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「鑑定しかできない無能」と追放された俺、実は壊れた才能を直せる唯一の神職でした〜捨てられ聖女と辺境村を修理していたら、勇者より先に国を救ってしまった〜  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第8話 北の祠と、封じられた聖女

 北の森へ入ると決めた朝、トマは当然のように斧を持って現れた。


「行くんだろ」


 まだこちらが何も言っていないのに、彼は村の入口で待っていた。肩には使い込まれた斧。腰には短い鉈。足元は泥に強そうな革靴。顔つきだけ見れば、完全に森仕事の男だ。


「危ないかもしれませんよ」


「だから俺が行くんだろ」


「ありがたいですが、村の方は」


「村は村長が見てる。昨日から弓の修理も進んでるし、木柵の補強も始めた。俺ひとり抜けたくらいで止まるほど、もうこの村は弱くねえよ」


 そう言って、トマは少し照れたように鼻の下をこすった。


 昨日までなら、そんな言い方はしなかっただろう。

 リベル村は弱い。貧しい。終わりかけている。そういう諦めが、彼らの言葉の端々にあった。


 でも今は違う。


 完全に変わったわけではない。

 井戸も、水車も、結界も、まだ応急修理に近い。


 それでも、村人たちは「直せるかもしれない」と思い始めている。


 それは、たぶん大きい。


「私も行きます」


 後ろから声がして、振り返る。


 セリアだった。


 白い修道服ではなく、村の女たちが用意してくれた動きやすい服を着ている。上から薄い外套を羽織り、髪は後ろで結んでいた。


「セリアは治療所で休んでいる約束では」


「休みました」


「半日だけでしょう」


「レオンさんも昨日、半日しか休んでいません」


 またそれを言われる。


 トマが笑いをこらえるように横を向いた。


「笑わないでください」


「笑ってねえよ」


「顔が笑ってます」


「いや、先生はセリアに弱いなと思ってな」


「だから先生では」


「もう諦めろって」


 俺はため息をついた。


 セリアは真面目な顔でこちらを見ている。


「北の祠は、結界のことに関係があるんですよね」


「おそらく」


「それなら、私も見ておきたいんです。昨日、結界に魔力を流した時……何か、呼ばれた気がしました」


「呼ばれた?」


「声が聞こえたわけではありません。でも、流れの先に何かがある感じがして」


 聖女としての感覚か。

 それとも、彼女に刻まれた封印痕が反応しているのか。


 正直、連れて行くべきか迷った。


 北の祠は、村長の話では三年前に崩れたという。井戸が細り始めた時期と一致している。防衛結界の不調とも関係しているなら、危険があるかもしれない。


 だが、セリアの浄化魔力が必要になる可能性は高い。


「分かりました。ただし、無理はしない。危ないと思ったらすぐ下がる。俺の指示に従う。それが条件です」


「はい」


「本当に?」


「本当です」


「昨日も大丈夫と言って倒れかけました」


「……今日は大丈夫です」


「その大丈夫が信用できないんですが」


 セリアは少しだけ頬を膨らませた。


「レオンさんにだけは言われたくありません」


 トマが今度こそ声を出して笑った。


 北の森は、村から見えるよりもずっと暗かった。


 木々の枝が頭上で絡み合い、朝の光を細かく砕いている。足元には湿った落ち葉が積もり、場所によっては膝近くまで草が伸びていた。


 トマが先頭で枝を払いながら進む。


「昔は、この道ももう少し歩きやすかったんだ」


「祠に参る人がいたんですか」


「ああ。俺が子供の頃は、春と秋に村の年寄りが掃除に来てた。魔物除けの祠だから大事にしろって言われてな。まあ、俺たち若いのは面倒くさがってたけど」


「今は来ていない?」


「水が減り始めた頃から、森に魔物が増えた。祠も崩れたって聞いて、それっきりだ。直す余裕も、人手もなかった」


 トマは苦い顔をした。


「放っといたツケが回ったんだろうな」


「全部が村のせいとは限りません」


「慰めか?」


「事実です。祠が自然に崩れたのか、何かに壊されたのかは、まだ分からない」


 トマは足を止め、こちらを見た。


「何かに壊された?」


「可能性です」


 井戸の結界石。

 防衛結界の反転。

 セリアの魔力回路に残る封印痕。


 どれも、自然劣化だけでは説明しきれない気がしていた。


 勇者パーティーにいた頃の俺なら、そこまで考えなかったかもしれない。装備の不調を見つけ、魔物の弱点を記録し、次の戦闘を無事に終える。それだけで精一杯だった。


 でも今は、壊れた原因まで見なければいけない。


 直すためには、壊れた理由を知らなければならない。


「レオンさん」


 セリアが小さく声を上げた。


「どうしました?」


「あっちです」


 彼女は森の奥を指した。道らしい道はない。ただ、苔むした石がいくつか転がっている。


「何か感じます」


 俺もそちらを見る。


 鑑定を使う。


《結界残滓》

《魔力反応:微弱》

《方向:北北東》


「合ってます」


 俺が言うと、セリアは少しほっとしたように息を吐いた。


 トマが感心したように彼女を見る。


「セリアも分かるのか」


「はっきりではありません。でも、胸の奥が引っ張られるような感じがして」


「聖女様ってのはすごいな」


 何気ない一言だった。


 だがセリアは目を丸くした。


「聖女……」


「あ、悪い。嫌だったか」


「いえ。嫌では……ないです」


 セリアは胸元に手を当てた。


「ただ、まだ慣れなくて」


 トマは少し困ったように頭をかいた。


「じゃあ、何て呼べばいい」


「セリアで」


「分かった。セリア」


 それだけの会話なのに、セリアの表情が少し柔らかくなる。


 呼び方ひとつで、人は救われることがあるのかもしれない。


 しばらく進むと、森の空気が変わった。


 湿り気が濃くなり、鳥の声が消える。

 足元の草が、妙に黒ずんでいた。


 トマが斧を握り直す。


「近いな」


「はい」


 俺の視界にも、いくつもの表示が浮かんでいる。


《魔力腐食:軽度》

《結界石片:散乱》

《警戒推奨》


 やがて、木々の間に小さな石造りの祠が見えた。


 いや、祠だったもの、と言うべきか。


 屋根石は半分崩れ、柱は斜めに傾き、周囲には砕けた結界石が散乱している。中央には台座のようなものがあり、その上に本来置かれていたであろう石が、真っ二つに割れていた。


 その割れ目から、黒い靄が細く漏れている。


 セリアが胸元を押さえた。


「ここ……嫌です」


「下がってください」


「でも」


「まず俺が見ます」


 俺は祠に近づき、台座の前に膝をつく。


 黒い靄に触れないようにしながら、割れた石を見る。


《北祠・結界中継石》

《状態:大破》

《腐食率:六十八%》

《異常:外部呪印》

《機能:防衛結界中継/水脈魔力循環補助》

《修復可能:条件付き》


 外部呪印。


 やはり自然に壊れたのではない。


「誰かが壊しています」


 俺が言うと、トマの顔つきが変わった。


「魔物か?」


「魔物なら、ただ壊すだけでしょう。でもこれは、結界の向きを歪めるように壊されている」


「つまり?」


「村を守る結界を、魔物を呼ぶ結界に変えた」


 トマは低く息を吐いた。


「誰がそんなことを」


「分かりません」


 ただ、悪意はある。


 偶然ではない。

 村が少しずつ弱り、井戸が枯れ、魔物が増えるように仕組まれている。


 派手な破壊ではない。

 三年かけて村を殺すような、嫌な壊し方だ。


 セリアがゆっくり近づいてくる。


「これ、神殿の封印に似ています」


 俺は思わず振り返った。


「分かるんですか」


「はい。私の中にあるものと、少しだけ似ています」


 セリアは自分の胸元に手を置いた。


「神殿で封印された時、同じような冷たい感じがしました」


「封印された時の記憶があるんですか」


 彼女は少し顔を伏せた。


「全部ではありません。聖女試験に失敗したあと、上級神官様たちが私を浄化すると言って……その後、何日か記憶が曖昧です」


「浄化」


 嫌な言葉だった。


 彼女の魔力回路に残っていた封印痕。

 この祠に残る外部呪印。


 もし同じ系統なら、神殿が関わっている可能性がある。


 だが、今それを口にすると、セリアを余計に傷つける。


「セリア。この呪印を浄化できますか」


「やってみます。でも……」


「無理ならすぐ止めます」


「いえ、そうじゃなくて」


 セリアは祠の割れた石を見た。


「この呪印、誰かの祈りみたいなんです」


「祈り?」


「はい。でも、人を救う祈りじゃない。縛るための祈りです」


 トマが顔をしかめる。


「祈りってのは、人を助けるもんじゃないのか」


 セリアは悲しそうに答えた。


「そうだと思っていました」


 静かな言葉だった。


 それ以上、誰も何も言えなかった。


 俺は割れた中継石を調べる。


 完全修復には素材が足りない。石そのものが大きく欠けているし、腐食も進んでいる。だが、呪印を弱め、中継機能を一部戻すことはできる。


《修復条件》

《一:外部呪印の浄化》

《二:破損部の仮接合》

《三:東柱との結界線再同期》


 必要なのは、セリアの浄化魔力と、俺の修復鑑定。

 それから、物理的に石を支える作業。


「トマさん、祠の周りの石を集めてください。割れた中継石を支えるために使います。ただし黒ずんでいる石には直接触れないで」


「分かった」


「セリアは、俺が合図するまで魔力を流さないでください」


「はい」


 作業は慎重に進めた。


 トマが使えそうな石を選び、俺が配置を決める。祠の柱を縄で仮固定し、傾いた屋根石を支える。崩れかけた祠は、少し触れただけで全体が崩れそうだった。


 セリアは祠の前で目を閉じている。


 祈っているように見える。

 けれど、彼女はもう神殿に縛られて祈っているわけではない。


 この村を守るために、自分の意思でそこに立っている。


「始めます」


 俺が言うと、セリアはゆっくり目を開けた。


「はい」


「まずは弱く。呪印の表面だけを洗う感じで」


「分かりました」


 白い光が、セリアの手から中継石へ伸びる。


 黒い靄が反応し、ざわりと揺れた。


 セリアの顔が歪む。


「っ……」


「痛みますか」


「冷たい、です。でも大丈夫」


「無理はしない」


「はい」


 セリアの光が、黒い呪印を少しずつ削っていく。


 俺は中継石に手を当てた。


 冷たい。

 指先から腕へ、嫌な痺れが上がってくる。


 視界に、絡み合った線が見えた。


 村の結界線。

 水脈に繋がる魔力循環。

 そして、それらに絡みつく黒い鎖のような呪印。


 鎖は一部、セリアの魔力回路に残る封印痕とよく似ていた。


 やはり、同じ系統だ。


 胸の奥に怒りが湧く。


 誰かが、村を壊した。

 そして誰かが、セリアを壊した。


 どちらも静かに、長い時間をかけて、本人たちに「自分が悪い」と思わせるように。


「レオンさん?」


 セリアが不安そうに声をかけた。


 いけない。

 怒りで流れを見失うところだった。


「大丈夫です。続けて」


 俺は息を整える。


 壊れたものを直す。

 今はそれだけに集中する。


 呪印の弱い部分を見つける。

 セリアの光をそこへ導く。

 黒い鎖の一部がほどける。


 ばちん、と音がした。


 祠の周囲に、薄い風が走る。


 トマが斧を構えた。


「何だ!」


「呪印が剥がれました。まだ続きます!」


 黒い靄が濃くなり、今度は人の声のようなものが聞こえた。


 ――失敗作。


 セリアの肩が震えた。


 ――災厄。


 彼女の光が乱れる。


「セリア、聞かなくていい!」


 俺は叫んだ。


 ――聖女にふさわしくない。


「違う!」


 セリアが叫んだ。


 森の中に、その声が響いた。


 白い光が強くなる。


「私は……私は、壊すだけじゃない!」


 その瞬間、彼女の光が黒い靄を押し返した。


 俺はその機を逃さず、呪印の中心に修復鑑定を叩き込む。


《外部呪印:剥離》

《中継石:仮接合》

《北祠:機能一部復旧》


 割れていた中継石の断面が、淡く光った。


 完全に元通りにはならない。

 けれど、割れ目に白い線が走り、祠全体が低く震える。


 森の空気が変わった。


 重く湿っていたものが、少しだけ薄れる。

 鳥の声が遠くで戻った。


 セリアは膝をつきそうになった。俺は慌てて支える。


「大丈夫ですか」


「はい……少し、疲れただけです」


「またそれですか」


「今回は本当に少しです」


 苦しそうなのに、彼女は笑っていた。


 トマが祠を見上げる。


「直ったのか」


「仮復旧です。村の結界との繋がりが少し戻りました」


「少しで十分だ。森の空気が変わった」


 トマはそう言ってから、セリアを見た。


「セリア。さっきの、格好よかったぞ」


「え?」


「私は壊すだけじゃない、ってやつ」


 セリアの顔が一気に赤くなる。


「き、聞こえていましたか」


「森中に響いてた」


「忘れてください」


「無理だな。村で話す」


「やめてください!」


 セリアが本気で慌てる。


 その様子が少し可笑しくて、俺もつい笑ってしまった。


「レオンさんまで笑わないでください」


「すみません。でも、本当に良かったと思います」


「何がですか」


「自分で言えたことが」


 セリアは黙った。


 そして、小さく息を吐く。


「……はい」


 その声は、どこか照れくさそうで、でも嬉しそうだった。


 俺は祠の奥を見る。


 台座の下に、何かがある。


 石板だ。


 苔と土に覆われているが、表面に古い文字が刻まれていた。トマに手伝ってもらい、慎重に引き出す。


 文字の一部は読めない。

 だが、鑑定が補ってくれる。


《リベル修復工房・北中継祠》

《管理対象:中央井戸/東水車/防衛外周柱/地下工房入口》

《地下工房入口:村中央・旧倉庫下》


「地下工房……」


 俺は思わず呟いた。


 トマが石板を覗き込む。


「何て書いてあるんだ」


「この祠は、リベル村の古い設備の一部です。井戸、水車、結界柱……それから、地下工房への入口を管理していた」


「地下工房?」


「村の中央、旧倉庫の下に入口があると」


 トマは目を丸くした。


「旧倉庫って、子供たちを避難させてた場所じゃねえか」


「はい」


 セリアが不安そうに言う。


「危ない場所なんでしょうか」


「今すぐではないと思います。でも、結界中枢に関わっている可能性があります」


 つまり、第1章の大きな手がかりだ。


 この村には、ただの古い結界ではなく、修復工房と呼ばれる施設が眠っている。

 そして俺の《修復鑑定士》という職業と、何か関係があるかもしれない。


 石板の端には、もう一つ文字があった。


《登録職:修復師/結界技師/聖女補佐》

《上位権限:修復鑑定士》


 心臓が、どくんと鳴った。


 修復鑑定士。


 やはり、この職業は存在していた。

 ただの偶然でも、俺の見間違いでもない。


 セリアが俺の顔を見て、すぐに気づいた。


「レオンさん?」


「この石板に、俺の職業名があります」


「修復鑑定士、ですか」


「はい」


 トマが驚いたように俺を見る。


「お前の職業、この村と関係あるのか」


「分かりません。でも……たぶん、無関係ではない」


 自分の声が少し硬くなっていた。


 勇者パーティーを追放され、偶然たどり着いた辺境村。

 そこに、自分の真職業と同じ名が刻まれた古代の工房が眠っている。


 偶然にしては、出来すぎている。


 森の奥で、枝が揺れた。


 トマがすぐに斧を構える。


「魔物か」


 俺も鑑定を広げる。


《灰角魔狼》

《数:二》

《接近中》


「二体です。昨日の群れの残りかもしれません」


「セリアは下がれ」


 トマが前に出る。


 だが、魔狼たちはすぐには襲ってこなかった。祠の光を嫌がるように、木々の間で低く唸っている。


 結界の中継機能が戻ったことで、森の魔力の流れが変わったのだろう。


「追い払えますか」


 セリアが尋ねる。


「たぶん」


 俺は祠に手を当てた。


 修復したばかりの中継石には、まだわずかな力が残っている。そこにセリアの浄化魔力を少しだけ乗せれば――。


「セリア、弱く光を」


「はい」


 白い光が祠へ流れる。


 俺はその流れを、森の外側へ向けて整える。


 祠から淡い波紋が広がった。


 魔狼たちは甲高く鳴き、森の奥へ逃げていく。


 トマがぽかんとした顔をした。


「戦わずに追い払ったぞ」


「戦わないで済むなら、その方がいいです」


「本当に勇者向きじゃねえな」


「よく言われました」


「褒めてるんだよ」


 トマは笑った。


「この村には、勇者よりそういう奴の方が必要だ」


 何気なく言われた言葉だった。


 けれど、胸の奥にゆっくり染み込んだ。


 勇者より。


 俺は勇者にはなれない。

 聖剣を振るえない。魔王を倒す使命もない。


 でも、この村を直すことはできるかもしれない。


 それでいいのだと、少しだけ思えた。


 村へ戻ると、村長が倉庫の前で待っていた。


 俺たちが持ち帰った石板を見せると、村長は長い間黙っていた。


「旧倉庫の下に、そんなものが……」


「心当たりは?」


「あると言えばある。あの倉庫は妙に床が冷える。昔から、下に空洞があるんじゃないかとは言われておった」


「調べてもいいですか」


「もちろんだ。だが、今日は休め」


 即答だった。


「村長」


「休め」


「でも、結界中枢が」


「逃げはせん」


 村長は俺の顔をじっと見る。


「レオン殿。あんたは壊れたものを見るのが得意だ。だが、自分が壊れかけていることには鈍い」


 またそれを言われる。


 セリアが隣でこくこくと頷いている。


「セリアまで」


「村長さんの言う通りです」


「トマさんは」


「俺も同意だな」


 味方がいない。


 俺は諦めて息を吐いた。


「分かりました。今日は休みます」


「よろしい」


 村長は満足そうに頷いた。


 だが、その目はすぐに石板へ戻る。


「地下工房か……この村は、儂らが思っていたより古いのかもしれんな」


 村長の声には、不安と期待が混じっていた。


 その頃、王都では。


 勇者カイルが、神殿鍛冶師の前で声を荒げていた。


「直せないとはどういう意味だ!」


 聖剣アークレイヴは、作業台の上に置かれている。亀裂は根元から刀身の三分の一ほどまで伸びていた。


 神殿鍛冶師は、灰色の髭を撫でながら重々しく言った。


「完全修復には時間がかかる。最低でも一月。無理に使えば、次の戦闘で折れる」


「一月だと? 魔王軍は待ってくれない!」


「剣も待ってくれん。壊れる時は壊れる」


 カイルは机を叩いた。


「聖剣だぞ!」


「聖剣だからこそ、雑に扱えば反動が出る」


 鍛冶師は淡々と言った。


「それに、この剣は以前から亀裂が進行していたはずだ。なぜ早く持ってこなかった」


 カイルは口を閉ざした。


 エレナ、ガレス、マリウスも部屋の隅で黙っている。


 鍛冶師は続けた。


「応急処置の跡がある。かなり丁寧だ。誰がやった?」


 誰も答えなかった。


 やがて、ガレスが低く言う。


「レオンだ」


「レオン?」


「うちにいた鑑定士だ」


 鍛冶師は眉を上げる。


「鑑定士がここまでやったのか」


 その声には、明らかな驚きがあった。


「この補助魔石の噛ませ方、負荷の逃がし方。専門鍛冶師ではないにしても、相当状態を見ている。これがなければ、もっと早く折れていたぞ」


 部屋の中が静まり返った。


 カイルの顔が歪む。


「……あいつは、鑑定しかできない」


「その鑑定が優れていたのだろう」


 鍛冶師はあっさり言った。


「少なくとも、お前さんたちはこの亀裂に気づかなかった」


 その一言は、重かった。


 エレナが目を伏せる。

 マリウスは唇を噛む。

 ガレスは深く息を吐く。


 カイルだけが、まだ認めようとしなかった。


「代わりの剣を用意しろ」


「聖剣の代わりなどない。普通の魔剣なら貸せるが、聖剣の力は出ん」


「それでもいい」


「無理に前線へ出る気か」


「勇者が休んでいられるか」


 鍛冶師は呆れたように首を振った。


「剣だけではない。お前さん自身も歪んでいるように見えるぞ」


「何だと?」


「道具の声を聞けん者は、仲間の声も聞けん」


 カイルは怒りで顔を赤くしたが、言い返せなかった。


 宿へ戻る道中、エレナがぽつりと言った。


「レオンを呼び戻すべきじゃない?」


 カイルが足を止める。


「何を言っている」


「今ならまだ間に合うかもしれない。謝って、戻ってきてもらって――」


「謝る?」


 カイルは笑った。


 笑ったが、その声は乾いていた。


「勇者の俺が、鑑定士に頭を下げるのか」


「必要なら」


 エレナは静かに言った。


「私は、下げるべきだと思う」


 マリウスが顔を歪める。


「感情論だ。戻したところで、彼が何をできる」


「少なくとも、聖剣の亀裂には気づいていたわ」


「それは……」


「杖も、鎧も、魔物の変異も。私たちが見落としていたものを、全部見ていた」


 ガレスが口を開く。


「俺も、戻ってもらえるならその方がいいと思う」


「ガレスまで」


「認めたくないが、今の俺たちは危うい」


 カイルは三人を見た。


 仲間たちの目が、以前と違っていた。

 無条件に自分へ従う目ではない。


 疑い。

 不安。

 そして、レオンへの後悔。


 カイルは拳を握りしめる。


「……探せ」


 低い声だった。


 エレナが目を上げる。


「カイル」


「勘違いするな。謝るためじゃない。あいつは元々、俺たちのパーティーの人間だ。必要だから連れ戻すだけだ」


 エレナは何か言いかけて、やめた。


 今はそれでもいい。

 少なくとも、レオンを必要だと認める一歩ではある。


 マリウスは苦々しい顔をしながらも、反論しなかった。


 ガレスは静かに頷く。


「行き先を調べる。馬車の停留所から追えるはずだ」


 カイルは王都の空を見上げた。


 雲が重い。


 聖剣は使えない。

 次の任務は迫っている。

 王国の期待は変わらず自分に向けられている。


 その重さが、初めて少しだけ怖くなった。


 リベル村では、夕方の治療所に灯りがついていた。


 セリアは子供の擦り傷を治し、老人の腰痛を和らげ、熱を出した子に水を飲ませていた。まだ大きな治癒はできない。けれど、小さな治療を重ねるたび、彼女の魔力は少しずつ安定していく。


 俺は治療所の入口で、その様子を見ていた。


 セリアがこちらに気づく。


「レオンさん、休んでくださいと言われたはずでは」


「見ているだけです」


「それを休んでいないと言います」


「厳しいですね」


「レオンさんには、これくらいでちょうどいいです」


 その言い方が妙に自然で、俺は少し笑った。


 セリアも笑う。


 彼女の笑顔は、もう昨日のように遠慮だけではできていなかった。


「北の祠で、怖い声が聞こえた時」


 セリアがふと話し始めた。


「はい」


「私、本当は逃げたかったです。でも、逃げたらまた昔と同じになる気がして」


「昔?」


「言われた言葉を、そのまま信じてしまう自分に戻る気がしました」


 セリアは手元の清潔な布を畳む。


「失敗作だって言われたら、失敗作なんだと思っていました。災厄だって言われたら、そうなんだと思っていました。でも……違うって言いたかったんです」


「言えていました」


「はい」


 彼女は小さく頷いた。


「レオンさんが、私を壊れているんじゃなくて、壊されているだけだと言ってくれたから」


「俺は見えたことを言っただけです」


「それでも、私には必要な言葉でした」


 そう言われると、返す言葉がない。


 しばらく沈黙が落ちた。


 嫌な沈黙ではなかった。


 水車の音が遠くから聞こえる。

 井戸の方では、村人たちが桶を運んでいる。

 森は静かだ。


 セリアが窓の外を見ながら言った。


「この村、直したいですね」


「はい」


「井戸も、水車も、結界も。村の人たちも。私も」


「俺もです」


 セリアがこちらを見る。


「レオンさんも?」


「たぶん、俺も少し壊れていたので」


 口にしてから、思ったより素直な言葉だと気づいた。


 勇者パーティーにいた頃、俺は自分を必要ない人間だと思いかけていた。

 追放された時、それを否定する言葉が出なかった。


 それは、壊れていたということなのかもしれない。


 セリアは少しだけ考えて、微笑んだ。


「じゃあ、一緒に直しましょう」


「そうですね」


 その言葉は、約束のように聞こえた。


 夜。


 村長の家で、北の祠から持ち帰った石板を広げた。


 村長、トマ、セリア、そして俺。

 四人で古い文字を確認する。


「旧倉庫の下に地下工房か」


 村長が腕を組む。


「明日、床を調べましょう」


「倉庫には今、避難用の物資を入れておる。移動させねばならんな」


「俺が人を集める」


 トマが言う。


「地下に何があるか分からん。開けるなら慎重にだ」


「はい」


 俺は石板の最後の文字をもう一度見た。


《上位権限:修復鑑定士》


 この村は、俺を待っていたのか。


 そんな都合のいい考えを、すぐに打ち消す。


 待っていたのではない。

 壊れて、放置されていただけだ。


 ただ、そこに俺が来た。


 なら、やることは一つだ。


「明日、地下工房の入口を探します」


 俺が言うと、三人が頷いた。


 その夜、リベル村の空には星が出ていた。


 王都を出た夜に見た星と同じはずなのに、少しだけ近く感じた。

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