4-4:水の指南役
水面に、小さな渦が生まれる。
意識を集中させると、その渦は、意のままに形を変えた。
球体。
薄い刃のような形。
そして、細く鋭い、針のような一筋。
「......よし」
天音澪は、小さく息を吐いた。
あの日、初めて水を浮かせてから、もう半年以上が経つ。
最初はほんの一滴を動かすだけで精一杯だった。
今は、目の前に置いた水桶一杯分を、自在に操れるようになっている。
研究施設の白い部屋。
いつもの検証スペースで、一人、黙々と鍛錬を続けていた。
「今日も、絶好調ですね」
担当の研究員が、モニターの数値を見ながら言う。
「まだまだです。実戦で使えるレベルには、程遠いので」
「十分すぎるくらいだと思いますが」
研究員は、苦笑しながら記録をつけた。
この半年で、天音は、この施設で最も進んだ、そして唯一の「魔法使い」になっていた。
他にも、知覚変化を訴える探索者は、少しずつ増えている。
だが、実際に、明確な現象――魔法と呼べるものを、繰り返し安定して発現できるのは、依然として、天音一人だけだった。
「天音さん、少しお時間よろしいですか」
鍛錬を終えた頃、施設の責任者が、改まった様子で部屋に入ってきた。
「はい」
「政府から、正式な打診が来ています」
差し出された資料に、目を通す。
**魔法技術に関する国際共同研究プログラムへの参加、及び指導役としてのご協力について**
思わず、資料を持つ手が止まった。
「......指導役、ですか」
「はい。あなたのこれまでの実績と、丁寧な説明能力を高く評価されての打診です」
資料には、続きがあった。
これまで非公開だった魔法研究を、段階的に公開していく方針。
安全な訓練方法を確立した上で、適性を持つ者への指導を、本格的に始めること。
そして、その様子を、天音自身の解説付きで、限定的に公開していくこと。
「一般公開、ということですか」
「はい。もちろん、あなたの意向を最優先します」
天音は、しばらく、資料を見つめたまま、考え込んだ。
これまで、ずっと、この力と向き合ってきた。
最初は、恐怖だった。
自分の体に、何が起きているのか分からない不安。
だが、少しずつ、それを乗り越えてきた。
あの日、鬼の前で無力だった自分。
守られるだけだった、あの瞬間。
そこから、ここまで、来た。
(もし、この力の使い方を、他の誰かにも伝えられるなら)
自分と同じように、不安を抱える人が、これから、きっと現れる。
その人たちの、道標になれるなら。
「お受けします」
迷いのない声で、答えていた。
「ただし」
「はい」
「無理に、急かすようなことはしないでください。魔法は、まだ、危険と隣り合わせのものです。安全第一で、進めたいです」
「もちろんです。その方針は、政府側とも、既に共有しています」
資料の最後には、九条からの短いメッセージが添えられていた。
**貴殿の歩みが、この国の、そして世界の、新しい可能性の礎になることを、心より願っております。**
その言葉に、背筋が伸びる思いがした。
部屋を出て、廊下を歩きながら、スマホを取り出す。
このことを、真っ先に伝えたい相手が、頭に浮かんだ。
だが、指を止めた。
最近、彼からの連絡は、少なくなっていた。
新しい修行に、夢中になっているらしいことは、風の噂で聞いていた。
二十層で出会った、謎めいた女性の話。
詳しいことは、あまり話してくれない。
それが、なんとなく、寂しい。
(......いや)
小さく、頭を振る。
今は、自分のことに集中すべき時だ。
彼には彼の道があり、自分には自分の道がある。
そのはずだった。
「......よし」
気持ちを切り替えるように、小さく呟く。
スマホをしまい、まっすぐ前を見据えた。
これから始まる、新しい役割。
魔法という、まだ誰も知らない可能性を、世界中の人々と、分かち合っていく。
その責任の重さを、天音は、静かに、しかし確かに、受け止めていた。
窓の外、夕暮れの光が、白い廊下を、静かに橙色に染めていた。




