4-14:師匠、外を知る
夜桜と出会ってから、二ヶ月が経っていた。
「まだまだ、甘いのう」
軽やかな声と共に、体が、宙を舞う。
「――っ」
地面に叩きつけられる寸前で、なんとか受け身を取った。
肺の空気が、一瞬、押し出される。
「......今のは、なんですか」
「見ての通り、投げただけじゃ」
夜桜が、涼しい顔で、袖を払う。
この二ヶ月、体は、確実に鍛え上げられてきた。
継刃と結刃、二刀を同時に振るう体幹。
あの日から比べれば、フィジカル面では、間違いなく、以前の自分より強くなっている自覚がある。
だが。
「くっ......!」
継刃を、正面から振るう。
力任せの一撃。
これまでなら、並の相手なら、受け止めることすら難しいはずの威力だった。
だが、夜桜は、最小限の動きで、その軌道を、すっと逸らした。
「力は、ついてきておる。じゃが」
夜桜の体が、まるで、風のように、間合いの内側へ滑り込む。
「力任せの一撃など、技の前では、児戯にすぎぬ」
軽く、手のひらで、肩を押される。
それだけで、体勢が、大きく崩れた。
「......っ」
「まだまだ、じゃな」
夜桜は、余裕の笑みを浮かべたまま、こちらを見つめている。
悔しいが、事実だった。
フィジカルでは、恐らく、今の自分の方が、彼女を上回っている。
なのに、技術の差が、それを、まるで覆せない。
「もう一本」
「よかろう」
結刃も抜き、二刀の構えを取る。
この二ヶ月で、夜桜から教わった型を、頭の中で、丁寧になぞる。
継刃の気配を、結刃へと通す。
この感覚も、少しずつ、掴めてきていた。
だが、その一瞬の意識の隙を、夜桜は、決して見逃さない。
「甘い」
瞬きの間に、間合いを詰められる。
振るった継刃は、空を切り、結刃も、彼女の残像を捉えるだけだった。
「くそっ......」
思わず、悔しさが声に出る。
「良い顔じゃ」
夜桜が、満足そうに笑った。
「悔しがる者は、伸びる。慢心する者は、そこで終わる」
息を整えながら、その言葉を、噛み締める。
どれだけ体を鍛えても、まだ、彼女には、遠く及ばない。
だが、その差が、逆に、確かな目標になっていた。
「今日は、ここまでにしようか」
夜桜が、いつもの岩場に、腰を下ろす。
「今日の酒は、何を持ってきた」
「はい、これです」
差し出した瓶に、夜桜は、興味深そうに目を細めた。
「錬司」
「はい」
「お主が話してくれる、外の話。あれは、いつも、面白いのう」
夜桜が、ふと、そんなことを言い出した。
これまで、少しずつ、地上の変化について、話してきていた。
ダンジョンが開放されたこと。
世界中の人々が、探索者になっていること。
そして、配信という文化を通じて、自分の日々が、誰かに見られていること。
「外の世界、というのは、そんなに、賑やかなものなのか」
「賑やかですよ。人がたくさんいて、色んな考えの人がいて」
「わらわも、少し、見てみたいものじゃな」
夜桜の目に、珍しく、子供のような好奇心が浮かんでいた。
「お主が言う、あの、配信、というやつ。今日、やってみぬか」
「......え、いいんですか」
「気まぐれじゃ」
夜桜は、悪戯っぽく笑った。
「わらわのことを、外の者たちに、見せてやってもよい」
少し悩んだ。
彼女の正体は、まだ、自分にも分からない。
だが、この二ヶ月で積み重ねてきた信頼が、迷いを上回った。
「分かりました。じゃあ、今日だけ、つけてみます」
配信を起動する。
いつもの見慣れた通知が、画面に流れ始めた。
『刀オタクさん、久しぶりの配信!』
『二十層だ!?』
『誰、その着物の人!?』
コメント欄が、一気に沸き立つ。
「皆さん、今日は、少し特別な回です」
カメラを、夜桜に向ける。
「この方が、俺の戦闘の師匠です」
「夜桜と申す」
夜桜が、優雅に一礼する。
『美人すぎる』
『師匠!?いつの間に!』
『二十層に住んでるの?』
『声もいい......』
コメントが、怒涛のように流れていく。
「面白いのう、これは」
夜桜は、興味深そうに、コメントの流れる画面を覗き込んだ。
「これが、外の者たちの、声か」
「はい」
「わらわのことを、こんなにも、たくさんの者が見ておるのか」
どこか、感慨深そうな声だった。
『師匠に稽古の様子見せてほしい!』
コメントの一つを見て、夜桜が、面白そうに笑った。
「よかろう。今日は、特別に、見せてやろう」
夜桜が、静かに立ち上がる。
その佇まいだけで、配信画面越しにも、只者ではない気配が、確かに伝わったようだった。
『これは強い』
『構えだけで分かる』
『刀オタクさんの師匠、格が違う』
その日の配信は、これまでにない盛り上がりを見せた。
夜桜は、時折、視聴者からの質問にも、気まぐれに答えた。
だが、自分自身の正体については、最後まで、はぐらかし続けた。
『夜桜さんって、どこの人なんですか?』
「さて、な」
その一言で、笑って済ませてしまう。
配信を終えた後、夜桜が、満足そうに呟いた。
「今日は、楽しかったのう」
「気に入ってもらえて、よかったです」
「また、やってもよいぞ。気が向いた時にな」
「はい」
地上への帰路につきながら、ふと、思う。
彼女が、なぜ、いつもこの層にいるのか。
なぜ、地上の話に、あれほど興味を示すのか。
まだ、何も、知らない。
でも、その謎めいたところも含めて、自分にとって、かけがえのない師匠になっていた。
二十層に舞う、桜の花びらを、最後にもう一度、振り返る。
その光景が、いつまでも、静かに、脳裏に焼き付いていた。




