第68話 証拠はまだ足りない
四十一%。
その数字は、ひどく中途半端だった。
低すぎるわけではない。
だが、高いとも言えない。
黒石祠の管理印と、ローゼン侯爵家関連術式との一致率。
中枢室の結晶柱に表示されたその数字を見てから、リーゼはずっと黙っていた。
怒っている。
それは分かった。
だが、怒りの向け先を決めきれずにいるようにも見えた。
「四十一%では、足りないのだな」
リーゼが言った。
「はい」
俺は答えた。
「ローゼン家の関与を疑う材料にはなります。でも、断定するには弱いです」
「では、王都へ出せば笑われるか」
「笑われるというより、潰されます」
ダリオが横から言った。
彼は腕を組み、黒石祠の拓本を見下ろしている。
「“似ているだけ”“古い汎用印”“除名技師の記憶違い”“辺境村の過剰反応”。そう言われて終わりだ」
トマが拳を握った。
「でも、あれは明らかに怪しいだろ」
「怪しい」
ダリオは頷いた。
「だが、怪しいだけじゃ王都は動かん。いや、動く時は動く。都合のいい時だけな」
その言葉に、部屋が少し静まった。
村長宅の机には、黒石祠関係の資料が並んでいる。
外殻片の鑑定記録。
管理印の拓本。
水脈停滞の地図。
ハルマ村と北沢集落の井戸水記録。
リベル旧水路の封鎖呪印片。
ひとつひとつは、確かに意味を持っている。
だが、ローゼン家へ繋げるには細い。
細い糸を何本も集めて縄にするには、まだ本数が足りなかった。
セリアは記録を見つめながら、静かに言った。
「悔しいですね」
その声は小さかった。
「こんなに似ているのに。水路も、祠も、封印も、腕輪も……全部、同じ考え方なのに」
リーゼの表情が少しだけ動いた。
腕輪。
その言葉は、彼女の右手首に残る痕へ触れた。
セリアは慌てて顔を上げる。
「すみません」
「いや」
リーゼは首を横に振った。
「同じことを考えていた」
彼女は自分の手首を見た。
「止める。眠らせる。本人に、自分が壊れたのだと思わせる。水路も、村も、人も。同じ思想だ」
「でも、思想だけでは証拠になりません」
俺は言った。
言いながら、自分でも少し嫌になった。
証拠。
最近、その言葉ばかり口にしている。
本当は、怒りたい。
あれもこれも繋がっていると叫びたい。
ローゼン家の名を出して、問い詰めたい。
けれど、そうすれば負ける。
怒りだけで走れば、相手は「辺境村の被害妄想」と処理する。
村長が静かに杖を鳴らした。
「証拠が足りぬなら、足せばよい」
簡単な言葉だった。
だが、部屋の空気を少し変えた。
「どうやって?」
トマが聞く。
村長はダリオを見る。
「ダリオ殿。王都技師組合に、照合できる資料はあるのか」
ダリオは苦い顔をした。
「ある可能性は高い。管理印一覧、施工補助図、ローゼン家関連案件の旧資料。特に俺が昔見た結界炉の図面、その端に似た印があった気がする」
「気がする、では弱いな」
「分かってる」
ダリオは吐き捨てるように言った。
「だから実物を見たい。見れば、俺の記憶違いかどうかも分かる」
リーゼが問う。
「王都技師組合の保管庫に入れるのか」
「普通は無理だ。俺は除名技師だぞ。門前払いが優しい方だ」
ダリオは鼻で笑った。
「下手したら、また騒ぎを起こすなと追い出される」
「なら、誰を通す」
俺が言うと、ちょうど村の入口から声が上がった。
「王都から文書です!」
見張りの少年が走ってくる。
封蝋は行政庁。
差出人は、またしてもオルブライトだった。
村長が封を切り、文面を読む。
『黒石祠および旧管理印に関する追加資料を受領。
行政庁としては、現時点でローゼン侯爵家との直接関係を断定できない。
ただし、クラウス技師の過去資料、ダリオ・ガンツ氏の旧告発文書、管理紐付け系機構との類似性を踏まえ、王都技師組合資料の一部閲覧を申請中。
閲覧が認められた場合、リベル村側から技術説明者一名、記録者一名の同席を認める可能性あり。
正式可否は追って通知する』
読み終えたあと、誰もすぐには喋らなかった。
ダリオが最初に口を開いた。
「……嫌なところを突いてくるな、あの役人」
「必要なところを突いているのだろう」
リーゼが、昨日と同じようなことを言った。
ダリオは苦笑した。
「分かってるよ。分かってるから嫌なんだ」
トマが首を傾げる。
「技術説明者って、ダリオだよな」
「たぶんな」
「記録者は?」
ニコルが一瞬、背筋を伸ばした。
だが、すぐに村長が首を横に振る。
「ニコルは村に残る」
ニコルは何か言いたそうにしたが、今回は飲み込んだ。
「はい。村の記録係ですから」
その返事に、村長は満足そうに頷いた。
「記録者は、王都での交渉に耐えられる者がよい」
自然と視線が俺に集まった。
俺は少し息を吐いた。
「俺が行く、ということですね」
「まだ決定ではない」
村長は言った。
「だが、可能性はある」
王都。
その言葉が胸の奥を重くする。
勇者パーティー。
追放された場所。
無能と呼ばれた記憶。
ローゼン家。
神殿。
技師組合。
ここしばらく、王都から届く文書と向き合ってはいた。
だが、実際に行くとなると別だった。
セリアが心配そうに俺を見る。
「レオンさんが王都へ……」
「まだ決まっていません」
俺はそう言った。
だが、言いながら分かっていた。
いずれ行くことになる。
この村で記録を積み重ねるだけでは届かない資料が、王都にある。
ダリオの古い傷も、リーゼの腕輪の真実も、セリアの封印痕の根も、俺が追放された理由の裏側も。
それらの一部は、きっと王都の棚の奥に眠っている。
ダリオは椅子の背にもたれ、天井を見た。
「俺は、あそこに戻りたくない」
はっきりした声だった。
「正直、吐き気がする。技師組合の門を見るだけで、昔の処分通知を思い出す」
いつもの冗談はなかった。
「でも、行かなきゃならんのだろうな」
リーゼが静かに言った。
「無理に行く必要はない」
「ある」
ダリオは即答した。
「俺が見た図面だ。俺が覚えてる印だ。俺が昔、負けた記録だ。ここで逃げたら、一生あの紙に負けたままだ」
セリアが小さく言う。
「逃げても、悪いわけではありません」
「ああ」
ダリオは少しだけ笑った。
「この村に来て、それは分かった。でも今回は、逃げたくない」
その言葉に、トマが黙って頷いた。
リーゼも何も言わなかった。
ただ、右手を軽く握っていた。
彼女もまた、王都という言葉に何かを感じているのだろう。
俺は村長へ向き直った。
「今できることを整理しましょう」
「そうじゃな」
村長は頷いた。
会議は、感情から実務へ移った。
一つ。黒石祠の記録を追加整理する。
二つ。管理印拓本を複製し、行政庁、防衛局、ギルドへ送る準備をする。
三つ。王都技師組合資料閲覧が認められた場合の同行者候補を決める。
四つ。村を離れる者が出た場合の村内防衛体制を整える。
五つ。周辺村への不安拡散に備え、井戸水記録を継続してもらう。
ニコルは必死に書く。
途中で、彼が小さく呟いた。
「証拠はまだ足りない。でも、足せる」
村長がそれを聞いて、少し笑った。
「よい記録じゃ」
ニコルは慌てて顔を赤くした。
「今のも書きますか?」
「書け」
「はい」
午後、俺たちは黒石祠関連の資料を整理した。
セリアは外殻片の浄化反応をもう一度確認する。
ダリオは拓本の線を写し取り、図面用に整える。
リーゼは現地調査時の危険箇所を地図へ書き込む。
トマは森への経路と撤退経路を描いた。
トマの地図は少し雑だったが、妙に分かりやすかった。
「ここが、ぬかるみ。ここが、嫌な感じの木。ここが、トマが転びかけた場所」
ニコルが読み上げて首を傾げる。
「トマさんが転びかけた場所、必要ですか?」
「必要だ。足場が悪い」
リーゼが真面目に言った。
「そういう現場情報は助かる」
トマは得意げだった。
ダリオが笑う。
「王都の図面には絶対載らない情報だな。だから価値がある」
その言葉に、ニコルがまた記録する。
夕方、セリアは薬草予定地へ向かった。
傷洗い草の芽は、今日も小さく立っている。
彼女はその前にしゃがみ込み、しばらく黙っていた。
俺も隣に立つ。
「心配ですか」
「はい」
セリアは素直に答えた。
「レオンさんが王都へ行くかもしれないことも、ダリオさんが技師組合へ戻るかもしれないことも、リーゼさんが王都の話で少し怖そうだったことも。全部、心配です」
「セリアも、神殿のことを思い出しますか」
「思い出します」
彼女は芽を見つめた。
「でも、私は村に残れるなら、残って治療所と薬草畑を守りたいです」
「頼もしいです」
「怖いですけど」
「それも頼もしいです」
セリアは少し困ったように笑った。
「怖いままでも、ですか」
「はい」
小さな芽が風に揺れた。
まだ弱い。
けれど、昨日より少しだけ真っ直ぐ立っている。
夜、中枢室で記録を登録した。
《黒石祠関連資料:整理中》
《管理印拓本:複製準備》
《ローゼン侯爵家関連術式一致率:四十一%》
《証拠不足》
《推奨:王都技師組合資料照合》
《王都行動計画:未決定》
未決定。
その表示が、やけに重く見えた。
俺は個人記録を書く。
『黒石祠とローゼン家の関連は一致率四十一%。断定不可。
証拠はまだ足りない。
行政庁より、王都技師組合資料の一部閲覧申請中との文書。
閲覧が認められた場合、リベル村側から技術説明者と記録者の同席可能性あり。
ダリオは王都技師組合へ戻ることに強い抵抗を示すが、逃げたくないとも言った。
王都へ行く可能性が現実になり始めている。』
最後に、ニコルの言葉を写した。
『証拠はまだ足りない。でも、足せる。』
炉の火が低く揺れている。
証拠は足りない。
だが、道は見え始めている。
森の奥の祠から、王都の技師組合へ。
リベル村の水路は、いつの間にか王都へ続く道を示し始めていた。




