第66話 森の祠調査開始
黒石祠の調査は、翌朝すぐに再開――とはならなかった。
リベル村は、そういう村になっていた。
何かを見つけたからといって、すぐ飛び込まない。
危険そうだからといって、何もかも閉ざさない。
まず、記録する。
次に、準備する。
それから、誰が行くかを決める。
朝の村長宅には、前日の調査記録が広げられていた。
黒石祠。
古代水路網と結界補助施設。
周辺水脈の停滞。
封鎖術式残滓。
無理な切断による逆流危険。
文字だけで並べても、十分に嫌な内容だった。
トマは腕を組み、眉間に皺を寄せている。
「つまり、あの祠が水を止めてるかもしれないってことだよな」
「正確には、水の流れを停滞方向へ偏らせています」
俺が答えると、トマはさらに顔をしかめた。
「それ、分かりやすく言うと?」
ダリオが椅子にもたれたまま言う。
「水に『そこ動くな』って命令してる」
「最初からそれでいいだろ」
「技師は最初に難しく言いたい生き物なんだ」
「面倒くせえな」
少しだけ笑いが起きた。
だが、空気はすぐに戻った。
リーゼは地図を見ていた。
「魔物反応はない。だが危険はある」
「はい。術式の根が地面に潜っています。無理に切ると、水脈が逆流する可能性があります」
セリアが胸元に手を当てる。
「昨日、浄化しなくてよかったんですね」
「よかったです」
俺ははっきり言った。
「今の状態で浄化を強くかけていたら、祠の外側だけでなく、水脈側へ反動が行ったかもしれません」
セリアは小さく息を吐いた。
「怖いです。でも、止まれてよかった」
リーゼが頷く。
「止まるのも戦いだ」
ダリオが机を指で叩いた。
「今日やるのは、本格浄化じゃない。祠の構造確認だ。どこに水脈線が入っているか、どこに封鎖術式の根が絡んでいるか、それを見る」
「触らないんですか?」
ニコルが聞く。
「触るとしても外側だけだな。中に手を入れるのは、炉の支援と道具が揃ってからだ」
俺は中枢室の表示を書き写した紙を出した。
「中枢室も、今日は“調査推奨”までです。“解除”や“浄化”の推奨は出ていません」
村長は静かに頷いた。
「では、昨日と同じ調査隊じゃ。レオン殿、リーゼ、セリア、ダリオ、トマ。ニコルは村に残り、村側記録。儂も残る」
ニコルは今回は不満を言わなかった。
「はい。村側記録と連絡役をします」
トマが小さく笑う。
「頼もしくなったな」
「見に行けない分、ちゃんと残します」
「紙の盾職人、完全に板についてきたな」
「その呼び方、まだ少し恥ずかしいです」
準備は昨日より丁寧だった。
セリアは浄化水を三段階に分けた。
通常の浄化水。
薄めた確認用。
さらに薄めた反応観察用。
「今日は強く浄化しません。反応を見るだけです」
彼女は自分に言い聞かせるように言った。
リーゼはそれを聞いて頷いた。
「焦ったら私が止める」
「お願いします」
「私が怒りで踏み込みそうなら、お前が止めろ」
「はい」
そんなやり取りを、トマが妙な顔で見ていた。
「お前ら、止め合う約束多いな」
「必要だからな」
リーゼは短く返した。
ダリオは工具箱から道具を選んでいた。
細い測量針。
木製の水脈棒。
魔力を通さない革手袋。
小さな石粉瓶。
「よく分からん棒は?」
トマが聞く。
「今日は持っていく」
「昨日は持っていかなかったのに?」
「昨日より少し分かった。これは水脈棒だ」
「よく分かった棒になったのか」
「そうだ」
セリアが真面目に聞く。
「名前を書いた方がいいのでは?」
ダリオは少し黙った。
「……それはいい案だな」
トマが吹き出した。
森へ入る前に、俺たちは薬草予定地の前を通った。
傷洗い草の小さな芽は、薄い布の日よけの下で揺れていた。
セリアは立ち止まり、静かにしゃがむ。
「行ってきます」
昨日と同じ言葉。
けれど、今日は少し違って聞こえた。
ただの挨拶ではなく、自分が戻る場所へ向けた約束のようだった。
森は、昨日よりも静かだった。
鳥の声がほとんどない。
風は枝を揺らしているのに、音がどこか湿っている。
ダリオが鼻を鳴らす。
「昨日より水の匂いが重い」
「重い?」
トマが聞く。
「流れたいのに流れない水の匂いだ」
「分かるような、分からんような」
俺は周囲を鑑定する。
《北東森林域》
《水脈停滞:進行》
《封鎖術式残滓:薄く拡散》
《結界補助線:微弱干渉》
《魔物反応:なし》
「停滞が少し進んでいます」
リーゼの表情が引き締まる。
「長引かせるとまずいか」
「はい。ただ、焦って解除するのも危険です」
「嫌な相手だな」
「はい」
森の奥に着くと、黒石祠は昨日と同じ場所にあった。
しかし、光は少し強くなっている。
黒紫の脈動が、石の奥からゆっくり広がり、また縮む。
まるで呼吸のようだった。
セリアが小さく言う。
「生きているみたいです」
「生き物じゃない」
ダリオは低い声で答えた。
「だが、古い術式は癖を持つ。癖が強いと、生き物みたいに振る舞う」
俺は祠へ近づきすぎない位置で鑑定する。
《黒石祠》
《状態:異常起動継続》
《封鎖術式残滓:活性中》
《水路網接続:三方向》
《接続先:リベル旧水路/北東地下水脈/未確認補助線》
《注意:未確認補助線に強い停滞反応》
「三方向に接続しています。ひとつはリベル旧水路。ひとつは北東地下水脈。もうひとつ、未確認補助線があります」
ダリオが水脈棒を地面に立てる。
棒は一瞬だけ震え、森の奥を指すように傾いた。
「この先だな」
「何がある」
リーゼが尋ねる。
「古地図だと、もうひとつ祠があったはずだ。小さいやつだが、水脈を分ける補助点だ」
「複数繋がっているのか」
「ああ。祠は単独じゃない。水路網の節みたいなもんだ」
セリアが祠の外側に薄めた浄化水を一滴だけ落とした。
水滴は石に触れる前に、わずかに黒く濁った。
セリアはすぐに手を引く。
「反応しました。でも、強く浄化はしません」
「いい判断です」
俺は鑑定する。
《反応観察》
《浄化水に対し封鎖術式が防御反応》
《外殻浄化:可能》
《内部浄化:危険》
《推奨:構造記録》
「外側だけなら浄化できます。ただ、今は構造記録を優先しましょう」
セリアは頷いた。
「はい」
リーゼは祠の周囲を歩き、足元を確認していた。
「ここ、地面が沈む」
彼女が指した場所は、落ち葉に隠れた柔らかい土だった。
ダリオが近づいて、水脈棒で突く。
「地下に空洞がある。水路の古い通り道だな」
俺が鑑定する。
《旧地下水路跡》
《状態:半閉塞》
《封鎖術式根:絡みあり》
《危険:踏破時崩落》
「踏むと危険です。印をつけましょう」
トマが木の枝を立て、布を結んだ。
「ここ、踏むなよってことだな」
「はい」
「こういうの、村の外にもいるな」
「必要ですね」
調査は少しずつ進んだ。
祠の正面。
裏側。
地面へ潜る黒い線。
水脈の流れ。
結界補助線の向き。
ダリオが図を描き、俺が鑑定内容を書き込み、セリアが浄化反応を記録する。
リーゼとトマは周囲を警戒しながら、危険箇所に目印をつける。
やがて、祠の裏側に小さな印を見つけた。
紋章ではない。
だが、どこか人工的な管理印だった。
円の中に、三本の線。
その一部が削られている。
「これは……」
ダリオの顔が険しくなる。
「知っているんですか」
「ローゼン家の紋章じゃない。だが、技師組合で使われていた管理印に似てる」
「クラウスの件と関係が?」
「まだ分からん」
ダリオは慎重に言った。
「ただ、自然発生の印じゃない。誰かが管理対象として触った跡だ」
俺は鑑定する。
《旧管理印》
《所属:不明》
《機能:補助施設管理履歴》
《照合:ローゼン侯爵家関連術式と一部類似》
《一致率:未確定》
《推奨:外殻拓本/詳細照合》
「ローゼン家関連術式と一部類似。ただし一致率はまだ出ません」
リーゼが低く言う。
「証拠には足りないか」
「はい。今は記録だけです」
「なら記録する」
リーゼは短く言った。
トマが布を取り出す。
「拓本って、紙を押し当てるやつか?」
「今回は布と石粉で取る」
ダリオが道具を出す。
「強く擦るな。印を壊す」
「俺がやると壊しそうだな」
「自覚があるなら偉い」
拓本はダリオが取った。
手つきは慎重だった。
普段は雑に見える男だが、こういう時の指先は驚くほど静かだった。
布に、薄く印が移る。
それを見たダリオは、しばらく黙った。
「……嫌な感じだ」
「何が?」
トマが聞く。
「昔見た図面の端に、似た印があった気がする」
「ローゼン家の?」
「結界炉の施工補助図だ。はっきり覚えてるわけじゃない。だが、似てる」
俺は拓本を封印袋に入れた。
「村へ戻って記録と照合しましょう」
その時、祠の光が強く脈打った。
黒紫の光が地面の線を走る。
セリアが息を呑む。
「反応が強くなっています」
《封鎖術式残滓:活性上昇》
《未確認補助線:応答》
《危険:滞在継続により水脈停滞増幅》
「撤退しましょう」
俺が言うより早く、リーゼが判断した。
「全員、下がる。走るな。印をつけた場所を踏むな」
トマが後ろを確認する。
「帰り道、問題なし」
ダリオは工具を素早く箱に戻す。
「取るものは取った。これ以上は欲張るな」
セリアは祠を見た。
その目に、悔しさがあった。
でも、手は伸ばさなかった。
「今日はここまで」
自分でそう言った。
俺たちは森を離れた。
背後で、黒石祠の光がゆっくりと弱まっていく。
完全には消えない。
ただ、こちらを待つように、森の奥で沈んでいった。
村に戻ると、ニコルがすぐに出迎えた。
「どうでしたか?」
「危険箇所、複数。黒石祠は水路網と地下水脈、未確認補助線に接続。旧管理印を発見。拓本を取りました」
ニコルは一瞬で表情を引き締めた。
「記録します」
村長宅で、調査記録を整理した。
地図に祠の位置を書き込み、危険な地面の場所、地下水路跡、管理印の拓本を並べる。
ダリオは拓本をじっと見ていた。
「やっぱり、どこかで見た」
「思い出せますか」
「王都技師組合の資料があればな」
その言葉に、部屋が静かになった。
王都技師組合。
ダリオにとって、傷のある場所。
リーゼにとっても、王都は傷のある場所だ。
セリアもまた、神殿という王都の白い壁を思い出すだろう。
けれど、そこに資料がある。
真実へ近づく手がかりがある。
村長は静かに言った。
「今は、急がぬ。まず今日の記録を固める」
俺は頷いた。
「はい」
その夜、中枢室に記録を登録した。
《黒石祠調査記録:追加》
《水路網接続:三方向》
《旧地下水路跡:確認》
《旧管理印:拓本取得》
《封鎖術式残滓:活性中》
《推奨:詳細照合/修復炉出力強化/王都資料確認》
王都資料確認。
表示されたその文字に、ダリオが小さく舌打ちした。
「嫌なところを突くな、この工房は」
リーゼが静かに言う。
「必要なところを突いているのだろう」
「分かってるよ」
ダリオは拓本を見つめた。
「分かってるから嫌なんだ」
俺は個人記録を書いた。
『黒石祠再調査。
水路網、北東地下水脈、未確認補助線の三方向に接続。
旧地下水路跡を確認。踏破危険。
祠裏側に旧管理印を発見。ローゼン家関連術式と一部類似。ただし証拠としては不足。
拓本取得。
詳細照合には王都技師組合資料が必要となる可能性。』
最後に書く。
『森の祠は、ただの石ではなかった。
地域の水脈を縛る節だった。
ひとつ直すたび、次の傷が見える。
それでも、見えたなら記録できる。』
炉の火は低く揺れている。
地上では、薬草の芽が夜を越えようとしている。
森の奥では、黒石祠がまだ眠りきれずにいる。
村は、その二つの間に立っていた。
小さな芽を守りながら、古い悪意の根を見つめている。




