2-9:無視できない数字
「臨時会議を招集した理由は、資料の通りです」
司会役の職員の声は、二週間前とは、明らかに違う緊張を帯びていた。
九条恒一は、配られた資料に、すぐさま目を落とす。
グラフが、前回とはまるで違う角度で伸びていた。
「......これは」
思わず、声が漏れた。
「二週間前の報告時点では、緩やかな上昇傾向、という表現でした」
職員が、淡々と続ける。
「しかし、直近一週間で、状況が変わりました」
次のスライドが映る。
層ごとの生物出現率。
三層から八層にかけて、軒並み、二週間前の一・五倍から二倍に達していた。
「探索者との交戦報告件数も、同期間で約二倍に増加しています」
「怪我人は」
「軽傷者が増加傾向にあります。現時点で、重傷者・死者の報告はありませんが」
九条は、資料をめくる手を止めた。
誤差の範囲、という言葉は、もう使えない。
「南くん」
「はい」
九条は、南一颯に視線を向けた。
「前回、君は氾濫、スタンピードという言葉を使った」
「はい、使いました」
「今の状況を見て、改めて意見を聞かせてくれ」
南は、資料を見つめながら、慎重に言葉を選んだ。
「率直に言えば、典型的な予兆パターンに近づいています」
「典型的、とは」
「複数の階層で、同時多発的に出現率が上昇する。これは、単一の個体が原因ではなく、ダンジョン全体、あるいは特定の深部で、何らかの構造的な変化が起きている可能性を示唆します」
「構造的な変化」
「例えば、深部で新しい階層が生成された。あるいは、既存の生態バランスを崩す個体、いわゆる上位個体が発生した。理由は様々考えられますが、どれも、我々の想像でしかありません」
九条は、こめかみを押さえた。
半年間、この現象と向き合ってきた。
だが、根本的なところで、まだ何一つ解明できていない部分が大きい。
「黒沢くんは」
「同意見です」
黒沢玲が、頷きながら答える。
「TRPGで例えるなら、GMがフィールドの奥に何かを配置した、という状態です。それが何かを確かめない限り、対策の立てようがありません」
「東雲さんは」
「絵的な話で恐縮ですが」
東雲環が、資料の写真を指差す。
「探索者から提出された、最近の層の写真です。壁面の苔の色が、以前よりわずかに変色しています。生態系全体に、何らかの変化が起きている可能性があります」
誰の意見も、明確な答えには辿り着かない。
だが、共通する一点があった。
「原因を特定する必要がある」
九条は、はっきりと言った。
「これ以上、データを眺めているだけでは、後手に回る」
「同感です」
防衛省の担当者が発言する。
「しかし、自衛隊による大規模調査は、時間がかかります。編成、装備、許可申請、どれも即応できる体制ではありません」
「では、どうする」
「......一つ、提案があります」
その担当者は、資料を一枚追加で配った。
「機動力のある、少人数での偵察調査です。深部への到達実績があり、かつ戦闘能力の高い、民間探索者の協力を仰ぐ案です」
「民間人に、危険な調査を任せるのか」
「あくまで任意の協力要請です。強制ではありません。ただ、大部隊での調査は、かえって現地の生態を刺激するリスクもあります。少数精鋭での偵察の方が、リスクを抑えられる可能性があります」
九条は、資料に目を通す。
候補として名前が挙がっている探索者のリストが、そこにあった。
「......この名前は」
資料の中に、見覚えのある名前があった。
「神崎錬司くんです」
職員が答える。
「Cランクとしての実績もさることながら、実は現場での戦闘能力についても、非公式ながら高い評価が集まっています」
「詳しく」
「複数の探索者から、単独で群れを制圧した、硬皮個体を一撃で処理した、といった報告が上がっています。本人はあまり公にしていませんが」
九条の脳裏に、あの懇談会の光景が蘇る。
一振りの刀を、誇らしげに見せてくれた青年。
あの穏やかな笑顔の裏に、そこまでの実力が隠れていたとは、正直、想像していなかった。
「本人の意向は」
「まだ打診はしておりません。総理のご判断を仰いでから、と考えておりました」
九条は、しばらく黙って資料を見つめた。
民間人に、危険な調査を頼む。
その重みは、分かっているつもりだった。
だが。
「南くん、黒沢くん」
「はい」
「もし本当に、これがゲームで言う『予兆』だとして」
「はい」
「対応が遅れれば、どうなる」
南は、少し間を置いてから答えた。
「最悪の場合、氾濫、つまり大量の個体が層の外――境界付近まで押し寄せる事態になります。もしそれが、封鎖範囲の外まで及べば」
「一般市民に、被害が及ぶ、ということだな」
「可能性としては、否定できません」
会議室が、静まり返った。
九条は、目を閉じ、しばらく考える。
慎重であることと、決断を先延ばしにすることは、違う。
これまで、この国は、常に前例のない選択を、一つずつ積み重ねてきた。
今回も、同じだ。
「よし」
九条は、目を開けた。
「調査団を編成する。神崎くんを含む、実績のある民間探索者数名に、正式に協力を要請してくれ」
「かしこまりました」
「ただし」
声に、力を込める。
「あくまで任意だ。強制はしない。危険性についても、包み隠さず説明した上で、本人の意思を確認すること」
「承知しました」
「調査範囲は」
「現在、異常の中心と見られる、八層から十層にかけての未探索区画を想定しています」
九条は、資料を閉じた。
半年前、あの門が初めて開いた日のことを思い出す。
あの時と同じ、いや、それ以上の緊張感が、今、この会議室に満ちていた。
「くれぐれも、慎重に。だが、迅速に進めてくれ」
「はい」
会議が終わり、一人になった執務室で、九条はスマホを取り出した。
この件を、直接伝えるべきかどうか、少し迷う。
だが、あの青年の、迷いのない目を思い出す。
(きっと、彼なら)
九条は、静かに資料を閉じ、窓の外を見た。
あの門の方角。
まだ、何も終わっていない。
むしろ、これからが。
本当の試練になるのかもしれなかった。




