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第63話 周辺村代表、再訪

 傷洗い草の芽が出てから、リベル村の朝は少しだけ慎重になった。


 子供たちは薬草予定地の前を通るたびに、声を小さくする。


「芽、起きてる?」


「寝てるかも」


「どっちでも触らない」


 その最後の一言だけは、なぜか全員がきちんと守った。


 セリアは毎朝、薬草予定地の前にしゃがみ込み、土の湿り気と芽の傾きを確かめる。

 まだ葉と呼ぶには頼りない。風が吹けば震え、水が多すぎれば倒れそうな、細い緑だ。


 それでも、確かに伸びていた。


「昨日より、ほんの少し高いです」


 セリアが言うと、トマが覗き込んだ。


「本当か? 俺には同じに見える」


「同じに見えても、伸びています」


「そういうもんか」


「そういうものです」


 セリアの声には、以前よりも迷いが少なかった。


 その日、旧水路の水量確認を終えた頃、村の入口にまた人影が見えた。


 見張り台の少年が声を上げる。


「誰か来る! この前の人たち!」


 トマが入口へ向かう。


 街道の先から来たのは、以前訪れた周辺村の代表たちだった。


 ハルマ村のベック。

 北沢集落のリオ。

 南のミード村のマルタ婆。


 ただ、今回は前と違い、三人だけではなかった。

 それぞれの村から、若い男や女が一人ずつ同行している。荷車には、水瓶、古い木箱、錆びた金具、そして布に包まれた何かが積まれていた。


 トマが少し警戒しながら声をかける。


「今日は何の用だ?」


 ベックは頭をかいた。


「この前の話の続きだ。疑いに来たんじゃない。相談に来た」


 リオが荷車の水瓶を指した。


「うちの井戸水です。最近、濁りが出ているので」


 マルタ婆は木箱を軽く叩いた。


「うちの古い薬草箱も見つかった。種かどうかも分からんが、セリアさんに見てもらえないかと思ってね」


 セリアは少し驚いた顔をした。


「私に、ですか」


「この前、リベル村の古い種から芽が出たと聞いた」


 マルタ婆は薬草予定地の方を見る。


「それなら、うちの箱もただのゴミじゃないかもしれない」


 村長が一歩前へ出た。


「よう来られた。だが、まず確認する。これは依頼か、それとも見物か」


 ベックは真面目な顔になった。


「依頼だ。うちの村の井戸が心配だ。もしリベル村で調べてもらえるなら、対価も払う。ただ、金は多く出せない」


 リオも続く。


「北沢集落も同じです。井戸の濁りが自然なものなのか、何かされたものなのか知りたい」


 マルタ婆はセリアを見る。


「薬草箱の方は、急ぎじゃない。でも、もし生きている種があるなら、もう一度育てたい」


 トマが腕を組む。


「先生、ついに出張か?」


 俺はすぐには答えなかった。


 相談を受けることはできる。


 だが、簡単に引き受ければ、今度はリベル村が周辺の水や薬草へ干渉していると言われる可能性もある。


 村長も同じことを考えたのだろう。


「まず村長宅へ。発言は記録する。持ち込んだ水瓶や木箱も、触る前に確認する」


 ベックたちは頷いた。


「それでいい」


 村長宅では、ニコルが来訪者記録を開いた。


 彼はもう、以前のように慌てなくなっていた。緊張はしているが、筆先はしっかりしている。


「来訪目的をお願いします」


 ベックが答える。


「ハルマ村の井戸水確認依頼」


 リオが続く。


「北沢集落の井戸水確認依頼」


 マルタ婆が木箱を撫でる。


「ミード村の古薬草箱確認依頼」


 ニコルが書き留める。


「依頼。見物ではない。対価については後日協議……」


 ダリオが横から言った。


「対価は最初に決めろ。後回しにすると揉める」


 ベックが少し身構える。


「やっぱり高いか?」


「高くしろと言ってるんじゃない。曖昧にするなと言ってる」


 ダリオは椅子の背にもたれた。


「水の話も薬草の話も、善意だけで始めると後で面倒になる。何をどこまで見るのか。結果が出なかった場合はどうするのか。危険が見つかった場合は誰に報告するのか。先に決める」


 リーゼが頷く。


「善意で踏み込むな。最近の合言葉だな」


 セリアは少し苦笑した。


「でも、大事です」


 俺はベックたちへ向き直った。


「こちらの条件を先に出します」


 三人は黙って頷いた。


「一つ。水や種を確認する前に、依頼者本人と村代表の意思を記録します。二つ。危険な術式や呪印が見つかった場合、リベル村だけで処理せず、防衛局またはギルドへ報告する可能性があります。三つ。こちらで確認できるのは状態と危険性です。必ず直せるとは約束できません。四つ。対価は過剰には取りませんが、無償にはしません」


 リオが少し不安そうに聞く。


「無償ではない、というのは?」


 村長が答えた。


「リベル村も余裕があるわけではない。水や薬草を調べるには、時間も道具も記録も使う。対価は金でなくともよい。木材、腐葉土、古い農具、食料、労働の手伝い。互いに無理のない形を決める」


 マルタ婆がすぐに頷いた。


「それならいい。うちには乾いた薬草の束と、古い布がある。使えるかは分からんが」


 ダリオが目を光らせる。


「古い布は使える。種の湿度調整にも、包帯にも、濾過にも使える」


 トマが感心したように言う。


「何でも使うな、お前」


「使えるものを捨てるほど、この村は金持ちじゃない」


「まあな」


 ベックは少し考えてから言った。


「ハルマ村からは、腐葉土と人手を出せる。畑を見たが、まだ土が足りないだろ」


 セリアの顔が明るくなった。


「腐葉土は助かります」


 リオも言う。


「北沢集落には、古い水路の石材が残っています。使えるものがあるかもしれません」


 村長が静かに頷いた。


「では、それぞれ記録する。対価は仮決め。正式には確認後じゃ」


 最初に見たのは、ハルマ村の井戸水だった。


 水瓶は封をしたまま、机の上に置かれる。


 俺は触れずに鑑定した。


《ハルマ村井戸水》

《状態:軽度濁り》

《原因候補:土砂混入/水脈停滞》

《呪印反応:微弱》

《危険度:低・継続観察推奨》


「呪印反応が微弱にあります」


 ベックの顔が硬くなった。


「やっぱりか」


「断定はしません。ただ、自然な濁りだけではない可能性があります。水脈が停滞しているようにも見えます」


 ダリオが水瓶を覗き込む。


「匂いは泥だな。腐敗じゃない。水脈のどこかで流れが詰まってるかもしれん」


「直せるか?」


「現場を見ないと分からない」


 ダリオはすぐに答えた。


「水瓶だけで直せると言う技師は信用するな」


 ベックは苦笑した。


「覚えておく」


 次に、北沢集落の井戸水。


《北沢集落井戸水》

《状態:冷水質変化》

《濁り:軽微》

《呪印反応:なし》

《異常:水温低下/地下流路変化の可能性》


「こちらは呪印反応はありません。ただ、水温が不自然に下がっています。地下流路が変わっている可能性があります」


 リオは息を呑んだ。


「水が冷たくなったのは、気のせいではなかったのか」


「はい。記録した方がいいです。いつから、どれくらい、どの井戸だけなのか」


 ニコルが横から記録板を一枚差し出した。


「簡単な井戸記録表を作れます。日付、水の色、匂い、温度、量を書く欄です」


 リオは驚いた顔をした。


「そんなものまで?」


「書いておくと、後で比べられます」


 ニコルは少し照れながら言った。


「僕も最初は面倒だと思いました。でも、役に立ちます」


 その言葉には説得力があった。


 最後に、マルタ婆の古薬草箱を開けた。


 中には、乾いた葉、古い布袋、小さな木札、そして固くなった種らしきものがいくつか入っていた。


 セリアは箱を見た瞬間、表情を変えた。


「これは……丁寧に保存されていました」


 マルタ婆は少し遠い目をした。


「昔の薬草婆は、口うるさい人でね。箱の中を勝手に触ると、よく怒られた」


 セリアは布袋の文字を読む。


『止血草』

『眠り花』

『腹痛葉』


 彼女は一つずつ確認し、俺に渡した。


 俺が鑑定する。


《止血草の古種》

《状態:乾燥》

《生命反応:微弱》

《発芽率:低》

《呪印残滓:なし》


《眠り花の古種》

《状態:休眠深度:高》

《生命反応:極微弱》

《注意:過活性危険》


《腹痛葉の乾燥葉》

《薬効:微弱残存》

《使用:不可・記録用》


「止血草に生命反応があります」


 セリアが言うと、マルタ婆は目を見開いた。


「本当かい」


「はい。ただ、発芽率は低いです。リベル村の傷洗い草と同じように、少しずつ湿度を戻す必要があります」


 マルタ婆は箱を両手で包んだ。


「死んでいなかったのか」


 セリアは静かに頷いた。


「はい。まだ、完全には」


 その言葉に、マルタ婆はしばらく黙っていた。


 やがて、目元を指で押さえる。


「薬草婆が聞いたら、喜ぶだろうね」


 セリアは何も言わなかった。


 ただ、箱の中の古種を丁寧に戻した。


 会議の最後に、今後の手順を決めた。


 ハルマ村の井戸は、まず水量と濁りの記録を一週間取る。

 北沢集落は井戸水温と水量の記録表を作る。

 ミード村の止血草の古種は、リベル村で少量だけ試験修復する。ただし所有権はミード村に残す。

 対価は、腐葉土、古布、石材、人手として仮決め。正式な作業依頼は、記録確認後に改めて行う。


 ベックは深く頭を下げた。


「疑いに来た時は、正直、リベル村が水を取るんじゃないかと思っていた」


 村長は黙って聞いている。


「でも、今日は違う。記録を取れと言われるとは思わなかった」


 リオも苦笑する。


「面倒ですが、安心しました。言葉だけで“大丈夫”と言われるより」


 マルタ婆はセリアを見た。


「うちの止血草、よろしく頼むよ。無理はしないでいい。生きているかもしれないと分かっただけでも、今日は十分だ」


 セリアは背筋を伸ばした。


「大切に見ます」


 代表たちが帰る頃、トマがぽつりと言った。


「先生、ついに周辺村の依頼まで来たな」


「まだ正式依頼ではありません」


 俺は答えた。


「調査前の相談です」


 ダリオが笑う。


「その言い方がもう役人っぽい」


「やめてください」


 リーゼが水路の方を見た。


「だが、流れは外へ向き始めたな」


「はい」


 セリアは薬草予定地の小さな芽を見た。


「でも、まずはこの村の芽も守らないと」


 村長が頷く。


「その通りじゃ。外を見るには、足元が立っておらねばならん」


 夜、中枢室に記録を登録した。


《周辺修復依頼:発生》

《対象:ハルマ村井戸水/北沢集落井戸水/ミード村古薬草種》

《推奨:記録期間設定/第三者立ち会い準備/作業範囲明確化》


 俺は個人記録を書く。


『周辺村代表、再訪。

今回は疑いではなく相談。

井戸水確認、古薬草種確認の依頼。

正式作業はまだ受けず、まず記録期間と条件を設定。

リベル村が周辺地域の修復拠点になる可能性が出てきた。

ただし、善意で踏み込みすぎないこと。』


 最後に、一文を加えた。


『水路の水と同じように、信頼も少しずつ外へ流れ始めている。』


 炉の火が低く灯る。


 村の外には、まだ疑いも不安もある。


 けれど今日、その不安の一部は相談に変わった。


 それは小さな変化だった。


 薬草の芽と同じくらい小さい。


 でも、確かに地上へ顔を出し始めていた。

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