4-10:詠唱という発明
内閣府の一室。
天音澪は、緊張しながら、四人の有識者委員と向き合っていた。
九十九蒼、東雲環、黒沢玲、南一颯。
これまで、間接的に資料でしか名前を知らなかった人たちに、直接、相談を持ちかける機会を得たのは、研究班の紹介がきっかけだった。
「実戦での応用に、行き詰まっている、とのことですが」
南が、資料に目を通しながら、確認するように言う。
「はい」
天音は、率直に、これまでの経緯を話した。
水を操ること自体は、もう、自在にできること。
だが、それには、深い集中が必要で、実戦のような、状況が目まぐるしく変わる場面では、とても間に合わないこと。
「なるほど」
黒沢が、腕を組んで唸る。
「それは、TRPGで言うところの、『準備アクションと即応アクションの差』みたいなものですね」
「準備アクション、ですか」
「はい。呪文の詠唱に、ターン数がかかるゲームは、よくあります。強力な効果ほど、準備に時間がかかる。逆に言えば、事前に準備を済ませておけば、発動そのものは、一瞬で済む」
「事前に、準備......」
「私からも、提案があります」
南が、身を乗り出した。
「ゲームデザインの世界では、複雑な操作を、単純な入力に置き換える手法を、よく使います。例えば、格闘ゲームの必殺技。何十というパラメータで構成された技を、実際には、レバーとボタンの、決まった組み合わせ一つで、瞬時に呼び出せるようにする」
「それを、魔法に応用する、ということですか」
「はい。天音さんが、既に自在に操れる水の形――例えば、球体、刃、膜。それぞれを、あらかじめ、頭の中で、丁寧に組み立てておくんです。時間をかけて、静かな環境で」
「はい」
「その上で、それぞれの形に、固有の『言葉』を、割り当てる」
「言葉......」
「詠唱、というやつですね」
九十九が、楽しそうに口を挟んだ。
「ファンタジー小説の世界では、定番の手法です。魔法使いが、呪文を唱えることで、魔法を発動する。あれは、単なる演出だけじゃない。実は、理にかなった仕組みだと、私は思います」
「理にかなっている、というと」
「事前に決めた言葉と、事前に組み立てた術式を、強く結びつける。何度も、繰り返し、練習することで、その結びつきは、どんどん強くなる」
九十九は、続けた。
「やがて、その言葉を口にした瞬間――いえ、口にしなくとも、頭の中で強く念じるだけで、体が勝手に、その術式を呼び出せるようになる」
「反射的に、ということですか」
「はい。スポーツ選手が、体に染み込ませた動きを、考えるより先に、体が動くのと同じです」
東雲も、頷きながら続ける。
「漫画でも、同じ発想はよくあります。必殺技名を叫ぶキャラクター、実は、あれにも意味があるのかもしれません。名前を叫ぶことで、意識を、その技の完成形に、一瞬で引き戻しているんです」
天音は、思わず、身を乗り出していた。
「それなら、実戦の中でも」
「はい。深く集中する時間がなくても、短い言葉一つで、事前に準備した術式を、瞬時に呼び出せるはずです」
「試してみます」
天音は、迷わず頷いた。
「トリガーとなる言葉は、自分で決めていいんですか」
「もちろんです。天音さんにとって、覚えやすく、口にしやすい言葉がいいでしょう」
その場で、いくつか候補を出し合った。
最終的に、水球のための短い言葉と、水刃のための、また別の言葉を、仮に決めてみることになった。
「あとは、繰り返しの訓練次第です」
南が、締めくくるように言った。
「頭ではなく、体に、覚えさせてください」
「はい、ありがとうございます」
深く、頭を下げる。
だが、話が終わりかけたところで、黒沢が、ふと、思い出したように口を開いた。
「そういえば、もう一つ、気になっている案があります」
「なんでしょう」
「魔法陣、です」
「魔法陣......」
どこかで聞いたことのある言葉だった。
「詠唱が、いわば、体に刻んだプログラムだとすれば」
黒沢は、資料に、簡単な図を描きながら説明する。
「魔法陣は、その術式を、外部の器に、あらかじめ組み込んでおく発想です。電気で言うところの、回路図に近い」
「回路図......」
「はい。ただし」
黒沢は、真剣な顔で続けた。
「これは、詠唱とは違って、誰でも好きな形を描けばいい、という話ではありません。魔力の流れには、恐らく、正しい理屈があるはずです。それに沿った、意味のある形でなければ、ただの落書きにしかならないでしょう」
「難しそうですね」
「はい。恐らく、電気回路の設計と同じくらい、専門的な知識が必要になります。まだ、誰も体系立てて研究していない分野です」
「試してみても、いいですか」
天音は、興味を抑えきれず、そう尋ねた。
「もちろんです。ただ、過度な期待はなさらず」
その場にあった紙とペンを借り、天音は、深く考えずに、簡単な円を、一つ描いた。
「これに、魔力を通してみます」
指先を、円の上に置く。
意識を集中させ、魔素を、その線に沿って流し込む。
......何も、起きなかった。
いや。
「......あ」
円の線が、ほんの一瞬、淡く発光した。
「今、光りましたね」
東雲が、身を乗り出す。
「はい。でも、それだけです。水を動かしたり、何か形を作ったりは、できませんでした」
「単純な円、ですからね」
黒沢が、興味深そうに、その紙を覗き込んだ。
「恐らく、それは、何かを生み出す回路ではなく、ただ魔力を通すだけの、最も単純な回路として、たまたま成立したのでしょう。電気で言えば、ただの導線のようなものです」
「導線......」
「ですが」
黒沢の目に、確かな輝きが灯った。
「これは、大きな一歩かもしれません。単純な形でも、魔力を通す回路として機能する。ならば、正しい理屈に基づいた、より複雑な形を描けば――」
「もっと、色んなことができるようになる、ということですか」
「可能性としては、十分にあります。ただ、それを解明するには、恐らく、一つの学問として、体系立てて研究する必要があるでしょう」
その言葉に、天音は、胸の高鳴りを覚えた。
詠唱という、すぐに試せる、確かな手応え。
そして、魔法陣という、まだ誰も踏み込んでいない、新しい可能性。
どちらも、これからの自分の力を、大きく広げてくれる予感があった。
「今日は、本当に、ありがとうございました」
深く、頭を下げる。
「頑張ってください」
南が、笑顔で言った。
「あなたの挑戦が、これから続く、たくさんの人たちの、道標になるはずです」
その言葉を胸に、天音は、内閣府を後にした。
まずは、詠唱の訓練から。
地道な積み重ねの先に、きっと、実戦でも使える力が、待っている。
夜空を見上げながら、天音は、静かに、次の一歩への決意を固めていた。




