4-24:二人の師匠
振り下ろされる爪が視界いっぱいに広がる。
もう避けられない。
体が、そう判断した。
その時だった。
「――水球!」
鋭い声と共に、水の塊が横合いから飛んできた。
酒呑童子の顔面に直撃する。
「ギャアッ......!」
初めて、明確な怯みが見えた。
振り下ろされかけた爪が、軌道を逸れる。
辛うじて、致命の一撃を、免れた。
「錬司さん!」
聞き覚えのある声。
振り返る。
息を切らした天音が、水筒を構えたまま立っていた。
「天音さん......? なんで」
「配信、見てました」
天音が、こちらへ駆け寄りながら答える。
「いても立ってもいられなくて」
「錬司!」
もう一つの声。
佐伯が、槌の代わりに、太い木の杖を手に、こちらへ走ってくる。
「師匠まで......!」
「わしのことは気にするな。それより――」
佐伯の視線が、酒呑童子へ向く。
その表情が、一瞬、険しくなった。
「あれが、夜桜さんか」
「......はい」
「聞いたぞ。配信で全てな」
佐伯の声に、重みがあった。
「大方の事情は、飲み込めたわい」
「私たち、あの人とまともに戦えるほどの実力はありません」
天音が、悔しさを滲ませながら言う。
「でも、少しでも時間を稼げれば」
「危険です、下がってください」
思わず、叫ぶ。
「あんな相手に近づいたら」
「錬司さんこそ」
天音が、まっすぐに見つめてくる。
「今、あなたの方が、限界に見えます」
言葉に、詰まった。
酒呑童子が、再び、体勢を立て直しつつあった。
時間は、多くない。
「錬司さん」
天音が、静かに、続けた。
「私、あの日、鬼、オーガの前で、何もできなかった。ただ、守られるだけだった」
「......はい」
「あの時、あなたが、迷いなく前に出てくれたから、私は今、ここにいます」
天音の目に、確かな覚悟があった。
「だから、今度は、私が、あなたの背中を押す番です」
「でも」
「斬りたくないんですよね」
図星を、突かれた。
「分かります。でも」
天音は、一度、言葉を切った。
「あの人は、あなたに、頼んだんですよね。止めてほしいって」
「......はい」
「なら、その頼みを、聞いてあげることが、優しさなんじゃないですか」
その言葉が、鈍く、胸の奥に、突き刺さった。
「錬司」
佐伯が、静かに、口を挟む。
「わしも、一つ、言うておきたいことがある」
「師匠......」
「お主、刀鍛冶じゃろう」
唐突な問いに、戸惑う。
「はい、そうですけど」
「なら、分かるはずじゃ」
佐伯の目が、まっすぐに、こちらを見据えた。
「折れた刀は、終わりじゃない」
その一言に、息を呑む。
継刃の記憶が、頭をよぎった。
あの日、折れた刀身に、赤みが差し、そして、新しく打ち直された、あの瞬間。
「大切なものを、一度、壊さねばならぬ時もある。じゃが、それは、失うことと同じではない」
佐伯の声が、続く。
「打ち直せば、また新しい形で、共に歩めるんじゃ」
「......新しい形で」
「そうじゃ。お主が、あの人を大切に想うなら。その想いを、断ち切る必要はない」
佐伯の言葉が、頭の中で、継刃を打ち直したあの日の記憶と、重なっていく。
折れた刀身。
赤みを帯びた断面。
それでも、諦めなかったから、あの刀は、今、こうして、手の中にある。
(斬ることは、終わらせることじゃない)
夜桜との時間を、なかったことにするわけじゃない。
むしろ、彼女の願いを、最後まで、聞き届けること。
それこそが、彼女を、本当の意味で、大切にすることなんじゃないか。
視界が、少しずつ、はっきりしてくる。
震えていた手に、力が、戻ってくる。
「......ありがとうございます」
深く、頭を下げる。
「天音さん、師匠。あとは、俺一人で」
「錬司さん」
「もう、大丈夫です」
継刃と結刃を、握り直す。
これまでとは、まるで、違う感触だった。
迷いが、消えている。
「下がっていてください。危ないので」
「......分かった」
佐伯が、頷く。
「天音さん、頼めますか。師匠を、安全な場所まで」
「はい。......錬司さん、頑張ってください」
「はい」
二人が、広間の隅へと下がっていく。
酒呑童子が、体勢を立て直し、再び、こちらへ、視線を向けた。
赤黒く濁った瞳。
だが、もう、それを見ても、心は、揺らがなかった。
「――夜桜さん」
小さく、呟く。
「あなたの頼み、ちゃんと、受け止めます」
継刃を、正眼に構える。
結刃を、その脇に添える。
子供の頃から、ずっと夢見てきた刀を打つこと。
そして、この二ヶ月、ずっと教わってきた剣を振るうこと。
その全てが、今、この一瞬に、収束していく。
「行きます」
地を、強く、蹴った。
二十層に、決着の刻が、訪れようとしていた。




