第76話 現地閲覧条件、王都を揺らす
リベル村から届いた回答文は、王都行政庁の小会議室に置かれると、ただの紙とは思えない重さを持った。
腕輪原本は移送しない。
黒石祠外殻片も移送しない。
確認するなら、リベル村現地で。
本人意思、村長承認、証拠保管担当者同席、行政庁・防衛局・冒険者ギルド立ち会いを必須とする。
そして、最後の一文。
『腕輪原本は、単なる技術資料ではなく、リーゼ・ヴァルト氏本人の被害記録に関わる物証である』
リーゼはその一文から、しばらく目を離せなかった。
王都では、物はよく分類される。
危険物。
証拠物。
技術資料。
騎士団備品。
押収対象。
管理対象。
けれど、その腕輪が誰の身体に着けられ、何を奪い、何を壊したのか。
そこを見ようとする紙は、あまりなかった。
「……セリアらしい」
リーゼは小さく呟いた。
隣でダリオが腕を組む。
「あと、村長らしくもある。あの爺さん、柔らかい顔して文が硬い」
「ニコルの字も見える」
俺は回答文の控えを見た。
丁寧な文字。
少しだけ力の入った箇所。
おそらくトマが横から口を挟んだだろう部分。
リベル村に残った者たちは、ただ待っていなかった。
証拠を守る側として、自分たちの線を引いた。
オルブライト行政官は回答文を読み終えると、眼鏡を押し上げた。
「行政庁としては、リベル村の提示条件を妥当と判断します」
ラウル査察官も頷く。
「防衛局も同じだ。証拠物を疑惑の中心に近い王都側へ無条件移送させる方が危険だ」
ギルド記録官も淡々と書き取る。
「ギルドとしても、現地閲覧条件に異議なし。証拠保全の観点から合理的、と記録します」
その時、会議室の扉が叩かれた。
行政庁職員が入り、オルブライトへ別の文書を差し出す。
「騎士団から追加回答です」
部屋の空気が少し変わった。
オルブライトは封を開け、文面を確認した。
「王都騎士団は、腕輪原本の王都提出が望ましいとの立場を維持。ただし、行政庁および防衛局が現地閲覧を妥当とする場合、騎士団代表者の派遣による確認を検討する、と」
リーゼは目を細めた。
「誰を送るつもりだ」
「そこは未定です」
ラウルが言った。
「だが、騎士団が誰を出すかは重要だ。ローゼン家寄りの者なら、話がこじれる」
ダリオが鼻で笑う。
「技師組合も同じだろ。クラウス本人は来ないにしても、クラウスの息がかかった技師を出してくる」
「その可能性は高いです」
オルブライトは答えた。
「現地閲覧者の選定条件も、こちらから出す必要があります」
俺は記録板を開いた。
「リベル村側条件に追加するなら、閲覧者の事前名簿提出、所属、過去の関連案件、持ち込み器具一覧、利害関係申告ですね」
ダリオがこちらを見た。
「お前、本当に嫌な方向に成長したな」
「必要なので」
「褒めてる」
「ありがとうございます」
リーゼが少しだけ笑った。
しかし、その笑みはすぐ消えた。
「騎士団代表か……」
彼女の声には、わずかに硬さがある。
王都の門をくぐってからずっと、リーゼは自分の過去と向き合い続けている。
騎士団。
かつて所属していた場所。
剣を振るう意味を教えられた場所。
そして、自分の異常を適切に拾い上げてもらえなかった場所。
ラウルはリーゼへ視線を向けた。
「騎士団から代表が出る場合、あなたの元上官が来る可能性もある」
「元上官……」
「グレン・バルナード副長。知っているか」
リーゼの顔が、ほんの少し変わった。
「知っている」
「どういう人物だ」
「厳しい。騎士団の規律を重んじる。情に流される人ではない」
そこで一度言葉を切り、少しだけ目を伏せた。
「ただ、露骨な不正を好む人でもない」
「なら候補としては悪くない」
ラウルが言う。
リーゼはすぐには頷かなかった。
「だが、私の異常報告を深く調べなかった側の人でもある」
その一言で、会議室は少し静まった。
完全な敵ではない。
けれど、完全な味方でもない。
王都には、そういう人間が多すぎる。
オルブライトは次に、技師組合からの意見書を広げた。
「技師組合側は、現地閲覧を行う場合、専門技師の同行が必要と主張しています」
ダリオが嫌な顔をする。
「言い方がもう嫌だ」
「候補者名はまだ出ていません。ただし、クラウス氏本人は現在、閲覧関連から外れています」
「本人は外れても、手は伸びる」
「その前提で対応します」
ラウルが短く言った。
会議室での協議は続いた。
リベル村への現地閲覧は、必要なら受ける。
だが、条件はこちらが崩さない。
腕輪原本は移送しない。
黒石祠外殻片も移送しない。
閲覧者は事前申告。
器具は事前鑑定。
単独閲覧不可。
証拠物へ触れる場合は、本人同意、村長承認、保管担当者同席。
ひとつひとつ、紙にしていく。
ダリオは途中でぼそりと言った。
「これ、リベル村が王都を管理してるみたいだな」
オルブライトが真面目に答える。
「証拠物に関しては、保管者が条件を出すのは当然です」
「王都でそれを当然って言える役人、珍しいな」
「そうでしょうか」
「珍しい」
ラウルも頷いた。
「珍しいな」
オルブライトは少しだけ困った顔をした。
その頃、ローゼン侯爵家の執務室にも、リベル村の回答が届いていた。
侯爵は文書を読み終えると、何も言わずに机へ置いた。
静かだった。
あまりに静かで、部屋に控えていたアルヴィンは余計に背筋を伸ばした。
「原本移送を拒否しました」
アルヴィンが報告する。
「読めば分かる」
「失礼しました」
侯爵は指先で机を叩く。
こつ、こつ、と低い音が響いた。
「現地閲覧か」
「行政庁と防衛局は、条件を妥当と見ているようです」
「妥当」
侯爵はその言葉を、薄く笑った。
「辺境村ごときが条件を出し、行政庁がそれを妥当と言う。時代も変わったものだ」
アルヴィンは黙っている。
「クラウスは」
「反発しています。腕輪原本と黒石祠外殻片が王都へ来なければ、十分な解析ができないと」
「解析ではなく、処理だろう」
侯爵は冷たく言った。
アルヴィンは答えなかった。
侯爵は椅子にもたれ、目を細める。
「ならば、現地閲覧に行く者をこちらで選べ」
「技師組合代表として、ですか」
「そうだ。クラウス本人は使えん。だが、組合内にはまだこちらの意を汲む者がいる」
「行政庁が利害関係申告を求めてくる可能性があります」
「申告できる程度に薄い者を選べ」
「騎士団側は」
「グレン・バルナードが出てくる可能性がある」
アルヴィンは少し驚いた。
「グレン副長を?」
「あれは堅物だ。簡単にはこちらに寄らん。ただし、騎士団の面子は守る。リーゼ・ヴァルトの件で騎士団に傷がつくと分かれば、何を優先するかは分からん」
「では、利用できると」
「利用できるかは知らん。だが、揺らせる」
侯爵はリベル村の地図を見た。
「現地閲覧は、危険でもあるが機会でもある。リベル村の中へ、正式に王都側の目を入れられる」
「向こうは記録します」
「記録させればよい。見せたいものを見せ、見せたくないものへ近づく理由を作る」
アルヴィンは、ふと嫌な予感を覚えた。
「黒石祠の反応を利用されるおつもりですか」
侯爵はすぐには答えなかった。
その沈黙が答えのようなものだった。
「現地閲覧の日程が決まれば、リベル村は証拠物保全に集中する。外の祠への警戒は薄れる」
「危険です」
「危険だから使える」
侯爵は淡々と言った。
「リベル村が自主管理できるという評価を壊すには、管理できない危機を起こせばよい」
アルヴィンは喉の奥が冷えるのを感じた。
「……承知しました」
「ためらうな、アルヴィン」
「はい」
「記録は人を守る。だが、記録される前に起きたことまでは守れん」
侯爵は窓の外へ目を向けた。
「リベル村が紙の盾を持つなら、こちらは紙の外で動く」
行政庁では、オルブライトが新しい条件書をまとめていた。
『現地閲覧者条件案』
一、閲覧者名簿の事前提出。
二、所属、役職、関連案件の有無、利害関係申告。
三、持ち込み器具一覧の事前提出および現地鑑定。
四、証拠物への接触は、本人同意、村長承認、保管担当者同席を条件とする。
五、閲覧は行政庁、防衛局、冒険者ギルド立ち会いのもと行う。
六、技師組合単独閲覧不可。
七、証拠物の移送は行わない。
八、発言、作業、測定値、器具反応はすべて記録する。
ダリオはそれを読んで、深く頷いた。
「いいな。嫌がらせみたいに強い」
「嫌がらせではありません」
オルブライトは即答した。
「証拠保全です」
「その言い方、便利だな」
リーゼは静かに言った。
「リベル村が守られる条件でもある」
「はい」
俺は頷いた。
「ただ、現地閲覧となれば、俺たちも村に戻る必要があります」
ラウルが言う。
「その前に、騎士団副長との協議が必要になるだろう。リーゼの件は、現地閲覧だけでは済まない」
リーゼは小さく息を吐いた。
「グレン副長か」
「避けたいか」
ラウルが尋ねる。
リーゼはしばらく黙った。
「避けたい」
正直な答えだった。
「だが、避けたままでは記録は変わらない」
その言葉に、ダリオが少し笑う。
「俺たち、嫌な場所に行く話ばかりしてるな」
「必要な場所だからです」
俺が言うと、ダリオは肩をすくめた。
「分かってる。分かってるから嫌なんだ」
同じ言葉を、彼は何度も言っている。
でも今回は、少しだけ笑いが混じっていた。
夜、宿に戻った俺たちは、リベル村へ報告文を書いた。
『リベル村回答により、腕輪原本および黒石祠外殻片の王都移送は回避される見込み。
行政庁・防衛局・ギルドは現地閲覧条件を妥当と判断。
ただし、騎士団代表および技師組合代表の選定が今後の焦点。
現地閲覧者条件案を作成中。
リーゼの過去記録について、騎士団副長グレン・バルナードが関与する可能性あり。
警戒継続。証拠物保全継続をお願いします。』
書き終えると、リーゼが言った。
「セリアたちは、また心配するな」
「はい」
「だが、隠しても仕方ない」
「ええ」
ダリオは窓の外を見ていた。
王都の灯りが、また眠らずに揺れている。
「現地閲覧か」
彼は呟いた。
「王都の連中が、リベル村に来る」
「嫌ですか」
「嫌だ」
即答だった。
「でも、今のリベル村なら、迎え撃てる」
その声には、不思議な確信があった。
水路を直し、畑を起こし、芽を守り、証拠を封印し、紙の盾を厚くした村。
俺たちが王都にいる間も、あの村は立っている。
俺は個人記録に書いた。
『リベル村の現地閲覧条件は、王都を揺らした。
腕輪は単なる技術資料ではなく、リーゼ本人の被害記録である。
その一文が、移送要求を押し返した。
今後、騎士団代表と技師組合代表の選定が焦点。
ローゼン家は、現地閲覧を逆に利用しようとする可能性あり。』
最後に書き足す。
『証拠を守る戦いは、証拠を見せる戦いへ移りつつある。
見せるもの、見せないもの。
リベル村で覚えた境界線が、王都でも必要になっている。』
筆を置く。
王都の夜は冷たい。
けれど、今夜はリベル村から届いた紙の温度が、少しだけ残っている気がした。




