間章-8:開けられない扉
ブラジリア、大統領府。
大統領・**エドゥアルド・アルヴェス**は、窓の外から聞こえる音に、しばらく耳を傾けていた。
シュプレヒコール。
遠くから響く、群衆の声。
「......状況は」
「サンパウロ、リオ、両方でデモが拡大しています」
治安担当大臣が、緊張した声で報告する。
「要求は」
「『ダンジョンを開放しろ』、それに尽きます」
アルヴェスは、目を閉じた。
この国が抱える問題は、単純ではない。
貧困。
格差。
仕事を求める、あまりに多くの人々。
そこに現れた、未知の構造物という存在は、多くの国民にとって、希望に見えているらしかった。
「日本や、他の国のニュースが広まるたびに、状況が悪化しています」
「......分かっている」
『あの国では、普通の人間が資格を取って、素材を得て、生活を変えている』
そういう情報が、SNSを通じて瞬く間に広がっていた。
真実の一部ではある。
だが、全てではない。
「大統領、率直に申し上げます」
治安担当大臣が続ける。
「現状、我が国には、安全な一般開放を行うだけの体制がありません」
「分かっている」
「調査班の人員も、予算も、圧倒的に不足しています。今、無理に開放すれば――」
「暴動が、さらに悪化するだけだ」
アルヴェスは、静かに言葉を継いだ。
治安の悪化した地域への立ち入りを、統制なく許可すればどうなるか。
武装した集団が、素材や利権を巡って争う未来は、容易に想像がついた。
「今、開けるわけにはいかん」
その一言は、簡単なようでいて、重かった。
国民が求めているものを、拒む決断だった。
「ですが、それをどう説明すれば」
「正直に言うしかない」
アルヴェスは、立ち上がった。
「治安を回復させることが、最優先だ。生活を安定させることが、最優先だ。安全でない状態で門を開けても、誰も幸せにならない」
「国民の反発は、避けられません」
「分かっている。それでも、だ」
アルヴェスは、窓の外を見た。
遠くに、デモ隊の掲げるプラカードが見える。
「日本や、他の国々の動きは、引き続き注視する。学べるところは、必ずある」
「では」
「今は、この国の足元を固める。それが、我々にできる、唯一の誠実な選択だ」
声には、悔しさが滲んでいた。
誰よりも、この国の人々の期待を分かっている。
だからこそ、拙速な開放が、さらなる悲劇を招くことも、分かっていた。
「治安部隊の増員を急げ。それと」
「はい」
「経済対策チームを招集しろ。ダンジョンに頼らずとも、希望を示せる道を、並行して探す」
簡単な道ではない。
だが、それ以外に、この国が今すぐ選べる道はなかった。
窓の外、群衆の声は、まだ止んでいなかった。




