4-12:気配は、水に乗る
詠唱の技術を確立してから、二ヶ月が経っていた。
水球、水刃、水の膜。
いずれも、瞬き一回分ほどの速さで、扱えるようになっている。
実戦での評価も、着実に上がっていた。
『天音さん、今日も水刃綺麗でしたね』
『反応速度えぐくないですか』
配信のコメント欄にも、素直な驚きの声が並ぶようになっていた。
だが、天音自身は、それだけで満足していなかった。
「......そもそも、私が水を感じ取れるのは、なぜだろう」
ある夜、自室で、ふと、原点に立ち返って考えていた。
思えば、魔法に目覚めるより前から、自分には、他の探索者より、周囲の違和感に気づきやすいという、変わった感覚があった。
あの日、光る粒子――魔素に、他の誰よりも早く反応したのも、その感覚のおかげだった。
そして、初めて発現した力もまた、「水の流れを見る」という、知覚に近いものだった。
(水を操ることも、水を感じ取ることも、根っこは同じなんじゃないか)
水球を作る時、天音は、まず、目の前の水の分子の動きを、細かく感じ取っている。
その感覚を、もっと、広い範囲に広げられないか。
思いついた瞬間、いても立ってもいられなくなった。
翌日、研究施設の一室で、さっそく試してみることにした。
「今日は、少し変わった実験をしてみます」
「変わった実験、とは」
担当の研究員が、興味深そうに尋ねる。
「水を操るんじゃなくて、水を感じ取る範囲を、広げてみようと思って」
目を閉じ、意識を集中させる。
いつもは、目の前のコップ一杯分の水だけに向けていた感覚を、意識的に、部屋全体へ広げていく。
壁の中の、わずかな湿気。
空気中に漂う、目に見えない水蒸気。
研究員の、呼吸に混じる、微かな水分。
「......あ」
突然、頭の中に、部屋全体の輪郭のようなものが、浮かび上がった。
目を開けなくても、部屋のどこに、誰が、どんな姿勢で立っているのか、なんとなく分かる。
「天音さん、大丈夫ですか」
「はい、大丈夫です。ちょっと、待ってください」
もっと、範囲を広げてみる。
隣の部屋。
さらにその先の廊下。
範囲が広がるごとに、感覚は薄れていくが、それでも、確かに、何かが「見える」。
「......これ、使えるかもしれません」
興奮を抑えきれず、思わず声が出た。
その週末、実際にダンジョンで、検証を行うことになった。
三層、比較的広い区画。
「では、始めます」
目を閉じ、意識を、周囲一帯に広げる。
これまでの訓練で培った、水を感じ取る感覚。
それを、目一杯、拡張する。
空気中の湿気。
岩肌の、わずかな水分。
そして――生物の、体内の水分。
「......いた」
通路の先、曲がり角の向こう。
姿は見えない。
だが、確かに、何かが動いている気配が、感覚として、はっきりと伝わってくる。
「前方、曲がり角の先に、個体を確認しました」
同行していた研究員が、慎重に前進し、確認する。
「......本当に、いました」
驚いた様子で、報告が上がる。
「距離は」
「約二十メートル先です」
「見えない距離、見えない角度からでも、感じ取れるんですね」
天音自身、驚いていた。
これまでの索敵能力とは、比較にならない精度だった。
持ち前の勘に加えて、魔法という、確かな裏付けが加わっている。
「これ、名前をつけるとしたら」
研究員が、興奮気味に尋ねる。
少し考えてから、答えた。
「......『水域探知』、とかで、どうでしょう」
地味な名前だと、自分でも思う。
だが、それでいい。
派手さより、確実さを大事にしたかった。
「詠唱は」
「まだ、決めてないです。これから、詰めていきます」
持ち帰った検証データを見ながら、天音は、静かに、達成感を噛み締めていた。
思えば、この力の全ては、あの時から始まっていた。
誰よりも早く、あの光る粒子に気づいた、あの瞬間から。
周りに変わっていると言われ続けてきた、あの感覚。
それが、無駄ではなかった。
むしろ、それこそが、自分だけの武器の、原点だった。
(まだ、これで終わりじゃない)
実戦での攻撃手段。
そして今、仲間を守るための、索敵手段。
自分の力を、少しずつ、確かな形にしていく。
その先に、あの日、鬼を前に無力だった自分とは、違う自分が、待っているはずだった。
窓の外、夜空を見上げながら、天音は、小さく、しかし確かな決意と共に、微笑んでいた。




