間章-26:小さな、しかし確かな歩み
ブラジリア、大統領府。
大統領・エドゥアルド・アルヴェスは、久しぶりに、穏やかな表情で報告を受けていた。
「あの実効支配区画について、動きがありました」
治安担当大臣が言う。
「詳しく」
「組織側の一部から、正式な対話に応じる意向が示されています。継刃の一件をはじめ、各国での探索者制度の広がりを見て、『いずれ、正規のルートに乗った方が、自分たちの子どもたちの世代のためになる』と考える者が増えているようです」
「......そうか」
アルヴェスは、静かに頷いた。
簡単な話ではない。長年、力による支配が続いてきた場所だ。一朝一夕に、綺麗な形に収まるとは思っていない。
「対話に応じる意向を示しているのは、組織のどのあたりの層だ」
「主に、若い世代です。組織の幹部たちが子どもの頃から見てきた、暴力による支配の連鎖に、疑問を持ち始めている者が、少なくないようです」
「彼らにとって、探索者制度は、抜け出すための、正当な道筋になり得るということか」
「そう考えています。もちろん、慎重に進める必要はありますが」
「だが、確かに、状況は、少しずつ動いている」
アルヴェスは、資料をめくった。
「一般開放の規模についても、拡大を検討できるか」
「治安状況次第ですが、次の四半期には、対象区域を、現在の倍程度まで広げられる見込みです」
「良い報告だ」
アルヴェスは、少しだけ、表情を緩めた。
「継刃の件について、我が国での関心は」
「非常に高いです。特に、限られた資源の中でも、工夫次第で価値あるものを生み出せる、という点に、多くの国民が共感しています」
「我が国らしい受け止め方だな」
アルヴェスは、小さく笑った。
「我々は、いつだって、限られたものの中で、最大限の価値を見出してきた国民だ。あの神崎という青年の生き方に、自分たちの姿を重ねる者が多いのも、頷ける」
「実際、リオの若手デザイナーたちの間で、継刃のデザインをモチーフにした、装飾品やストリートアートが流行し始めています」
「面白いな。文化として、既に根付き始めているというわけか」
「はい」
「魔素の研究については」
「他国からの技術協力を受けながら、着実に進んでいます。国内でも、知覚変化の報告例が、少しずつ増えています。アマゾン地域の探索者の一人は、植物との親和性を訴えており、研究班が注目しています」
「アマゾンか。この国の豊かな自然が、そこでも、何か特別な意味を持つのかもしれんな」
「経済対策との連携は」
「新たな雇用創出の一環として、素材研究や、装備製造に関わる職業訓練プログラムを、拡充しています。特に、あの実効支配区画周辺のコミュニティに向けて、優先的に案内を進めています」
「先を見据えた、良い判断だ」
アルヴェスは、頷いた。
「もし、あの組織との対話が実現すれば、その若者たちにも、この訓練プログラムへの道を開いてやってくれ」
「それは、国民感情として、反発を招く恐れも」
「分かっている。だが、罰することだけが、正義ではない。彼らに、正規の道を示すことこそ、真の意味での治安回復に繋がるはずだ」
「......承知しました。慎重に、世論の準備も進めます」
「よし」
アルヴェスは、窓の外を見た。
以前より、確かに、街の空気が変わってきている。
喧騒は、まだ残っている。
だが、その中に、以前にはなかった、微かな希望の色が、混じり始めていた。
「一歩ずつだ。だが、その一歩が、着実に積み重なっている」
簡単な道のりではなかった。これからも、簡単ではないだろう。
それでも、この国は、自分たちの力で、前へ進み続けていた。
「大統領」
秘書官が、控えめに声をかける。
「他国の首脳会談への、参加打診についてですが」
「まだ、うちには早い、というのが、正直なところだ」
アルヴェスは、静かに答えた。
「だが、いつか、必ず。この国が、胸を張って、あの列に並べる日を、目指す」
窓の外、夕暮れのブラジリアの空が、静かに赤く染まり始めていた。




