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第80話 証言聴取、開始

 証言聴取の日、王都行政庁の中会議室には、いつもより多くの椅子が並べられていた。


 机は長方形に組まれ、中央には証言者用の席が一つ。

 片側には行政庁のオルブライト、防衛局のラウル査察官、ギルド記録官。

 反対側には、クラウス・ベルナーと技師組合側の立会人。

 そして少し離れた席に、俺、ダリオ、リーゼが座る。


 ダリオは朝からずっと無口だった。


 落ち着いているようにも見える。

 だが、膝の上で組んだ手の指先が、ときどき小さく動いていた。


 怒りではない。


 いや、怒りもある。


 でも、それ以上に、昔押し込められた記憶が机の下から這い出してくるのを、必死に踏みとどまっているようだった。


 リーゼはその隣に座っている。


 護衛の位置だ。

 ただし今日は、剣で守るというより、ダリオが席を立たずに済むよう見守る位置でもあった。


 俺は記録板を開いた。


 紙の上には、あらかじめ三つの項目を書いてある。


 一、証人は当時の施工補助図を実際に見たか。

 二、安全監視線、管理補助線、または類似構造を認識していたか。

 三、クラウス・ベルナーの補修、黒塗り、頁差し替えへの関与を知っているか。


 人物評価に逃げさせないための、こちらの線引きだった。


 クラウスは、いつものように整った技師服で現れた。

 表情は穏やかだが、目だけが冷たい。


「本日は、事実関係を明らかにするための場です」


 オルブライトが最初に言った。


「証言者には、当時の資料状態、施工図の内容、手続きの流れについて証言していただきます。人物評価は、直接関係する範囲に限ります」


 クラウスが薄く笑う。


「人物の信用性は、証言の価値に関わります」


「関わりますが、主題ではありません」


 オルブライトは即座に返した。


「本日の主題は、ダリオ・ガンツ氏の性格ではなく、当時の資料と施工内容です」


 ダリオが小さく息を吐いた。


「助かるな」


 本人に聞こえるか聞こえないかくらいの声だった。


 最初の証人は、モルツ資料管理官だった。


 彼は昨日と同じように硬い顔で入室し、証言者席に座った。


 オルブライトが確認する。


「モルツ管理官。あなたは、ローゼン侯爵家関連施工補助図の保管状態を管理していましたね」


「現在は、です。当時の施工時には関与していません」


「では、現在確認できる資料状態について証言してください。頁番号の不連続、黒塗り、補修記録について」


 モルツは少し唇を結んだ。


「古い資料であり、補修や再編が行われています。頁番号の不連続については、保管整理上の都合かと」


「かと、ではなく、記録はありますか」


 オルブライトの声は淡々としている。


 モルツは手元の紙を見る。


「頁二十一については、補修記録があります。右下印章部破損による再作成」


「補修記録者は」


「クラウス・ベルナー氏です」


 クラウスは表情を変えなかった。


 俺は記録する。


 モルツ証言。頁二十一補修記録あり。記録者クラウス・ベルナー。破損理由は右下印章部破損。


 ラウルが聞いた。


「破損前の原本はあるか」


「現在確認中です」


「昨日は出なかった」


「本日の聴取対象ではありません」


「質問に答えろ。あるのか、ないのか、確認中なのか」


 モルツは苦い顔で答えた。


「確認中です」


 ギルド記録官が筆を走らせる。


 クラウスが静かに口を挟んだ。


「古い資料の破損は珍しくありません。そこから不正を疑うのは早計です」


 オルブライトはクラウスを見ずに言った。


「不正と断定していません。資料状態を確認しています」


 次の証人は、レナード・ハイム。


 元施工補助技師。

 痩せた男で、緊張しているのが見て取れた。


 彼は入室すると、まずクラウスの方を見た。


 その一瞬だけで、ダリオが低く呟く。


「変わってねえな」


 レナードは証言者席に座り、手を膝の上で組んだ。


 オルブライトが尋ねる。


「あなたは、ローゼン侯爵家別邸結界炉施工に補助技師として参加しましたね」


「はい。かなり前のことですが」


「当時、ダリオ・ガンツ氏が提出した告発内容について、直接読みましたか」


 レナードは少し迷った。


「直接は……全文は読んでいません。ただ、現場で問題になっているとは聞きました」


「誰から」


「クラウス主任補佐からです」


 部屋の空気が動いた。


 クラウスの眉がわずかに上がる。


「当時、私は主任補佐ではありましたが、全ての説明をしたわけではありません」


 オルブライトが制する。


「クラウス氏、証人の発言中です」


 レナードは困ったように続けた。


「ダリオが、標準監視機構を不正だと誤解している、と聞きました。現場を混乱させるなと」


 ダリオの手が動いた。


 リーゼが、その手首にそっと視線を落とす。


 ダリオは気づき、手を開いた。


 オルブライトはさらに聞く。


「あなた自身は、その標準監視機構を見ましたか」


「外部監視端子は見ました」


「安全監視線、または管理補助線と呼ばれる構造は?」


 レナードは目を泳がせた。


「名前までは……」


「見たか、見ていないか」


「線はありました。炉の出力傾向を外部に送るためのものだと説明されました」


 俺は筆を走らせた。


 線はあった。炉の出力傾向を外部に送るためのもの。


 ダリオが低く息を吐いた。


 怒りではない。


 むしろ、長い間自分の中にだけあったものが、他人の口から出たことへの衝撃のようだった。


 クラウスが静かに言った。


「それは安全監視のためです。暴走防止の補助線に過ぎません」


 ラウルがすぐに問う。


「使用者に説明したか」


 クラウスは答えない。


 オルブライトが、レナードに戻す。


「レナード氏。使用者、つまりローゼン侯爵家側または管理者側に、その外部監視線の機能説明をした記録を見ましたか」


「私は見ていません」


「説明があったかどうかは」


「分かりません」


「分からない、と記録します」


 レナードはほっとしたように息を吐いた。


 次の証人は、ユーベル・カスト。


 魔道炉調整技師。

 レナードより年上で、落ち着いた男だった。


 彼は証言者席に座るなり、ダリオをちらりと見た。


「久しぶりだな、ガンツ」


「できれば会いたくなかった」


「私もだ」


 ユーベルは苦笑した。


「相変わらず口が悪い」


「それは証言に関係あるか?」


「ないな」


 そのやり取りに、会議室の空気が少しだけ緩んだ。


 オルブライトが質問する。


「ユーベル氏。あなたは当時、結界炉の調整に関与していましたね」


「はい」


「安全監視線と呼ばれる構造を知っていますか」


 ユーベルは、少し目を伏せた。


「知っています」


 クラウスの表情が固まった。


 ダリオも、ゆっくり顔を上げた。


 オルブライトは続ける。


「それは、ダリオ・ガンツ氏が管理紐付け線と呼んだものと同じですか」


「完全に同じかは分かりません。ただ、彼が問題視した線が、安全監視線と呼ばれていたのは事実です」


 会議室が静まり返る。


 ギルド記録官の筆音が響いた。


 オルブライトは淡々と尋ねた。


「その安全監視線の機能を説明してください」


「炉の出力傾向を外部端子で読み取り、異常兆候を早期に検知するためのものです」


「後日、管理者権限と紐付けることは可能ですか」


 ユーベルは少し沈黙した。


 クラウスが口を開きかける。


 ラウルが視線だけで制した。


 ユーベルは低く答えた。


「構造上は、可能です」


 ダリオが目を閉じた。


 その顔に浮かんだのは勝利ではなかった。


 むしろ、痛みだった。


 あの時にその一言があれば。


 そんな声が、言葉にならずに空気へ滲んだ。


 オルブライトはさらに問う。


「当時、その危険性は認識されていましたか」


「一部の技師は認識していました」


「あなたは?」


「していました」


「報告しましたか」


「……正式には、していません」


 ユーベルの声が少し落ちた。


「なぜですか」


「標準機能として扱われていたからです。貴族家案件でもありました。施工を止める判断は、私の立場では難しかった」


 ダリオが笑った。


 短く、乾いた笑いだった。


「難しかった、か」


 ユーベルはダリオを見た。


「すまないとは言わん。言える立場ではない。ただ、覚えていることは話す」


「それでいい」


 ダリオの声は低かった。


「今は、それでいい」


 俺は記録した。


 ユーベル証言。安全監視線の存在を認識。構造上、管理者権限との紐付け可能。一部技師は危険性を認識。正式報告なし。


 次は、旧審査部書記官マイラ・セントだった。


 年配の女性で、背筋が伸びている。

 彼女は入室すると、誰にも媚びない目で部屋を見渡した。


 クラウスにも、ダリオにも、同じように視線を向ける。


「証言すべきことだけ証言します」


 最初にそう言った。


 オルブライトが頷く。


「お願いします。マイラ氏、あなたは当時、ダリオ・ガンツ氏の告発文書と処分関連文書を扱いましたか」


「扱いました」


 即答だった。


 ダリオが微かに息を呑む。


「告発文書の内容を覚えていますか」


「細部までは。ただ、主旨は覚えています。結界炉の安全監視線が、説明なしに管理権移譲の下地となり得る、というものです」


 会議室がまた静まった。


 クラウスの表情が、初めて明らかに険しくなる。


「マイラ氏、それはあなたの解釈では?」


 マイラはクラウスを見た。


「いいえ。当時の告発文書に、そう書かれていました」


「あなたは技師ではない」


「書記官です。書かれていた文章を覚えているだけです」


 その返しは静かだったが、強かった。


 オルブライトが続ける。


「その告発文書は、どのように処理されましたか」


「審査部へ回付。クラウス主任補佐の意見書、現場主任の意見書、倫理委員補佐の人物評価書が添付され、過剰報告として処理されました」


 俺は急いで記録する。


 人物評価書。


 やはり出てきた。


 オルブライトはすぐに聞いた。


「人物評価書の内容は?」


「ダリオ・ガンツ氏の職務態度、上長への反抗、現場での発言の粗さ、貴族家案件における不適切な振る舞いについて」


 ダリオが顔をしかめる。


「懐かしい悪口だな」


 マイラは彼を見る。


「悪口ではなく、書類上の評価です」


「余計ひどい」


「そうですね」


 マイラはあっさり認めた。


 ダリオが少しだけ目を丸くした。


 彼女は続けた。


「当時、私は処理に違和感を覚えました。ただ、書記官でしたので、決裁には関与していません」


「違和感とは?」


 ラウルが聞く。


「技術的な告発の審査に、人物評価書の比重が大きかったことです」


 ダリオの表情が止まった。


 マイラは淡々と続けた。


「技術内容についての反論より、提出者の扱いづらさを強調する文書が多かった。あれでは、技術の是非ではなく、人を処分する流れでした」


 室内の空気が重くなる。


 クラウスが低く言った。


「当時の状況を、今になって単純化するのは危険です」


「単純化していません」


 マイラは返した。


「私は当時の文書構成を述べています」


 オルブライトが確認する。


「あなたは、当時の告発文書が技術的に正しかったと判断しますか」


「私は技師ではありませんので、判断できません」


「では、何を証言できますか」


「告発文書は存在した。内容は安全監視線の危険性に関するものだった。処分時には、技術反論だけでなく人物評価が大きく使われた。以上です」


 その三つは、十分だった。


 ダリオはマイラを見ていた。


 何か言いたそうだったが、言わなかった。


 言えなかったのかもしれない。


 最後に入ってきたのは、ゴードン・ライルだった。


 元技師組合倫理委員補佐。


 太った男で、整えた髭を撫でながら座った。


 彼は最初から、こちらを見る目に明らかな侮りを含んでいた。


「私は当時から、ダリオ・ガンツ氏の技師適性には疑問を持っておりました」


 質問を待たずに話し始めた。


 オルブライトが静かに止める。


「質問に答えてください。あなたは当時の施工補助図を見ましたか」


「直接は見ておりません。しかし、倫理委員補佐として、人物面の評価を――」


「施工補助図を見ていない、と記録します」


 ゴードンの顔が少し赤くなる。


「人物評価も重要です」


「後ほど伺います。まず、資料を見ていないことは確認しました」


 ダリオが小さく笑いそうになり、必死にこらえていた。


 ゴードンは咳払いをした。


「ダリオ氏は当時から、協調性に欠け、上長の指示に従わず、現場の秩序を乱す傾向がありました」


 オルブライトが問う。


「その評価は、技術的告発の真偽に直接関係しますか」


「信用性に関係します」


「あなたは告発文書を読みましたか」


「要旨は読みました」


「全文は?」


「全文は……必要な範囲で」


「全文を読んだかどうかを答えてください」


 ゴードンは詰まった。


「記憶が曖昧です」


「記憶が曖昧、と記録します」


 俺も同じく記録する。


 ゴードンは不満そうに唇を曲げた。


「ともかく、彼は感情的でした。貴族家施工案件で自分の意見が通らないと、すぐに不正だと騒ぎ立てた」


 その言葉に、ダリオの手が拳になった。


 リーゼが横から静かに言った。


「ダリオ」


 ただ名前を呼んだだけだった。


 ダリオは拳を開いた。


「分かってる」


 彼はゴードンを見た。


「俺は感情的だった。口も悪かった。上にも逆らった。そこは認める」


 ゴードンが勝ち誇ったように笑いかけた。


 だが、ダリオは続けた。


「で、あんたは安全監視線を見たのか」


 ゴードンの笑みが止まる。


「それは技術部門の――」


「見てないんだな」


「私は倫理面を――」


「見てない」


 ダリオはそれ以上言わなかった。


 ただ、それだけで十分だった。


 オルブライトが締める。


「ゴードン氏の証言。ダリオ・ガンツ氏の人物評価について否定的見解あり。ただし、施工補助図を直接見ておらず、告発文書全文を読んだかは記憶曖昧。技術的争点に関する直接証言なし」


 その言葉が、ゴードンの証言を小さく畳んだ。


 聴取が終わった時、ダリオは椅子から立ち上がれなかった。


 怒りと疲労と、何か別のものが混じっている顔だった。


 オルブライトが資料を整理しながら言った。


「本日の証言により、“安全監視線”という名称と、その構造上の管理紐付け可能性が第三者証言として確認されました」


 ラウルが頷く。


「大きい」


 ギルド記録官も言った。


「マイラ氏の証言も重要です。技術審査に人物評価が大きく使われたことが確認されました」


 ダリオは俯いたまま言った。


「俺は、やっぱり嫌な奴だったんだな」


 リーゼがすぐに返す。


「それと、告発が間違っていたかは別だ」


 ダリオは少し笑った。


「そうだな」


 声がかすれていた。


「ようやく、そこが別になった」


 俺は記録板に書いた。


『ダリオ・ガンツ発言。

“ようやく、そこが別になった。”』


 ダリオはそれを見て、苦笑した。


「それも書くのか」


「大事なので」


「そうか」


 会議室を出る前、マイラ・セントが廊下で待っていた。


 ダリオが足を止める。


 マイラは彼へ静かに頭を下げた。


「当時、私は違和感を覚えました。ですが、何もしませんでした」


 ダリオは返事をしなかった。


「今日、証言できてよかったとは言いません。遅すぎました」


「……ああ」


 ダリオの声は低い。


「遅すぎた」


 マイラは顔を上げた。


「それでも、記録には残します」


 ダリオはしばらく彼女を見ていた。


 そして、短く言った。


「頼む」


 それだけだった。


 でも、それ以上は必要なかった。


 宿へ戻る途中、雨が降り出した。


 石畳に細い雨が落ちる。


 ダリオは濡れるのも気にせず、しばらく歩いた。


「レオン」


「はい」


「今日の証言、村に送るのか」


「送ります」


「全部か」


「必要な分を整理して」


「人物評価も?」


 俺は少し考えた。


「送ります。ただし、技術的争点とは分けて」


 ダリオは息を吐いた。


「嫌だな」


「嫌なら、表現を相談しましょう」


「いや。送ってくれ」


 彼は雨の中で立ち止まった。


「俺が嫌な奴だったことも、告発が間違いとは限らないことも、両方残してくれ」


 リーゼが隣で頷いた。


「両方でいい」


 ダリオは少し笑った。


「お前に言われると、効くな」


 その夜、リベル村への報告を書いた。


『証言聴取実施。

安全監視線という名称が第三者証言として出る。

レナード証言:外部監視線あり。炉の出力傾向を外部へ送るものと説明された。

ユーベル証言:安全監視線を認識。構造上、後日管理者権限と紐付け可能。一部技師は危険性を認識。正式報告なし。

マイラ証言:ダリオの告発文書は存在し、内容は安全監視線の危険性に関するもの。処分時、技術反論より人物評価の比重が大きかった。

ゴードン証言:ダリオの人物評価は否定的。ただし施工図を直接見ておらず、告発文書全文を読んだかは不明。

本日、“安全監視線”が初めて第三者証言として記録された。』


 最後に、ダリオの希望通り書いた。


『ダリオは、自分が扱いづらい技師だったことを認めた。

しかし、それは告発が間違っていたことを意味しない。

今日、ようやくその二つが分けて記録された。』


 書き終えると、ダリオが小さく言った。


「それでいい」


 雨は夜更けまで降り続いた。


 リベル村の畑にも、この雨は届いているだろうか。


 小さな芽を倒さない程度ならいい。


 そう思いながら、俺は記録板を閉じた。

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