1-32:開放の日
早朝、五時。
九条恒一は、まだ暗い空の下、公用車の窓から外を見ていた。
目的地は、あの門。
最初に開いた、北海道の観測地点。
今日、この場所が。
人類史における、一つの区切りになる。
「総理、まもなく到着します」
「分かった」
短く答え、資料に目を落とす。
この数ヶ月で、何度読み返したか分からない資料。
だが、今日という日を前にすると、また新しい気持ちで読めてしまう。
現場に着くと、既に多くの人だかりができていた。
報道陣。
警備の自衛隊員。
そして――
「......これは。」
思わず、声が漏れた。
封鎖線のすぐ外側に、長い列ができている。
資格を取得した、探索希望者たちだ。
年齢も、性別も、職業もばらばらの人々。
誰もが、緊張と期待の入り混じった顔で、あの門を見つめている。
「総理、お時間です」
促され、設営された壇上へ向かう。
カメラのフラッシュが一斉に焚かれる。
九条は、一度深呼吸をしてから、マイクの前に立った。
「本日をもちまして」
声を張る。
「ダンジョン――正式名称『未確認構造物群』への、一般探索者の立ち入りを解禁いたします」
どよめきが広がる。
だが、それはこれまでの会見とは違う種類の反応だった。
驚きではなく、待ちわびていたものが、ついに来た。
そういう空気だった。
「ここに至るまで、多くの方々のご尽力がありました」
九条は、あえてゆっくりと言葉を続ける。
「未知への恐怖を、冷静さで乗り越えてくれた研究者たち。危険を想定し尽くしてくれた、創作の世界の専門家たち。そして、慎重に、しかし着実に準備を進めてくれた、現場の職員たち」
一拍、置く。
「彼らの努力の全てが、今日、ここに実を結びます」
振り返る。
あの石造りの門。
最初に見た時は、ただ不気味なだけの構造物だった。
今は、そこに、人々の希望が集まっている。
「探索者の皆さん」
九条は、列を成す人々に向けて言った。
「未知は、恐れるべきものであると同時に、可能性でもあります。どうか、無理をせず、しかし胸を張って、その一歩を踏み出してください」
拍手が起こる。
小さく始まったそれは、やがて会場全体を包み込むほどの大きさになった。
「では」
九条は、静かに告げる。
「開放を、開始します」
封鎖線が、外される。
自衛隊員の誘導のもと、探索者たちが、一人、また一人と門へ向かって歩き出す。
九条は、壇上からその様子を見守った。
緊張した顔。
興奮を隠しきれない顔。
覚悟を決めた顔。
様々な表情が、あの門の向こうへと消えていく。
列の中に、若い青年が二人。
一人は年配の、小柄な男。
もう一人は、大きな荷物を背負った学生風の青年だった。
二人は何か言葉を交わしながら、笑い合っている。
九条の目には、その二人も、他の大勢の探索者たちと同じ、一組の姿にしか映らなかった。
その青年の背負った荷物の中に。
自分自身が打った、一振りの刀が収まっていることも。
その名前が、これまで何度も資料の隅に見かけたものと同じであることも。
この時の九条は、まだ気づいていない。
「総理」
秘書官が声をかける。
「世界各国からも、続報の要請が殺到しています」
「対応してくれ」
九条は、門の方角を見つめたまま答えた。
空間の歪みが現れてから、まだそれほど長い時間は経っていない。
それなのに。
この国は、ここまで来た。
誰も歩いたことのない道を、着実に、一歩ずつ。
「......さて」
小さく息を吐く。
これで、一つの区切りだ。
だが、本当の物語は、ここから始まる。
あの門の向こうで。
これから、何が起きるのか。
誰も、まだ知らない。




