表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

71/173

第71話 王都の門は、記録より重い

 王都の城壁が見えた時、馬車の中は自然と静かになった。


 高い。


 まず、そう思った。


 石を幾重にも積み上げた壁は、遠目には白く見える。だが近づくにつれ、細かな傷や補修跡が浮かび上がってきた。


 魔物の爪痕。

 古い戦の焦げ跡。

 新しく塗り直された箇所。

 門の上に掲げられた王家の紋章。


 王都は、いつも自分を大きく見せる。


 そして、そこへ入る者へ無言で告げてくる。


 ここが中心だ、と。


 俺は膝の上の書類箱へ手を置いた。


 リベル村の記録が入っている。


 井戸、水車、旧水路、薬草の芽、黒石祠、管理印の拓本、ダリオの外部技師登録契約、リーゼの護衛同行許可書。


 王都の壁に比べれば、ただの紙束だ。


 けれど、今の俺たちにとっては鎧だった。


 向かいに座るダリオは、窓の外を見ていた。


 いつもなら軽口のひとつでも言いそうなものだが、朝からずっと口数が少ない。


 王都が近づくほど、その顔から余計な表情が消えていった。


「大丈夫ですか」


 俺が尋ねると、ダリオは少し遅れて返事をした。


「大丈夫ではない」


 正直だった。


「門を見ただけで胃が痛い。昔、組合から処分通知を受けた帰りも、この門を通った。あの時は、工具箱がやけに重くてな」


 彼は足元の工具箱を軽く蹴った。


「今も重い」


「中身は減らしたはずでは」


「重いのは中身じゃない」


 そう言ってから、ダリオは自分で苦笑した。


「今の、ちょっと詩人みたいで嫌だな」


「悪くありませんでした」


「褒めるな。調子が狂う」


 リーゼは馬車の後方側に座り、外の気配を見ていた。


 剣は腰にある。

 だが、柄には触れていない。


 王都へ近づいてから、彼女の右手は何度か手首へ向かいかけ、そのたびに止まっていた。


 俺が視線を向けると、リーゼは気づいたように言った。


「見られていると分かる程度には、落ち着いている」


「それは落ち着いている判定なんですか」


「少なくとも、無意識に剣を抜いてはいない」


 彼女は城壁を見た。


「ここには、私を逃亡者として扱いたい者もいるだろう。ローゼン家も、騎士団も。だが、私は今日はリベル村の護衛だ」


 そう言って、胸元から畳んだ紙を取り出した。


 護衛同行許可書。


 昨日、村で何度も読み返した紙だ。


『リーゼ・ヴァルトは、本人意思により、リベル村防衛役として王都行き調査隊に護衛同行する。

本同行は、王都騎士団への出頭、召喚、または身柄引き渡しを意味しない。』


 リーゼはその紙を指でなぞった。


「紙一枚で全部守れるとは思わない。だが、ないよりいい」


「紙の盾ですから」


 俺が言うと、ダリオが横から低く笑った。


「リベル村名物だな」


 馬車は王都の外門へ近づいた。


 門前には旅人、商人、傭兵、荷馬車、巡礼者が列を作っている。検問の兵士が一組ずつ確認し、通行証や積み荷を見ていた。


 こちらの馬車には、行政庁が発行した通行文書がある。


 だが、それだけで済むとは限らない。


 王都では、紙があるから通れることもあれば、紙があるから余計に見られることもある。


 案の定、検問兵の一人が文書を見た瞬間、顔を上げた。


「リベル村関係者?」


 声が少し変わった。


 周囲の兵士もこちらを見る。


 ダリオが小さく呟く。


「早いな。噂だけは水より速い」


 俺は馬車を降り、正式な記録者委任状を提示した。


「リベル村代表記録者、レオン・アスターです。行政庁の許可に基づき、王都技師組合資料閲覧へ向かいます。こちらは技術説明者ダリオ・ガンツ、護衛リーゼ・ヴァルト」


 兵士の目が、ダリオで止まり、次にリーゼで止まった。


「リーゼ・ヴァルト……」


 その名を聞いた瞬間、空気が少し硬くなった。


 リーゼは馬車を降りた。


 背筋はまっすぐだった。


「リベル村防衛役として同行している。護衛同行許可書はここにある」


 彼女は紙を出した。


 兵士は受け取り、文面を読む。


 その表情は、少し複雑だった。


「騎士団に確認を――」


「行政庁、防衛局、ギルドの立ち会い予定があります」


 俺はすぐに言った。


「この場で騎士団への引き渡し対象として扱うなら、その発言を記録します」


 ニコルなら、ここで筆を走らせただろう。


 今は俺がやる番だ。


 俺は記録板を開いた。


 兵士は一瞬、嫌そうな顔をした。


 だが、その時、門の内側から別の声がした。


「そこまでです」


 灰色の外套を着た男が歩いてくる。


 行政庁のオルブライトだった。


 相変わらず、表情は薄い。

 だが、来てくれて助かったのは確かだった。


「その三名は、行政庁の許可に基づく閲覧同行者です。防衛局とギルドにも通知済み。門で不要な引き留めはしないよう、通達が出ています」


 兵士は姿勢を正した。


「失礼しました」


「職務確認は必要です。ただし、確認と拘束は違います」


 オルブライトは淡々と言った。


 兵士はそれ以上、何も言わなかった。


 通行文書に確認印が押される。


 王都の門が開いた。


 馬車へ戻る前、リーゼが小さく息を吐いた。


「最初から来たな」


「はい」


 俺は記録板に書き込んだ。


『王都外門にて、リーゼ・ヴァルト名に反応あり。騎士団確認の発言未遂。行政庁オルブライトにより通行確認。拘束なし。』


 ダリオがそれを覗き込む。


「早速、紙の盾が働いたな」


「まだ門をくぐっただけです」


「門が一番嫌なんだよ」


 彼の声は冗談めいていたが、少しだけ本音も混じっていた。


 王都の中へ入ると、喧騒が押し寄せてきた。


 石畳を行き交う馬車。

 店先で声を張る商人。

 香辛料、焼き肉、革、金属、馬糞、香水、雨上がりの石の匂い。


 リベル村の水音とはまったく違う音の世界だった。


 リーゼは周囲を見ている。


 警戒しているというより、記憶と照合しているようだった。


 ダリオは技師組合の方向へ目を向けて、すぐに逸らした。


「宿は行政庁指定でしたね」


 俺が言うと、オルブライトが頷いた。


「はい。単独行動を避ける条件でしたので、行政庁に近い宿を手配しています。技師組合資料閲覧は明日午前。今日は到着記録と事前確認だけです」


「クラウスは?」


 ダリオが聞いた。


「閲覧には同席しません」


「本当に?」


「少なくとも、公式には」


 オルブライトは淡々と答えた。


「ただし、彼が王都にいることは事実です。ローゼン家側の動きも完全には読めません」


 リーゼが言う。


「騎士団は?」


「今回の閲覧には関与しません。ただ、リーゼ・ヴァルト氏の王都入りは、いずれ知られるでしょう」


「もう知られているかもしれないな」


「その可能性はあります」


 オルブライトはリーゼへ視線を向けた。


「あなたの同行身分は、行政庁記録上はリベル村防衛役です。騎士団から照会があった場合も、そう返答します」


「感謝する」


「私情ではありません。記録に基づく処理です」


「それが一番ありがたい」


 リーゼは短く答えた。


 指定宿は、行政庁の裏通りにある地味な建物だった。


 豪華ではない。

 だが、入口には行政庁の小さな封印札があり、勝手に人が入れないようになっている。


 部屋は三つ。


 俺とダリオが隣室。

 リーゼはその向かい。

 廊下の端に行政庁の連絡役が控える。


 単独行動禁止の条件に合わせた配置だった。


 荷物を置くと、ダリオはベッドに腰を下ろし、深く息を吐いた。


「王都の空気は、相変わらず胃に悪い」


「豆の煮込みがないからでは」


「それもある」


 彼は工具箱を開けず、足元に置いたままにした。


「技師組合へ行くのは明日か」


「はい」


「今夜、眠れないな」


「眠れなければ、記録整理をしますか」


「お前、なかなか鬼だな」


 俺は書類箱を開けた。


「冗談です。でも、整理は必要です」


「冗談じゃなかっただろ」


「半分は」


 ダリオは苦笑して、ようやく少し肩の力を抜いた。


 夕方、行政庁の小会議室で事前確認が行われた。


 参加者は、オルブライト、防衛局のラウル査察官、ギルドの記録官、そして俺たち三人。


 ラウルは俺たちを見るなり、少しだけ頷いた。


「無事に入れたようだな」


「門で少しありました」


 俺が記録を渡すと、彼はすぐに目を通した。


「リーゼ・ヴァルト名への反応。騎士団確認発言未遂。行政庁介入。分かった。こちらでも保存する」


 リーゼが言った。


「助かる」


「まだ始まったばかりだ。気を抜くな」


「分かっている」


 ギルド記録官は、ミリア監査員からの伝言を伝えた。


「リベル村の中立取引については、ギルド側で複数商人に働きかけています。ただし、商流圧力は完全には消えていません。村へ戻る際には、必要物資の小口輸送を手配できる可能性があります」


「種や布も?」


 俺が聞くと、彼女は頷いた。


「少量なら」


 セリアが聞いたら喜ぶだろう。


 傷洗い草の芽。

 ミード村の止血草古種。

 薬草畑。


 村に残してきたものを思い出すと、少しだけ胸が温かくなった。


 同時に、ここで失敗できないという重さも増した。


 オルブライトは明日の手順を説明した。


「技師組合では、指定資料を閲覧します。閲覧対象は三種。旧管理印一覧、管理紐付け系機構資料、ローゼン侯爵家関連施工補助図のうち行政庁が認めたもの。ただし、組合側が一部黒塗りを主張しています」


「黒塗り?」


 ダリオの声が低くなる。


「機密部分です」


「都合の悪いところの間違いじゃないのか」


「その可能性も含めて記録します」


 オルブライトは表情を変えずに言った。


 ラウルが続ける。


「閲覧中、資料を勝手に持ち出すな。逆に、組合側が資料を差し替えようとした場合は即座に止める。クラウス本人が現れた場合、直接応答は最小限。発言はすべて記録」


 ダリオが片手を上げる。


「俺が殴りそうになった場合は?」


 部屋が静まった。


 冗談とも、本気とも取れる声だった。


 リーゼが答えた。


「私が止める」


「助かる」


「私が斬りそうになったら?」


 今度はダリオが言った。


「俺が叫ぶ」


「役に立つのか」


「たぶん立たん。だからレオンも止めろ」


「二人とも、斬らない、殴らないを前提にしてください」


 俺が言うと、ラウルが少しだけ口元を緩めた。


「リベル村式だな。先に危険を記録する」


 オルブライトが真面目に記録していた。


「同行者間の制止確認。重要です」


「本当に書くのか」


 ダリオが呆れた。


「書きます」


 オルブライトは即答した。


 事前確認が終わる頃には、外は暗くなっていた。


 宿へ戻る道で、王都の灯りが通りを照らしている。


 リベル村の炉火とは違う。

 明るく、広く、冷たい。


 俺たちは三人で並んで歩いた。


 単独行動禁止のためでもあるが、それ以上に、誰も一人で歩きたくなかったのだと思う。


 ダリオがふと足を止めた。


 視線の先に、大きな建物の影が見える。


 王都技師組合。


 尖塔のような煙突。

 鉄と石で組まれた正面玄関。

 門の上に掲げられた歯車と炎の紋章。


 ダリオは、その建物を見たまま動かなかった。


「ダリオさん」


「……あそこだ」


 声がかすれていた。


「あそこから追い出された。工具箱ひとつ持ってな」


 リーゼは何も言わなかった。


 ただ、少しだけ彼の横に立つ位置を変えた。


 護衛というより、支えのようだった。


 俺は記録板を開かない。


 今の言葉を残すこともできた。


 けれど、残す前に、本人の意思がいると思った。


「今の発言、記録しますか」


 俺が聞くと、ダリオは少し驚いた顔をした。


 それから、苦笑する。


「そういうところだぞ、この村は」


「どちらですか」


「記録しろ」


 彼は技師組合を見たまま言った。


「追い出された場所に、明日戻る。嫌だが、逃げない。そう書いておけ」


「分かりました」


 俺は記録した。


『ダリオ・ガンツ、王都技師組合前にて発言。

“追い出された場所に、明日戻る。嫌だが、逃げない。”』


 リーゼが静かに言った。


「私も書いておけ」


「何を」


「王都に戻るのは怖い。だが、私はリベル村の護衛としてここにいる。騎士団の影に飲まれない」


 俺はそれも記録した。


 最後に、自分の分も書く。


『レオン・アスター。王都へ戻ることに緊張あり。元勇者パーティー鑑定士としてではなく、リベル村記録者として技師組合へ向かう。』


 ダリオがそれを覗いて言った。


「自分のことも書くのか」


「必要なので」


「やっぱりリベル村式だ」


 俺たちは宿へ戻った。


 その夜、俺は村へ送る短い報告を書いた。


『王都到着。

外門にてリーゼ名への反応あり。拘束なし。

行政庁指定宿へ入る。

明日午前、王都技師組合資料閲覧予定。

ダリオ、リーゼともに不安はあるが同行意思継続。

単独行動なし。記録継続。』


 最後に、少し迷ってから一文を足した。


『リベル村の水音を思い出す。明日、記録を取り戻しに行く。』


 窓の外では、王都の灯りが消えない。


 リベル村の夜とは違う。


 ここでは、暗くなっても何かが動いている。

 噂も、権力も、紙も、人の思惑も。


 俺は書類箱に手を置き、目を閉じた。


 明日、技師組合へ行く。


 壊された記録を探しに。


 負けたまま棚の奥に押し込まれた紙を、もう一度光の下へ出すために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ