4-20:一人で行かせてくれ
スマホの緊急速報が鳴った瞬間、体が勝手に動いていた。
**【緊急速報】北海道の封鎖区域にて大規模な氾濫が発生。周辺住民は避難を】**
「......嘘だろ」
夜明け前の空を見上げる暇もなく、装備を掴み、家を飛び出す。
頭の中には、ただ一つのことしかなかった。
(夜桜さんは、大丈夫なのか)
いつも通り、二十層にいるはずの彼女。
もし、今回の氾濫の中心が、あの層の近くだとしたら。
連絡を取る手段は、ない。
ただ、現地へ向かうしかなかった。
新幹線と車を乗り継ぎ、現地に到着した頃には、既に、防衛線での戦闘が続いていた。
「これは......」
目の前に広がる光景に、息を呑む。
封鎖区域の外周、いくつもの探索者と自衛隊員が、次々と現れる個体と、休みなく交戦していた。
これまで見てきた、どの映像とも、比較にならない規模だった。
「神崎!」
聞き覚えのある声に、振り返る。
「相馬さん!」
相馬が、疲労の色を隠せない顔で、駆け寄ってくる。
「来てくれたか助かる」
「状況は」
「見ての通りだ 防衛線を維持するので精一杯だ」
説明を受ける間もなく、新たな個体が、フェンスの向こうから、姿を現す。
「行きます」
継刃と結刃を抜き、前に出る。
この二ヶ月、夜桜から叩き込まれた型。
振るう度に、無駄のない動きで、個体を、次々と斬り伏せていく。
以前の自分なら、考えられなかった速さだった。
だが、心のどこかは、まるで、別の場所にあった。
(夜桜さん)
彼女がいる、あの二十層。
もし、今回の氾濫の原因が、あの辺りにあるのだとしたら。
彼女は、無事なのか。
巻き込まれていないのか。
考えれば考えるほど、焦りが募る。
「神崎、集中しろ!」
相馬の声に、我に返る。
「す、すみません」
目の前の個体を、なんとか、仕留める。
だが、その隙のできた一瞬を、相馬は、見逃さなかった。
「......何を抱えている」
戦闘の合間、相馬が、静かに、尋ねてきた。
「え」
「お前らしくない動きだった 何か気にかかっていることがあるだろう」
図星だった。
「......二十層に、俺の師匠がいるんです」
思わず、正直に、口にしていた。
「あの、配信で紹介した」
「夜桜、という女性か」
「はい。今回の氾濫の中心が、もし、あの辺りだったら」
相馬は、しばらく、黙って、こちらを見ていた。
「無事だと信じているのか」
「......分かりません。でも」
言葉に詰まる。
だが、心の奥では、はっきりとしていた。
「確かめたいです。この目で」
相馬は、深く、息を吐いた。
「分かった」
「え」
「少し待っていろ」
相馬は、無線機を手に、その場を離れていく。
しばらくして、戻ってきた相馬の表情は、真剣なものだった。
「上に進言してきた」
「なんて言ったんですか」
「今この防衛線に、内部の調査へ回せる余力は一切ない。全員が外周の維持で限界だ」
「はい」
「だが、お前は違う」
相馬が、まっすぐに、こちらを見る。
「お前は、この国で唯一、二十層まで単独で到達した実績を持つ探索者だ。継刃という他に類を見ない武器も持っている。そして」
「そして?」
「行くべき理由がある」
相馬の言葉に、胸が、熱くなった。
「政府の判断は」
「まだ返答待ちだ。だが俺は進言した。今この状況を打開できるとしたら、それは大部隊での再突入ではない。単身で迅速に原因へ辿り着ける者だ、と」
「......ありがとうございます」
「礼はいい。ただし」
相馬の目が、鋭くなる。
「無茶はするな。お前が死ねば全て水の泡だ」
「はい」
その時、相馬の無線機が、鳴った。
短いやり取りの後、相馬が、こちらを見た。
「政府から許可が下りた」
「......本当ですか」
「神崎錬司、お前一人でのダンジョン内部調査を、正式に承認する、とのことだ」
その言葉に、迷いは、一切なかった。
「行きます」
「一つ、条件がある」
「なんですか」
「配信をつけて潜れ、とのことだ」
「......今回もですか」
「安全確認と、状況把握のためだ。単独行動になる以上、こちらが、お前の状況をリアルタイムで把握できる手段は、それしかない」
「分かりました」
「装備の最終確認をしろ。それと」
相馬が、少しだけ、表情を緩めた。
「無事に師匠を見つけてこい」
「はい」
封鎖区域の入り口へ向かいながら、腰の二振りに、そっと手を添える。
継刃と、結刃。
この二ヶ月、共に、鍛え上げてきた力。
それが、今、初めて、本当の意味で、試される時が来る。
朝日が、封鎖区域の向こうに見える、あの門を、静かに照らしていた。
装備の最終点検を終え、門の前に立つ。
まだ、足を踏み入れてはいない。
だが、迷いは、もう、どこにもなかった。
「......待っててください、夜桜さん」
小さく、そう呟いて、静かに、息を整えた。




