間章-20:考古学者の帰還
ロンドン、ダウニング街十番地。
首相・エドワード・ハーコートは、エミリー・ハートから届いた調査記録に、じっくりと目を通していた。
分厚い報告書は、写真、スケッチ、そして手書きの注釈で埋め尽くされている。
「彼女の報告書、実に丁寧ですな」
内務大臣が、資料を覗き込みながら感心したように言う。
「構造物の様式解析はもちろん、継刃の現象についても、時系列に沿って、極めて客観的にまとめられている」
「うちの国らしい仕事だ」
ハーコートは、満足げに頷いた。
「派手さはなくとも、堅実な記録だ。この報告書は、学術的な価値も高い。むしろ、あの日本側の政府発表よりも、詳細な部分すらある」
「大学側からも、彼女に対する評価が、急激に高まっているようです」
「当然だろうな。あの若さで、あれだけの現場に立ち会い、冷静に記録を残せる人材は、そう多くない」
ハーコートは、報告書の後半、手書きの所見に目を留めた。
『継刃の現象は、単なる武具の強化という以上の意味を持つように思われる。斬られた個体の記憶――あるいは魂とでも呼ぶべきものの一部が、刃の中に受け継がれているのではないか。これは、考古学的にも、極めて興味深い視座を我々に与えてくれる』
「ほう」
「彼女なりの、詩情のこもった考察ですね」
「悪くない」
ハーコートは、小さく笑った。
「継刃の一件、我が国での受け止め方は」
「概ね、好意的です。特に、学術界からは、『武具の成長』という現象そのものへの関心が高まっています。オックスフォードとケンブリッジ、両方から、共同研究の申し出が来ています」
「対抗心の強い両校が、珍しく足並みを揃えたか」
「今回ばかりは、国家的な関心事、ということなのでしょう」
「魔素の研究についても、進展があると聞いたが」
「はい。国内の探索者にも、知覚変化の兆候を示す者が、数名確認されています。うち一名は、視覚に特殊な変化を訴えており、経過観察を強化しています」
ハーコートは、資料を閉じた。
「引き続き、丁寧な観察を。それと」
「はい」
「ハート嬢の今回の働きに、正式な謝意を伝えてくれ。彼女のような人材を、これからも、大事に育てていきたい」
「かしこまりました。......閣下、もう一つ、ご報告が」
「なんだ」
「ハート嬢が、帰国後のインタビューで、こう答えています。『神崎さんの配信スタイルに、大きな影響を受けました。専門的な知見を、誰にでも分かる言葉で伝えることの大切さを、彼から学びました』と」
「良い影響だな」
「はい。彼女自身も、大学の講義とは別に、一般向けの解説チャンネルを始めるか、検討しているそうです」
「後押ししてやってくれ。この国にも、彼女のような、知的な発信者が増えるのは、良いことだ」
その日の夜、ハーコートは、私邸で、ハートの報告書を、もう一度、最初から読み返していた。
継刃という刀の性質。
人が力を宿す現象。
どちらも、これまでの人類の常識を、静かに、しかし確実に、書き換えつつある。
(面白い時代に、生きているものだな)
若い頃、物語の中でしか触れられなかった世界が、今、現実として、目の前に広がっている。
書斎の本棚には、若い頃から読み続けてきた、ファンタジー小説の全集が並んでいた。
その背表紙を、ハーコートは、少しの間、指でなぞった。
「......まぁ、いい」
小さく呟いて、報告書を閉じる。
紳士的に、しかし、確かな高揚を胸に、ハーコートは、次の一歩を見据えていた。
窓の外、テムズ川沿いの街灯が、一つ、また一つと灯り始めていた。




