エピローグ.勝手な改心の、その後に
——それから、三年という月日が流れた。
柔らかな陽光が差し込む庭で、私は愛しい我が子を抱き、お乳を与えていた。
「おい、嬢ちゃん。朗報だぞ」
ひょっこりとパラソルの上から姿を現したのは、あの日からの腐れ縁である小鬼だった。相変わらず私の事を『嬢ちゃん』と呼ぶ相棒は、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて語り出す。
「あの男……イーシスだっけか? 修道院でお前にフラれた後、どこぞの子爵令嬢と結婚したろ。けどショックを引きずりすぎて、妻を放置あ〜んど領地経営に没頭してたんだとさ。
そしたら例のごとく、使用人どもが『お飾り妻だ、旦那様の本命は他にいる』なんて勘違いして、新しい妻をいじめ始めたらしくてな」
「まぁ。また同じことを繰り返しているのね」
「確か、嬢ちゃんをいじめてた奴らは首にされてたはずなのにな?」
「新しい使用人が見ても、勘違いするような態度だったんでしょう」
呆れを通り越して小さくため息をつく。
自分が周囲にどんな誤解を与えているのかも省みず、過去の罪に囚われるだけで成長のない元旦那の姿が、容易に目に浮かんだ。
「けどな、今度の妻はタダもんじゃなかったぜ。
裕福な子爵家の出で後ろ盾も強くてな。陰湿ないじめを真っ向から返り討ちにした挙げ句、『一度も閨を共にしない冷酷な夫』だって裁判で訴えて、完勝で離婚を勝ち取ったそうだ」
「あら、素敵な奥様ね。以前の私も、それくらい逞しければよかったのかしら」
苦笑しながら、満腹そうな顔で眠る我が子の頭を撫でる。
自分を死へと追い詰めた環境すら、強さを持った者なら踏み潰せたのだ。そう思うと、改めて自分が囚われていた過去の小ささを感じる。
「まあ、そんなわけで男は今や大恥晒して崖っぷち伯爵よ。
あいつ、いまだに『小鬼、出てきてくれ…小鬼…』なんつって虚空に向かって俺様を呼び続けてるからさ、怖ぇ〜のなんの。しばらく近寄らねぇ。
まあ、死んだら魂の回収には行くけどな」
「今度はどんな願いを叶えようとしているのかしらね?」
「さぁな。俺様、搾取されるだけで終わる愚か者には興味ねぇのよ」
その時、庭の向こうから「おーい」という優しい声が響いてきた。
「ベルタ〜、カノン〜」
小走りで近づいて来たのは穏やかな目元をした、少しふっくらとした体型の男性…私の愛する夫だ。
「あなた、お帰りなさい。商会のお仕事はよろしいのですか?」
「ああ、無性に君とカノンに会いたくなってね。死に物狂いで仕事を急いで片付けてきたんだ!」
夫はそう言って汗を拭うと、愛おしそうに私とカノンをまとめてぎゅっと抱きしめてくれた。その温もりに包まれながら、胸の奥がじんわりと満たされていく。
(木の陰に隠れた小鬼が、ニヤニヤとこちらを見つめているけれど……見なかったことにしておきましょう。
はいはい、契約通り、貴方は良い縁を持ってきてくれたわ)
平民として出会い、心を通わせ、溢れんばかりの愛を注いでくれた大切な人だ。
「そういえば、 隣の国の伯爵家が妻を冷遇して、離婚されたんだそうだよ。やっぱり家族は一番に大事にしないといけないよねぇ」
「あら……ふふ、さすが商人。耳が早いのね」
「え? 何か言ったかい?」
「ううん、なんでもないわ」
私は夫の胸に顔をうずめ、くすりと微笑んだ。
勝手に時を巻き戻し、勝手に改心し、勝手なハッピーエンドを押し付けようとした愚かな男の末路なんて、もうどうでもいい。
私は今、自分自身の手で掴み取った、世界で一番愛おしいハッピーエンドの中にいるのだから。
おしまい
なお、小鬼は小人サイズのゴブリンのような見た目である。
可愛くなくてカノンに泣かれるので、常に背後に回り込む優しさは持ち合わせてる。




