4-18:二十層の謎の女性
「総理、神崎くんの配信について、報告が上がっています」
執務室に、資料が届く。
九条恒一は、資料を受け取りながら、少し、興味を引かれた。
「夜桜、という女性の件だな」
「はい。ご存知でしたか」
「配信は、時々、見ている」
九条は、静かに認めた。
「あの手の飄々とした人物は、嫌いではない」
資料を、めくる。
二十層に住み、神崎の戦闘の師匠を名乗る、謎の女性。
毒舌ながらも、視聴者との掛け合いを楽しみ、酒を好み、時折、驚くほど専門的な知識を披露する。
「探索者登録は」
「確認されていません」
職員が、答える。
「本来であれば、無資格での深層滞在は、看過できない事案です。特に、二十層という深さは、通常であれば、極めて高い危険度が想定される区域です」
「だが」
「はい。本人の実力は、映像から見る限り、疑いようがありません。むしろ、危険にさらされているのは、彼女自身ではなく、周囲だと考える方が、自然です」
九条は、頷いた。
あの映像を見た限り、彼女が、何かに脅かされる姿は、想像しがたい。
「彼女の正体について、把握している範囲は」
「率直に申し上げて、ほとんど分かっていません」
職員が、正直に答える。
「戸籍上の記録は、一致するものが見つかっていません。だからといって、非人間的な存在である、と断定する根拠も、今のところありません」
「つまり、人間として、扱っている、ということだな」
「はい。現時点では、素性不明の、非常に高い実力を持つ人物、という位置づけです」
九条は、資料の中の、彼女の発言記録に目を通した。
継刃という刀に関する、詳細な考察。
そして、スタンピードの原理についての、驚くほど的確な説明。
「この、スタンピードに関する説明は」
「研究班からも、高く評価されています。これまで、我々が独自に積み上げてきた仮説と、細部まで一致しています。むしろ、より深く、体系的な理解を持っているようにすら見えます」
「危険な存在だとは、思わないのか」
「今のところ、そうした兆候は、一切ありません」
職員は、はっきりと答えた。
「神崎くんとの関係は、良好です。彼のリスナーたちとの間にも、確かな信頼関係が築かれています。もし、悪意を持った存在であれば、これほど長く、穏やかな関係を維持できるとは、考えにくいです」
九条は、しばらく、黙って考え込んだ。
「対応方針は、どう考えている」
「性急に、身元を調査したり、接触を試みたりすることは、避けるべきかと」
職員は、慎重に、言葉を選んだ。
「彼女は、この国のダンジョンに関する、貴重な知見を持っている可能性が高い人物です。もし、我々が、彼女に対して、警戒や敵意を示すようなことがあれば、その信頼を、失いかねません」
「今は、静観する、ということだな」
「はい。当面は、神崎くんを通じて、良好な関係を保つことを優先します。彼女に対する、当局からの負の印象を、極力抱かせないように」
「そして、いずれ」
九条が、続きを引き取る。
「彼女自身の意志で、我々と、協力関係を築いてくれる日を、待つ、ということか」
「その通りです」
九条は、小さく頷いた。
「悪くない判断だ」
この国は、これまでも、性急な決断より、丁寧な積み重ねを選んできた。
鬼――いや、オーガとの戦いの後も。
魔法という力の公表の時も。
常に、拙速を避け、信頼を築くことを、優先してきた。
「彼女が、もし、本当に、この国のダンジョンの謎を知る存在なのだとしたら」
九条は、静かに、資料を閉じた。
「その知見は、いずれ、我々にとって、計り知れない財産になるだろう」
「同感です」
「引き続き、神崎くんとの関係を、大切にするよう、それとなく伝えてくれ。彼にも、彼女にも、無理な負担をかけぬように」
「かしこまりました」
職員が退室した後、九条は一人、窓の外を見た。
あの門が開いてから、一年半以上。
この国は、常に、未知との向き合い方を、模索し続けてきた。
性急な支配ではなく、丁寧な信頼の積み重ね。
それが、この国が選んだ、答えだった。
(二十層の、あの女性か)
九条は、小さく、興味深そうに呟いた。
いつか、彼女自身の口から、その正体が語られる日が、来るのだろうか。
それとも、謎のまま、静かに、この国の歴史の片隅に、留まり続けるのか。
答えは、まだ、誰にも分からなかった。
窓の外、夕暮れの空が、静かに、色を変えていった。




