3.花束を捧げにきた愚か者へ
院長に呼ばれた礼拝堂で、その男は座っていた。
身なりは貴族そのものだったが、以前の記憶よりもやつれている。
(…と言っても、前の人生でも数えるほどしか顔を合わせてないのだけど)
慌てて立ち上がる男が、こちらに歩み寄ろうとする前に、私は恭しく頭を下げた。黒いヴェールが横顔を隠すように流れた。
「——初めまして、お客様」
「フランチェスカ、私はっ…」
「シューラ修道院のシスター、ベルタと申します。本日はどういったご要件でしょうか?」
フランチェスカと呼ぶ声に言葉を被せる。
貴族に対して無礼?だって私はただの平民のシスターだもの。そんな礼儀なんて知らないわ。
「ベルタ…?」
かつての名前とかすりもしない名前に、男がショックの色を浮かべた。
(白馬に乗った王子様が助けに来たと、泣いて喜ぶとでも思ったの?)
どこかしら体に致命的な欠陥を負い、両親からも縁を切られ、不遇な人生に嘆き暮らす私を、救い出そうとでも思っていたのだろうか。
それこそ国中の療養所や修道院など、『フランチェスカ』がいそうな場所を探し回ったのだろう。
(あの時と同じ様に、領地ではトラブルが起こっているでしょうに、それを放置して女を探し回るなんて…)
口元は弧を描きながらも、瞳から温度が消えていくのは仕方のないことだ。
「…違う…君は、フランチェスカだ…!バーグ男爵家の…!!」
「いいえ、平民のベルタです」
困ったような表情を浮かべると、男が大股で距離を詰めて、私の腕を力任せに掴んだ。
「違う!君は私の妻だ!!君はフランチェスカ・ウィンターハルト伯爵夫人だ!
もうこんな所にいなくていいんだ。屋敷に帰ろう、フランチェスカ。今度こそ、二人で幸せに…っ!!」
「触らないで!」
いくら平民と貴族とはいえ、身勝手に腕を掴まれる筋合いはない。
何よりここは修道院。平民・貴族関係なく、神の威厳こそが唯一の空間だ。
勢いよく腕を振り払うと、男は傷ついたような表情を浮かべた。なんとも癪に障る。
「…その『フランチェスカさん』とは別人です。私に結婚歴はありません」
「だ、だが、私は…」
「それに、先程『こんな所』とおっしゃりましたが、私はここの生活を気に入っています」
男から小さく戸惑いの声が漏れる。
確かにここは古いし、けして裕福ではない修道院だ。だが…
「…シスター同士、支え合って過ごしています。
古くても毎日みんなで清潔に磨き上げています。
健康に気を使った温かな食事を食べられます。
午後の自由時間には買い物に行ったり、自由に過ごせます。
もちろん、街の知り合いに手紙を出す事も出来ます」
屋敷中の人間に冷遇され、味方もおらず一人ぼっちで、
掃除もされない、狭く汚い使用人の部屋に押し込められ、
粗末な食事を与えられたり、自由を禁じられる事もない。
「病気になれば看病もしてもらえますし、必要に応じてお医者様も呼んでもらえます」
医者を呼ぶのは高額なので、それこそ稀なことだが。それでも…
「致命的に言葉足らずな方に嫁ぐより、断然幸せな生活を送っています」
そう言って心からの笑顔を浮かべると、男は驚愕に目を見開いた。
「フラン…チェスカ…、まさか……君も……?…君にも…記憶が…!??」
その言葉には答えずに、ただ唇を歪めて笑みを深める。
さぁ、罪を隠した綺麗な花束で、何も知らない少女を欺けると思っていた愚かな男は、何を思うのでしょう。
「あ……あぁ……ちが、違うんだ……私は、君を愛して…!!!」
「どなたと間違われているか存じませんが、私は神にこの身を捧げました。この修道院に入った瞬間から、私は神の妻なのです」
何を、今更。
声に出さず、唇だけで告げる。
(私は…わたくしは、断固としてお前を拒絶する)
「お引き取りを」
そう言って男に背を向けて、生活区へと続く扉をくぐっていく。閉まる直前に見えた男は、魂が抜けたように呆然と立ち尽くしていた。
(これだけ言われて、あの男はどう動くのか…。あぁ、全く興味が湧かないわ)
正式に爵位を継ぐために、早急に婚姻せねばならないだろうに、あの調子でやっていけるのだろうか。
もっとも、わたくしが知らない所で、野垂れ死のうと幸せに暮らそうと、もはやどうでも良いのだけど。
そのまま自室の共同部屋に戻ると、同室の者達はまだ帰っていなかった。掃除の時間なので、あと30分は戻ってこないだろう。
先ほど掴まれた腕が痣になっていないか、袖をまくって確認していると、窓辺に赤い小鬼が現れた。
「いい顔してたねぇ、嬢ちゃんの旦那……元な、元旦那!睨むなって」
「…貴方のおかげで、あいつの思惑を壊す事ができたわ」
「しししっ、まさか嬢ちゃんまで俺様と契約するなんて言い出すとはなぁ〜」
「何を言ってるの?わたくしが追加で契約すると思ったから、あの場で、わざわざ長ったらしい説明をしたのでしょう?
小憎たらしい小鬼だわ」
「くくっ」
あの暗闇の中、わたくしがこの小鬼と契約したのは『わたくしと、父と母の記憶を保持すること』だ。
おかげで、時が戻ったあと急いで逃げる準備を進められた。
「しっかしエグい事するなぁ〜。あちらさんは魂を懸けたってのに、ハッピーエンドをぶち壊していくなんて。
無駄に時を戻した旦那は死後に転生する事も叶わず、俺様のおやつになるってわけだ」
「あら、わたくしもきちんと払ったでしょう?対価として『体の一部』を」
そう言って頭巾を外すと、すっかり短くなった髪の毛が出てきた。最初のうちは違和感ばかりだったが、今では涼しい首元が気に入っている。
それを見て小鬼が怒ったように飛び跳ねた。
「なーにが『体の一部』だ!髪切っただけだろうが。腕とか足とか目玉とか寄越しやがれ!!」
「契約時に、対価の内容を明確にしてなかった貴方が悪いのよ。
それに、貴族の女性としては大きな欠損だわ。それこそ、ショックで出家してしまうくらいにね」
もっとも、令嬢としての価値を下げる為に『フランチェスカはその身を損なった』と伝えてもらったが、あまり効果はなかったようだ。
(逆に保護欲を刺激しちゃったのかしら?誤算ね)
記憶を保持している事は感じ取ったようなので、勝手に罪悪感でも感じて、これ以上の干渉を行わないでくれると良いのだけど。
どちらにしても、ここにはもう居られない。
「…そうね。次は新鮮な臓器でも差し上げましょうか?」
「…なぁに企んでやがるんだ?」
「企むだなんて。
あの男から逃れるために修道院に入ったけれど、ここも見つかってしまったし、また別の場所に行くつもりよ。そのついでに自分の人生を取り戻すのも良いかしらって。
差し当たって、素敵な結婚相手を紹介して欲しいのだけど。あの男と関わりない所で、もちろん愛情表現を欠かさない、誠実な方ね」
平民で構わなくてよ、というと小鬼がその細い眉毛を片方だけ上げた。
「…俺様が縁を取り持つ、だぁ?」
「あ、わたくしと子を成せる方ね」
「……対価として嬢ちゃんの臓器?」
「ええ。役目を終えて排出されたあとで、まだ新鮮な状態で差し上げるわ」
「………それ…胎盤じゃね??」
「あら、賢いわね。御名答よ」
子が無事に生まれてしまえば不要だ。対価として有効活用させてもらおう。
貴族令嬢のようににっこり笑って言えば、小鬼は少し考えたあと、大きなため息を吐いた。
「あー、仕方ねぇな!ずる賢い嬢ちゃんに免じて、しばらくは振り回されてやるよ!!」
「あはっ、契約成立ね」
窓辺で悔しそうに身悶える小鬼に向け、わたくしは平民らしく、楽しそうに歯を見せて笑ってみせた。
——それから一週間後。
シューラ修道院から『ベルタ』という真面目な修道女が、忽然と姿を消した。
修道院の院長やシスターたちは「神のお導きがあったのでしょう」と穏やかに祈りを捧げ、どこか遠くの男爵家では、娘を心から愛する夫婦が何事もなかったかのように平穏な日々を送ったという。
あと1話あります




