4-21:門の向こう
「――というわけで、これより単独で、内部の調査に向かいます」
配信画面に、いつもより硬い声が乗る。
視聴者数は、既に、これまでの最高を更新していた。
『無事に帰ってきて』
『無理だけはしないで』
『師匠さん、絶対無事だから』
コメント欄の言葉一つ一つが、今は、いつも以上に、重く響いた。
門をくぐる。
これまで、何十回と通ってきた道のはずだった。
だが、今日は、まるで違う。
一層に足を踏み入れた瞬間から、空気が張り詰めているのが分かった。
「......荒れてるな」
壁のあちこちに、爪痕のような傷。
地面には、普段は見かけない量の、瓦礫や土砂。
まるで、何かが、この通路を、激しく駆け抜けた後のようだった。
進むごとに、その痕跡は、色濃くなっていく。
三層。
五層。
これまで何度も潜ってきた、勝手知ったる道。
だが、そこにいるはずの個体の姿が、ほとんど見当たらない。
「みんな、外に出て行ったのか」
独り言が、静かな通路に、虚しく響く。
いや、正確には、違う。
時折、遠くから、地響きのような音が聞こえてくる。
まだ、内部にも、何かが、蠢いている。
「急ごう」
継刃と結刃を、それぞれ確かめる。
立ち止まっている暇は、ない。
十層を過ぎたあたりで、初めて、行く手を阻む個体と遭遇した。
以前、共同探索団で戦った時よりも、明らかに、体の色つやが違う。
全身に、禍々しい魔素の気配を、纏っていた。
「......っ」
継刃を抜き、迎え撃つ。
だが、以前とは、明らかに、手応えが違った。
力が強い。
動きも速い。
それでも。
「今の俺なら」
この二ヶ月、夜桜に叩き込まれた技術。
力任せではなく、構造を読み、最短の一撃で、急所を捉える。
一合、二合。
やがて、正確に見極めた一点に、刃が届いた。
個体が、地響きと共に、崩れ落ちる。
「......はぁ」
息を整える暇もなく、また、進む。
『すごい、あんな強いのを一撃で』
『二ヶ月でここまで成長するのか』
『師匠に会いに行くための力なんだな』
コメントを横目に、足を止めずに、先へ進む。
十五層。
十八層。
これまでの探索で、何度も通ってきたはずの通路。
だが、今は、そのどこにも、いつもの静けさがなかった。
どこからか響く、獣の唸り声。
崩れかけた岩壁。
空気そのものが、重く、粘つくように感じられた。
「あと少し」
自分に言い聞かせるように、呟く。
二十層への、最後の下り階段。
いつもなら、そこに近づくにつれて、あの淡い桜の香りが、微かに漂ってくるはずだった。
だが、今日は、違う。
「......匂いが、しない」
階段を下りながら、違和感が、じわじわと、胸に広がっていく。
いつもの、優しい花の香りではない。
代わりに、鼻をつくような、濃密な、異様な気配。
『二十層、着きましたか?』
『花びら見えないんだけど......』
視聴者たちも、その異変に、気づき始めていた。
最後の段を、下りきる。
目の前に広がる光景に、思わず、足が止まった。
「......これは」
いつも、桜の花びらが、静かに舞っていたはずの広間。
その花びらは、今、赤黒く、変色していた。
まるで、血の色を、吸い込んだかのように。
空気は、これまで感じたことのないほど、重く、濃い魔素で満ちている。
立っているだけで、肌が、じりじりと痺れるような感覚があった。
「夜桜さん......?」
声を上げる。
だが、返事はない。
代わりに、広間の奥、うっすらと立ち込める霧のような気配の中から。
何かが、こちらを、じっと見ている気配だけが、確かに、伝わってきた。
『何あれ』
『やばい、やばくないですか』
『刀オタクさん、逃げて......!』
コメント欄が、悲鳴に近い声で、埋め尽くされていく。
だが、自分の足は、動かなかった。
いや、動かせなかった。
あの、変わり果てた広間の奥。
そこに、確かに、彼女の気配があった。
「夜桜さん、いるんですよね」
震える声を、抑えながら、もう一度、呼びかける。
広間の奥、霧の向こうで、何かが、ゆっくりと、動いた。




