4-13:底上げされる戦力
「総理、月次の魔法訓練プログラムの報告書です」
執務室に、資料が届く。
九条恒一は、資料を受け取り、静かに目を通し始めた。
「まず、訓練修了者の実戦運用率についてです」
職員が、説明を始める。
「訓練プログラム参加者のうち、実戦で安定して魔法を使用できるようになった者は、現時点で十七名。うち、複数属性を扱える者は、まだおりません」
「天音くん一人が、突出しているわけだな」
「はい。他の修了者は、いずれも、単一属性の、簡易な形状のみの運用に留まっています。ですが」
「ですが?」
「それでも、確かな戦力の底上げにはなっています。特に、これまで身体能力面で不利だった探索者にも、新たな選択肢が生まれています」
九条は、資料をめくった。
水を操る者。
微弱な炎を扱う者。
風を、わずかに操作できるようになった者。
いずれも、天音の力量には遠く及ばない。
だが、確かに、それぞれの持ち場で、新たな武器を得ている。
「詠唱という手法は、天音くんの発案か」
「厳密には、有識者委員会からの助言を、天音氏自身が実践し、確立した手法です。今では、その方法論が、訓練プログラム全体の標準的な指導内容になっています」
「彼女の功績は、大きいな」
「はい。単なる、突出した実力者というだけでなく、他者を導く力にも、卓越しています」
九条は、頷いた。
あの日、震えながら水を浮かせていた少女が、今や、この国――いや、世界の、魔法という新分野の、事実上の礎になっている。
「水域探知の件は」
「はい。既に、安全管理プロトコルに、正式に組み込む方向で調整を進めています。天音氏本人が、他の探索者への技術移転にも、積極的に協力してくれています」
「実戦での評価は」
「非常に高いです。特に、集団での探索において、事前に危険を察知できることの価値は、計り知れません。今後、彼女の技術を応用した、集団探知の仕組みも、検討に値するかと」
「良い流れだ」
九条は、資料を閉じた。
「魔法陣の研究については、どうなっている」
「黒沢氏を中心に、正式な研究会が発足しました。天音氏の、あの単純な円の実験結果を、出発点としています」
「まだ、何も分かっていないのだろう」
「はい。ですが、少なくとも、単純な形が、単純な機能を持つ、という一点は、実証されました。これを足がかりに、体系的な研究を進める方針です」
「新しい学問の、始まりということだな」
「有識者委員会からは、『魔法学』という呼称も、提案されています」
九条は、小さく笑った。
「大層な名前だ」
「ですが、的確な名前でもあります」
九条は、窓の外を見た。
あの門が開いてから、一年半近く。
この国は、探索者制度を作り、継刃という現象を発見し、そして今、魔法という、人類の新しい可能性を、少しずつ、確かな形にしている。
「今後の方針としては」
「引き続き、慎重な運用を続けます。天音氏の方針通り、性急な拡大は避け、着実に、安全な体制を築いていきます」
「同感だ」
九条は、頷いた。
「ただ、一つ、気になることがある」
「なんでしょう」
「もし、この国全体の探索者の実力が、着実に底上げされているのなら」
九条は、少し、遠くを見るような目をした。
「万が一、あの時のような異変――氾濫が、再び起きた時、我々は、あの時より、うまく対応できるだろうか」
職員は、しばらく、言葉を選んだ。
「戦力としては、確実に、向上しています。ですが、油断は禁物です。あの時も、予兆に気づいてから、対応まで、決して余裕があったわけではありません」
「そうだな」
九条は、静かに頷いた。
「引き続き、監視は怠るな。魔素の動向についても、定期的な報告を続けてくれ」
「かしこまりました」
職員が退室した後、九条は一人、資料の最後、天音の写真を、静かに見つめていた。
この一年半で、この国の若者たちは、幾度も、想像を超えてきた。
だが、その先に、まだ見ぬ試練が待っていないとは、誰にも言い切れない。
(備えは、常に、怠らぬように)
窓の外、夕暮れの空を見上げながら、九条は、静かに、そう自分に言い聞かせていた。




