんですか」
わたしは板を戻して、留め金をかけた。
「二十七です」
「多いんですか、それ」
「三年半で二十七は、多いほうかと」
ニナは階段に座って、しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「ねえ。その二十七個って、いま、どこにあるんですか」
わたしは答えなかった。
答えなかったのは、知らないからではない。全部言えるからだ。
言ってしまうと、その先に自分がやりたくなることが見えている気がした。
【今日の彫りおぼえ】薄いところと厚いところを作らない。木は、乾き方の違うところから裂ける。
お読みいただきありがとうございます。
盛るというのは、足すことではなく削ることです。目を大きくするには周りを削り、顎を細くするには外を削る。だから盛った人形はいつも、どこかが薄くなっています。
割れた話は、荷車の通る道を速く走ります。★や感想も、だいたい同じ道を通ります。
次話——灰通りの工房に、人が並びます。並びすぎて、うちの見習いが受付を始めます。




