第82話 リベル村、現地閲覧準備
王都から届いた文書を読んだ時、トマは最初にこう言った。
「……長い」
村長宅の机の上には、行政庁からの封書が広げられている。
その横で、ニコルが真面目な顔で記録板を抱えていた。
セリアは治療所から持ってきた封印確認表を膝の上に置き、村長はいつもの椅子に腰かけている。
王都組からの報告は、いつも長い。
だが、今回は特に長かった。
安全監視線。
推定関連一致率、九十一%。
黒塗り解除と原本確認の正式要求。
騎士団副長グレン・バルナードによる腕輪原本の現地確認希望。
そして、技師組合代表を含む現地閲覧の可能性。
トマは頭をかいた。
「つまり、王都の偉い連中が、この村に来るってことだよな?」
「そうなります」
ニコルが答えた。
「ただし、こちらが条件を出します」
「条件?」
「はい。レオンさんたちから、現地閲覧条件案も届いています」
ニコルは別紙を取り出した。
そこには、細かい項目が並んでいる。
一、閲覧者名簿の事前提出。
二、所属、役職、関連案件の有無、利害関係申告。
三、持ち込み器具一覧の事前提出および現地鑑定。
四、証拠物への接触は本人同意、村長承認、保管担当者同席を条件とする。
五、行政庁、防衛局、冒険者ギルド立ち会い必須。
六、技師組合単独閲覧不可。
七、証拠物の移送禁止。
八、発言、作業、測定値、器具反応はすべて記録。
トマは途中で目を細めた。
「……やっぱり長い」
「長いですが、大事です」
セリアが言った。
その声は柔らかい。
けれど、いつものような遠慮は少なかった。
「腕輪は、リーゼさんの身体に着けられていたものです。黒石祠の外殻片も、村と周辺水脈に関わる証拠です。誰かが来て、勝手に触って、勝手に持っていくようなことは絶対に避けないといけません」
「それは分かる」
トマは頷いた。
「変な奴が来たら、俺が入口で止める」
「止め方も記録する」
村長が言った。
「怒鳴る前に、誰が、何の目的で来たかを確認するのじゃ」
「……怒鳴る前提ですか」
「違うのか?」
「違わないです」
トマは少し肩を落とした。
ニコルが筆を構える。
「では、現地閲覧準備記録を始めます」
セリアは封印確認表を机に置いた。
「まず、腕輪原本の保管状態から確認しましょう」
治療所の奥にある封印箱は、今日も静かに棚の下段に収まっていた。
鉄製の小箱。
村長の承認印。
レオンの記録印。
セリアの浄化印。
その三つが、箱の蓋に重ねられている。
セリアは手袋をつけ、箱に直接触れず、まず周囲の状態を確認した。
「封印破損なし。浄化印、安定。外部干渉反応なし」
ニコルが書く。
「腕輪原本保管箱、封印破損なし。浄化印安定。外部干渉反応なし……」
トマは窓と扉を見た。
「窓、異常なし。扉、異常なし。床、変な傷なし。棚、ほこりあり」
「ほこりも書きますか?」
ニコルが真面目に聞いた。
「いや、そこはいいんじゃねえかな」
村長が少し笑う。
「ほこりが動いていないというのも、侵入がなかった証拠になる場合がある」
「え、じゃあ書くのか?」
「今日は“周囲に不審な乱れなし”でよい」
「なるほど」
ニコルは頷き、書き足した。
セリアは封印箱の前で、しばらく黙っていた。
この箱の中に、リーゼの過去がある。
彼女を縛ったもの。
彼女の剣を奪ったもの。
そして今、彼女が逃亡者ではなく、封じられた剣を取り戻した者であると示すための物証。
セリアは小さく息を吸った。
「箱からは出しません」
村長が頷く。
「その方針でよい」
「現地閲覧でも、まずは箱の外から確認。開封する場合は、リーゼさん本人の同意が必要です。本人がいない状態で開けるのは……駄目だと思います」
トマがすぐ言った。
「駄目だろ。本人のものだ」
「正確には、本人に着けられていた証拠物ですね」
ニコルが言う。
「でも、気持ちは分かります」
村長は静かに言った。
「では、条件に加えよう。リーゼ本人不在時、腕輪原本の開封不可。ただし、緊急時は村長、証拠保管担当、行政庁、防衛局、ギルド立ち会いのもと、本人へ事後確認……」
セリアが少し考えてから首を横に振った。
「緊急時でも、できれば開けたくありません」
「ならば、緊急時も原則開封不可。開封が必要な場合は、本人へ連絡し、同意を得る。連絡不能の場合は、閲覧中止」
「はい。それがいいです」
ニコルは急いで書く。
『腕輪原本はリーゼ本人不在時、原則開封不可。本人同意が得られない場合、閲覧中止』
トマが感心したように腕を組んだ。
「強いな」
「強くしないと守れません」
セリアは答えた。
その声に、トマは少し目を丸くした。
「セリア、なんか王都組がいない間に強くなってないか?」
「怖いだけです」
「怖いと強いは両方ありって、リーゼが言ってたな」
「はい。だから、両方でいいんだと思います」
次に、地下工房へ降りた。
黒石祠外殻片は証拠棚に保管されている。
封印袋の中の黒い石片は、弱い光を吸い込むように沈んでいた。
中枢室の結晶柱が反応する。
《証拠物確認》
《対象:黒石祠外殻片》
《封印状態:安定》
《残滓反応:微弱》
《外部干渉:なし》
《推奨:直接接触禁止/測定器具事前鑑定》
ニコルが表示を読み上げながら記録する。
「直接接触禁止。測定器具事前鑑定……」
トマが顔をしかめる。
「技師組合の奴が変な道具持ってきたら?」
「使わせません」
セリアが即答した。
「事前にレオンさんがいれば鑑定できます。いない場合は、中枢室で確認します。それでも分からない器具は、使用不可です」
「よし」
トマは満足そうに頷いた。
「あと、技師組合の奴だけで地下工房に入れるのも駄目だよな」
「もちろんです」
ニコルが書き足す。
『地下工房への入室は、村長承認、リベル村側立会人二名以上、行政庁・防衛局・ギルド立ち会い必須。技師組合単独入室不可』
村長は中枢室の光を見ながら言った。
「この工房そのものも、見られすぎると危険じゃ」
「はい」
セリアは頷いた。
「証拠物閲覧場所を、地下工房にするのは避けた方がいいかもしれません」
「では、どこにする」
トマが聞く。
「村長宅の奥の部屋か、治療所の前室でしょうか。腕輪は治療所前室。黒石祠外殻片は村長宅奥の部屋。地下工房の証拠棚から運ぶ時は、封印状態を記録して、経路も記録する」
「経路まで?」
「はい。途中で何か起きたら困ります」
トマは少し唸った。
「セリア、完全に紙の盾側になってるな」
「ニコルくんほどではありません」
「僕もまだ修行中です」
ニコルが真面目に言った。
その日の午後、村では現地閲覧の動線確認が行われた。
村の入口。
来訪者受付。
村長宅までの道。
治療所前室。
村長宅奥の部屋。
地下工房入口。
トマが木札を作る。
『閲覧者はこちら』
『無断立入禁止』
『井戸・水車・薬草予定地への接近禁止』
『発言・行動は記録されます』
最後の札を見て、村の子供が首を傾げた。
「なんか怖い」
トマが答える。
「怖くていい。勝手に動く奴が怖がればいいんだ」
セリアは少し考えて、木札の下に小さく書き足した。
『困ったら村の人に聞いてください』
トマがそれを見て笑った。
「優しいな」
「怖いだけだと、普通に来た人も困りますから」
村長が頷く。
「よい。強い札と、優しい札。両方じゃ」
薬草予定地の前にも、念のため柵を増やした。
傷洗い草の芽は、雨の後でも倒れていなかった。
小さな葉が、ほんの少しだけ開いている。
セリアはしゃがみ込み、土の湿り気を確認した。
「大丈夫です。少し強くなっています」
子供たちが小声で喜ぶ。
「芽、えらい」
「雨に勝った」
「触らない」
トマが笑った。
「最後のやつ、完全に合言葉だな」
セリアは芽を見つめながら言った。
「王都の人たちが来ても、この場所には入れません」
「薬草の芽も証拠か?」
トマが聞く。
セリアは少し考える。
「証拠というより、村の未来です」
その言葉に、トマは何も言わなかった。
ただ、柵の紐をもう一度結び直した。
夕方、村長宅で条件書の清書が行われた。
ニコルの字は、最初の頃よりずっと安定していた。
セリアが読み上げる。
「現地閲覧条件。一、閲覧者名簿を事前提出すること。二、所属、役職、過去関連案件、利害関係を申告すること。三、持ち込み器具一覧を提出し、村側鑑定を受けること。四、腕輪原本はリーゼ本人不在時、原則開封不可。本人同意が得られない場合、閲覧中止。五、証拠物への接触は村長、証拠保管担当、行政庁、防衛局、ギルド立ち会いの上でのみ協議可能。六、技師組合単独閲覧不可。七、地下工房への単独入室不可。八、閲覧者の井戸、水車、薬草予定地、旧水路への無断接近禁止。九、発言、作業、測定値、器具反応はすべて記録。十、違反があった場合、閲覧中止」
トマが拍手した。
「強い。これは強い」
ニコルは少し照れた。
「でも、まだ足りないところがあるかもしれません」
村長が満足そうに頷く。
「足りぬところは、また足せばよい」
その言葉に、皆が少し笑った。
いつの間にか、リベル村の合言葉の一つになっている。
夜、王都組へ返送する文書が整えられた。
『リベル村は現地閲覧準備を開始。
腕輪原本、黒石祠外殻片ともに封印状態異常なし。
現地閲覧条件を添付。
閲覧場所は、腕輪原本は治療所前室、黒石祠外殻片は村長宅奥の部屋を予定。
地下工房への入室は原則不要。
閲覧者の井戸、水車、薬草予定地、旧水路への無断接近を禁ずる。
傷洗い草の芽は雨後も無事。葉が少し開きました。』
最後の一文は、セリアが入れた。
ニコルが少し笑う。
「王都の報告に、芽のことも入れるんですね」
「はい」
セリアは頷いた。
「レオンさんたち、気にしていると思うので」
「きっと喜びます」
トマが言った。
「ダリオは豆の報告も欲しがるぞ」
「では、明日の食事記録も少し入れますか?」
「それは余計かもしれない」
村長は笑いながら、封蝋を押した。
「よし。送ろう」
その夜、セリアは治療所奥の封印箱の前にもう一度立った。
誰もいない。
静かな部屋。
棚に並ぶ薬瓶。
外から聞こえる水路の音。
「リーゼさん」
セリアは小さく呟いた。
「守ります」
返事はない。
けれど、それでよかった。
待つことも、守ることも、もう逃げではない。
彼女は封印箱に背を向け、治療所の灯りを少しだけ落とした。
外では、傷洗い草の小さな葉が夜露を受けている。
リベル村は、王都から来る者たちを迎える準備を始めていた。
ただ怯えるのではなく。
ただ拒むのでもなく。
見せるべきものを見せ、守るべきものを守るために。




