4-3:酒と交換
二回目に二十層を訪れたのは、それから三日後のことだった。
今回も、一人。配信は、つけていない。
この場所でのことは、まだ、誰にも話す気になれなかった。
桜の花びらが舞う広間に足を踏み入れると、既に、夜桜の姿があった。岩の上に、優雅に腰掛けている。
「......本当に、来おったか」
驚いたような、それでいて、少し嬉しそうな顔をしていた。
「気になることが、たくさんあったので」
「気の早いことじゃ」
夜桜は、くすりと笑った。
「して、何が聞きたい」
「結刃が、なぜ眠ったままなのか。それと、二刀流の話も」
「順に、教えてやろう」
夜桜は、袖の中から、何かをつまむような仕草をした。だが、その手には、何もない。
「まず、結刃について。あの刀は、継刃とは、そもそも役割が違う」
「役割?」
「継刃は、斬った相手から、力を奪い、蓄える刀。だが、結刃は違う」
「違う、というと」
「あの刀は、それ自体が力を吸収する性質は、持っておらぬ」
「......え」
思わず、声が漏れた。
「じゃあ、結刃は、いつまで経っても――」
「早合点するな」
夜桜は、軽く手を振った。
「結刃には、既に、あの猿の核から受け継いだ、炎の性質が眠っておる。それは、間違いない。じゃが、あれは、単独では、目覚めぬ性質のものじゃ」
「単独では......?」
「続きが知りたければ」
夜桜は、悪戯っぽく、目を細めた。
「もう少し、詳しく聞かせてやってもよいが」
「はい、お願いします」
「その前に」
「......前に?」
「わらわは、退屈しのぎに教えてやると言うたな。ただ働きは、性に合わぬ」
「対価が、必要ってことですか」
「察しがよいな」
夜桜は、満足そうに頷いた。
「何を、差し上げれば」
「うまい酒じゃ」
「......酒?」
予想外の答えに、思わず聞き返す。
「わらわは、この深き場所に、長らく籠っておる。外の味というものに、とんと縁がない」
夜桜は、どこか懐かしむような目をした。
「昔、まだ地上を歩いておった頃、うまい酒を飲む機会が、何度かあった。あの味を、また味わいたい」
「......地上を、歩いてたんですか」
「昔の話じゃ」
それ以上は、はぐらかされる。
「とにかく、次に来る時は、うまい酒を持ってまいれ。さすれば、続きを話してやろう」
「......分かりました」
結局、その日は、それ以上、詳しい話は聞けなかった。
「あの、どんな酒が好みとか、ありますか」
「うまければ、なんでもよい」
「それが、一番難しいんですけど」
思わずぼやくと、夜桜は、声を上げて笑った。
「面白いことを言う男じゃな。そこは、お主自身で、選んでみせよ」
なんとも、気まぐれな注文だった。
◆
地上に戻った後、悩んだ末、行きつけの酒屋に相談してみた。
「刀鍛冶の先生に、贈り物ですか」
「......まぁ、そんな感じです」
店主に勧められるまま、地元・関市の蔵元が作る、香り高い純米酒を選んだ。
三度目に二十層を訪れた時、その一本を、夜桜に差し出した。
「これで、どうでしょう」
夜桜は、興味深そうに、瓶を受け取る。封を開け、まず、香りを確かめた。
「......ほう」
その表情が、わずかに変わった。
小さな杯――どこから取り出したのか、精巧な作りの盃に、酒を注ぎ、口に含む。
「......」
しばらく、無言だった。
「夜桜さん?」
「......これは」
夜桜の目が、大きく見開かれていた。
「なんという、豊かな味わいじゃ」
「気に、入ってもらえましたか」
「気に入る、どころではない」
夜桜は、二杯目を、自ら注いだ。
「昔飲んでいたものとは、比べ物にならぬ。地上の技は、ここまで進んでおったのか」
興奮した様子で、何度も杯を傾けている。なんとも、意外な一面だった。
あの、飄々として、掴みどころのなかった彼女が、今は、子供のように無邪気な顔をしている。
「もっと、ないのか」
「一本しか、持ってきてないです」
「......次は、二本、持ってまいれ」
「一本で色々教えてくれるんじゃなかったんですか」
「気が変わった」
悪びれもせず、そう言い切る夜桜に、思わず苦笑した。
だが、その日から、彼女の口は、驚くほど軽くなった。
「結刃の続きの話じゃがな」
夜桜は、上機嫌に、杯を傾けながら話し始めた。
「あの刀のような、素材に力を宿しただけの武具は、それ単独では、真の力を発揮できぬ。じゃが、継刃のような、力を吸収し、育つ性質の刀と、対で振るえば話は別じゃ」
「対で、振るう......」
「継刃が持つ力の一部が、結刃に眠る潜在能力を、外から呼び起こす。そういう仕組みじゃ」
「じゃあ、結刃自体は、これから先も、単独で目覚めることは」
「ない」
夜桜は、はっきりと言い切った。
「あの刀は、あくまで、継刃と共にあってこそ、意味を成す」
これまで、ずっと抱えていた疑問が、ようやく、形になった。
「じゃあ、二刀流の稽古を――」
「まだじゃ」
夜桜は、軽く手で制した。
「今日は、話だけじゃ。稽古をつけるかどうかは、また今度、考えてやる」
「......そこは、気まぐれなんですね」
「わらわは、そういう女じゃ」
悪びれもせず、微笑む夜桜に、なぜか、憎めない気持ちになった。
◆
その日以降、二十層に潜る時は、必ず、少し良い日本酒を持っていくようになった。
地元の酒屋の店主とも、いつしか顔馴染みになり、色々な銘柄を教えてもらうようになった。
「今度のは、どうでしょう」
「......これは、また違う味わいじゃな。うむ、悪くない」
訪れるたびに、夜桜は、少しずつ、色んな話をしてくれるようになった。
魔素という力の本質。
二十層より先、まだ誰も踏み入れたことのない領域の話。
そして、時折、ぽつりと漏れる、彼女自身の、昔の話の断片。
「わらわも、昔は、色んな場所を見た」
ある日、酔いが回った様子で、夜桜が、そう呟いた。
「桜の下で、酒を酌み交わす。あれは、良いものじゃった」
「今も、桜、好きなんですね」
「......うむ」
夜桜は、周囲に舞う花びらを、静かに見つめた。
「わらわにとって、大切なものじゃ」
その横顔には、これまで見たことのない、どこか寂しげな色があった。
深く聞いていいものか、迷う。だが、その日は、あえて何も聞かなかった。彼女のペースを、大事にしたかった。
◆
「なぜ、刀を打つ」
何度目かの訪問の折、夜桜が、ふと尋ねてきた。
少し考えてから、答える。
「......子供の頃から、ずっと、刀が好きだったんです。玉鋼を熱して、槌で打って、焼き入れして、最後に刃文が浮かび上がる。その一連の流れが、たまらなく好きで」
「それだけか」
「それだけです」
迷いなく、答えた。
「強くなりたいとか、有名になりたいとか、そういうのは、あんまり考えたことなくて。ただ、いい刀を打ちたい。それだけです」
夜桜は、しばらく、無言だった。杯を傾ける手も、止まっている。
やがて、静かに、口を開いた。
「......久しく、聞いておらぬ答えじゃ」
「そう、なんですか」
「昔、似たようなことを言う者が、おった」
夜桜の目が、少しだけ、遠くを見るように、細くなった。
「もう、随分と、昔の話じゃがな」
それ以上、深く聞くのは、どこか憚られた。彼女の表情に、これまで見たことのない、静かな寂しさのようなものが、一瞬だけ、滲んでいた。
「あの」
「ん?」
「無理に、聞かないので。話したくないことは」
夜桜は、少し驚いたように、こちらを見た。それから、小さく笑った。
「......優しいのじゃな、お主は」
「よく言われます」
「自覚があるなら、大したものよ」
軽口の応酬で、また、空気が和んだ。
◆
酒を持って通うことが、いつしか、生活の一部になっていた。
訪れるたびに、夜桜は、少しずつ、心を開いてくれているように感じた。
「今日も、来たか」
「はい。今日のはこれです」
差し出した瓶を、夜桜は、機嫌よく受け取る。
「ほう、これはまた、香りが違うな」
「店主のお勧めです」
「良い店主じゃ。今度、礼を言うておいてくれ」
冗談交じりのやり取りにも、すっかり慣れていた。
「錬司」
「はい」
「お主、本気で、あの刀の力を、引き出したいと思うておるか」
「......はい。心から」
「なぜじゃ」
「もっと、いい刀を打ちたいからです」
迷わず、答えた。
「継刃も、結刃も、まだ理想の一振りには程遠いと思ってます。だから、力の引き出し方を知りたい。それが、いつか、もっと先の一振りに繋がる気がするので」
夜桜は、しばらく、こちらを見つめていた。その目には、これまでとは、少し違う色が浮かんでいた。
「......よかろう」
「え」
「お主の覚悟、しかと見た」
夜桜は、静かに、しかし、確かな声で告げた。
「今日から、わらわが、お主に、二刀の扱いを教えてやろう」
「......本当ですか!」
「二言はない」
夜桜は、袖を払いながら、立ち上がった。
「ただし」
「はい」
「厳しいぞ。覚悟せい」
「望むところです」
思わず、笑みがこぼれた。
思えば、最初の訪問から、ここまで、随分と回数を重ねた。
酒を選び、層へ運び、他愛のない話をし、少しずつ、彼女の言葉を引き出してきた。
その積み重ねが、今、確かな形になった。
「では、明日から、正式に始めるとしよう」
「よろしく、お願いします」
深く、頭を下げる。夜桜は、満足そうに、小さく頷いた。
二十層に舞う、桜の花びら。
その中で、新しい修行の日々が、静かに、始まろうとしていた。




