表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

73/173

第73話 騎士団照会

 宿へ戻った時、ダリオは本当に豆の煮込みを頼んだ。


 王都の宿に、リベル村のような素朴な豆の煮込みがあるはずもない。出てきたのは、香辛料の利いた肉入りの豆料理だった。


 それを見たダリオは、匙を持ったまましばらく黙った。


「……違う」


 トマがいれば、きっと笑っただろう。


 リーゼが淡々と言う。


「豆は豆だ」


「違う。これは王都の豆だ。顔がいいが、信用ならん」


「豆に顔はない」


「ある。リベル村の豆はもっと地味で、腹に優しい顔をしている」


 俺は記録板を開きかけて、やめた。


 今の発言を残す必要はたぶんない。


 ダリオは文句を言いながらも食べた。

 一口、二口。

 それから少しだけ表情を緩める。


「……まあ、食える」


「よかったですね」


「リベル村の方がうまい」


「帰ったら、村長に伝えます」


「伝えなくていい。調子に乗る」


 そう言いながら、結局きれいに食べ切った。


 夕食後、俺たちは宿の小部屋で今日の閲覧記録を整理した。


 机の上には資料の写し、閲覧記録、黒石祠の拓本、そして今日の新しい照合結果が並んでいる。


 推定一致率、八十四%。


 完全な証拠ではない。


 だが、四十一%とは違う。


 旧水脈補助施設管理印。

 管理紐付け系機構資料。

 ローゼン侯爵家関連施工補助図。

 クラウス・ベルナーによる頁二十一差し替え補修記録。


 それらが一本の線になり始めていた。


 リーゼは壁際に立ち、窓の外を見ている。


 王都の夜は明るい。

 街灯、馬車の灯り、店の看板、巡回兵の持つランタン。


 リベル村の夜とは違う。


 あの村では、夜はきちんと暗かった。

 水車の音も、炉の火も、小さくて近かった。


 王都の灯りは遠くまで届くのに、なぜか人を安心させない。


「リーゼさん」


 俺が声をかけると、彼女は振り返った。


「どうした」


「疲れていませんか」


「疲れている」


 即答だった。


「だが、崩れてはいない」


「それはよかったです」


「よかった、で済む程度にはな」


 リーゼは机の資料へ目を向けた。


「今日はダリオの記録が進んだ。私の腕輪のことは、まだ遠いな」


「遠いですが、無関係ではないと思います」


「そうだな」


 彼女は右手首を見た。


「止める術式。眠らせる術式。管理する術式。言葉は違うが、匂いが似ている」


 そこへ、宿の扉が叩かれた。


 短く二回。


 行政庁の連絡役だった。


「夜分失礼します。オルブライト様より至急の文書です」


 空気が変わった。


 俺は扉を開け、封筒を受け取る。


 封蝋は行政庁。


 中身は短い。


『王都騎士団より、リーゼ・ヴァルト氏の所在および同行目的に関する照会あり。

行政庁としては、貴村提出の護衛同行許可書に基づき、リベル村防衛役としての同行であると回答予定。

ただし、騎士団側は過去記録との照合を求めている。

明朝、行政庁にて対応協議を行う』


 読み終えた瞬間、リーゼの表情が硬くなった。


 ダリオが匙を置く。


「来たか」


「はい」


 俺は文書を机に置いた。


「騎士団から照会です」


 リーゼは静かに椅子へ座った。


 その動きが、いつもより少し重い。


「照会ということは、まだ拘束ではないな」


「はい。行政庁は護衛同行許可書に基づいて回答予定です」


「過去記録との照合……」


 リーゼは低く繰り返した。


「そこに何と書かれているか、問題だな」


 ダリオが顔をしかめる。


「逃亡、任務放棄、命令違反。その辺りか?」


「おそらく」


 リーゼは淡々と答えた。


「ローゼン家の令嬢護衛任務中に腕輪を着けられ、剣技回路を封じられ、任務継続不能となった。私は異常を訴えたが、上にはまともに届かなかった。その後、身を引いた」


「身を引いた、が向こうの記録では逃亡になるわけか」


「そうだろう」


 リーゼの声は落ち着いていた。


 けれど、右手はわずかに握られている。


 俺は記録板を開いた。


「今の経緯、記録してもいいですか」


 リーゼは俺を見た。


 少しだけ目を細め、それから頷く。


「記録してくれ。私は、もう曖昧にされたくない」


 その一言は重かった。


 俺は丁寧に書く。


『リーゼ・ヴァルト本人発言。

ローゼン家令嬢護衛任務中、腕輪により剣技回路を封じられ、任務継続不能となった。異常を訴えたが、上層へ適切に届かなかった。本人は身を引いたが、騎士団記録では逃亡または任務放棄と扱われている可能性あり。本人は曖昧にされたくないと発言。』


 ダリオが低く言う。


「その腕輪、今は?」


「リベル村で保管している。外した時の記録もある」


「なら強い」


 彼は真面目な顔で言った。


「腕輪本体、外した時の鑑定、リーゼ本人の証言、リベル村での回復記録。揃えれば、向こうの過去記録に対抗できる」


「問題は、今ここに腕輪本体がないことです」


 俺は言った。


「リベル村にあります」


「写しは?」


「鑑定記録の写しならあります。原本は村です」


 ダリオは頷いた。


「なら、明日はそれで戦うしかない。原本が必要になったら、取り寄せる。焦って騎士団に渡すな」


 リーゼが少しだけ笑った。


「お前が契約と記録の話をしていると、少し不思議だな」


「リベル村にいると感染する」


「悪い感染ではない」


「だな」


 その夜、俺たちは追加の書類を作った。


 リーゼ護衛同行許可書の写し。

 本人意思確認記録。

 リベル村防衛役登録記録。

 腕輪解除時の鑑定写し。

 剣技回路回復記録。

 外縁部確認時に境界線を守った実績記録。

 王都外門での通行確認記録。


 リーゼは、自分の過去に関わる紙が机に並んでいくのを黙って見ていた。


「嫌ですか」


 俺が聞くと、彼女は少し考えた。


「嫌だ」


 正直だった。


「自分の傷が紙になって並ぶのは、あまり気分がよくない」


「すみません」


「謝るな。必要だと分かっている」


 彼女は腕輪解除時の記録を指で軽く叩いた。


「ただ、王都では私の言葉より紙が強い。なら、私も紙を持つ」


 ダリオが頷いた。


「紙に殴られた奴は、紙で殴り返すしかない時がある」


「殴るのか」


「比喩だ。たぶん」


 翌朝、行政庁の小会議室に向かった。


 窓から差し込む朝の光は冷たかった。


 オルブライトはすでに席に着いている。

 ラウル査察官もいた。

 ギルド記録官も同席している。


 机の上には、王都騎士団からの照会文が置かれていた。


 文面は丁寧だった。


 だが、内容は鋭い。


『リーゼ・ヴァルトは、過去に王都騎士団所属時、ローゼン侯爵家護衛任務を離脱した記録あり。

現在、リベル村防衛役として王都入りしているとの報告を受けたため、同行目的、身分、任務離脱記録との関係について確認を求める』


 リーゼはそれを読み、深く息を吐いた。


「任務離脱、か」


「逃亡ではなく、その表現で来ました」


 オルブライトが言った。


「まだ抑えた文言です」


 ラウルが腕を組む。


「だが、ここから騎士団がどう動くかは分からん。ローゼン家が背中を押せば、身柄確認を求める可能性もある」


 リーゼは顔を上げた。


「私は出頭しない」


「それでよい」


 ラウルは即答した。


「少なくとも、今回の王都入りは行政庁許可による技師組合資料閲覧の護衛同行だ。騎士団の召喚ではない」


 オルブライトも頷く。


「行政庁としても、その線で回答します。ただし、過去記録に対する反証資料が必要です」


「用意しています」


 俺は書類を机に並べた。


 リーゼ本人意思確認。

 防衛役登録。

 護衛同行許可。

 腕輪解除鑑定。

 剣技回路回復記録。


 オルブライトは一枚ずつ確認する。


「腕輪解除鑑定……これは重要です」


「原本はリベル村にあります」


「写しでも、照会回答には使えます。必要なら後日原本確認」


 ラウルが腕輪記録を見る。


「剣技回路封鎖。外部装着型。本人同意不明。外部解除時、強制制御痕あり……これは、騎士団記録に載っていない可能性が高いな」


 リーゼが言った。


「載っていないだろう。訴えても、まともに扱われなかった」


 ギルド記録官が静かに筆を走らせる。


 オルブライトは顔を上げた。


「リーゼ氏。行政庁から騎士団へ回答する前に、あなた自身の確認文を添えることができます」


「確認文?」


「はい。短くて構いません。あなたが現在、本人意思によりリベル村防衛役として同行していること。今回の王都入りは騎士団への出頭ではないこと。過去の任務離脱について、腕輪による剣技回路封鎖が関係していること。この三点です」


 リーゼはしばらく黙った。


 自分で書く。


 それは、ただ記録されるより重い。


 やがて、彼女は頷いた。


「書く」


 紙と筆が用意された。


 リーゼは筆を持ち、最初の一文字を書くまでに少し時間がかかった。


 それでも、書き始めると迷いは少なかった。


『私、リーゼ・ヴァルトは、本人意思により、リベル村防衛役として王都行き調査隊に護衛同行している。

本同行は、王都騎士団への出頭、召喚、または身柄引き渡しを意味しない。

過去のローゼン侯爵家護衛任務離脱については、任務中に装着された腕輪による剣技回路封鎖および強制制御痕が関係している。

当時、異常を訴えたが、適切に扱われなかった。

私は逃亡者ではなく、現在はリベル村に本人意思で滞在し、防衛役を務めている。』


 書き終えた時、リーゼの手は少し震えていた。


 けれど、文字は乱れていなかった。


 オルブライトは文面を読み、静かに頷いた。


「十分です」


 ラウルも言った。


「強い文だ」


 ダリオが横から覗き込み、低く言う。


「紙の盾だな」


 リーゼは少しだけ笑った。


「私にも作れたか」


「ああ。かなり硬い」


 その時、小会議室の扉が叩かれた。


 行政庁職員が入り、オルブライトへ耳打ちする。


 オルブライトの表情は変わらない。


 だが、部屋の空気が少しだけ変わった。


「クラウス・ベルナー氏が、行政庁に来ています」


 ダリオの目が鋭くなる。


「何しに」


「昨日の資料閲覧記録について、抗議を申し入れたいとのことです」


 ラウルが低く言った。


「来るのが早いな」


 オルブライトは俺たちを見た。


「会わせる必要はありません。ただし、向こうが廊下で接触を試みる可能性はあります」


 リーゼは書いたばかりの確認文を見つめ、それから顔を上げた。


「今日は、私は逃げない」


 ダリオも椅子から立ち上がる。


「俺もだ」


 俺は記録板を手に取った。


「接触があれば、記録します」


 扉の外から、遠くで人の声が聞こえた。


 廊下の向こう。


 かつてダリオを追い落とした男。

 リーゼの腕輪と繋がるかもしれない記録を黒塗りにした男。

 黒石祠の管理印の線上に浮かび始めた男。


 クラウスが、こちらへ近づいている。


 紙の盾を持ったまま、俺たちはその足音を聞いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ