表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

60/173

第60話 放浪技師の古い傷

 王都からの文書が届いたのは、薬草予定地の根を確認した翌日の昼だった。


 封蝋は行政庁。

 差出人は、オルブライト行政官。


 村長宅に集まった面々は、自然と口数が少なくなった。


 村長が封を切り、文面に目を通す。

 それから、ゆっくり読み上げた。


「クラウス技師の測定具および過去文書について、行政庁・防衛局・ギルドにて確認中。同技師は当面、リベル村関連調査から外れる。貴村提出記録は、引き続き有効資料として扱う……」


 そこで村長の声が少しだけ低くなった。


「周辺村への不安拡散に注意されたし」


 部屋の空気が重くなった。


 トマが眉をひそめる。


「やっぱり、周りを煽ってるのか」


「可能性は高いです」


 俺は答えた。


 だが、それより先に反応した者がいた。


 ダリオだった。


 彼は文書の一文を見たまま、動かなかった。


 いつもの軽口もない。

 豆の煮込みの匂いがしても、皿に手を伸ばさない。


 リーゼが静かに声をかける。


「ダリオ」


「……ああ」


「顔色が悪い」


「元からだ」


「そういう返しをする時ほど悪い」


 ダリオは苦笑しようとして、失敗した。


 村長が文書を机に置く。


「過去文書、とあるな」


 ダリオはしばらく黙っていた。


 やがて、椅子に深く座り直す。


「俺の昔の告発文書だろうな」


「ローゼン家の結界炉の件ですか」


 俺が聞くと、彼は頷いた。


「ああ。あれで俺は組合を追い出された」


 トマが腕を組む。


「前にも聞いたけど、詳しくは聞いてなかったな」


「楽しい話じゃない」


 ダリオは水を一口飲んだ。


 その手が、わずかに震えていた。


「俺は昔、王都技師組合にいた。二等技師だった。口は悪かったが、腕は悪くなかったと思ってる」


「そこは謙遜しないんですね」


 セリアが言うと、ダリオは少しだけ笑った。


「腕まで悪かったら、ただの嫌な奴だからな」


 それから、彼は笑みを消した。


「ローゼン侯爵家の別邸結界炉の施工に入った。貴族の屋敷だ。金はある。材料もいい。技師にとっては、普通なら悪くない仕事だった」


「普通なら、か」


 リーゼが呟く。


「そう。普通ならな」


 ダリオは机の木目を見つめた。


「結界炉に妙な線があった。安全監視だと説明されたが、俺にはそう見えなかった。炉の出力傾向を外部へ記録し、後から管理権を紐付ける下地になる。屋敷の持ち主や使用者に説明されていないなら、不正だ」


 俺はクラウスの測定具を思い出した。


 同じ思想。


 安全確認を名目に、対象の反応を記録し、管理へ繋げる。


「俺は報告した。上にも、組合にも、施工主にも。最初は、まあ、若い技師が何か騒いでいるくらいの扱いだった」


「それで終わらなかったのか」


 トマが聞く。


「終わらせなかった。俺が馬鹿だったからな」


 ダリオは自嘲した。


「図面を写し、問題の線を示し、報告書を出した。安全監視ではなく、管理紐付けだと。説明なしに使えば、設備の所有者から制御権を奪うことになると」


 セリアが小さく息を呑む。


「それは……今のリベル村の件と同じですね」


「似てる。だから、あの測定具を見た時、嫌な感じがした」


 ダリオは指で机を叩いた。


「でも当時の俺は負けた。クラウスたちは、標準機能だと言った。俺は過剰報告だとされた。貴族家との信頼関係を損なった。現場を混乱させた。組合の信用を傷つけた」


 言葉を並べるたび、彼の声が少しずつ乾いていく。


「結局、俺は除名だ。仕事を失った。仲間も離れた。俺の報告書は、妄言扱いされた」


 部屋は静かだった。


 誰も軽い慰めを言えなかった。


 ダリオは天井を見た。


「俺は負けたんだよ」


 その言葉は、思ったよりも小さかった。


 けれど、重かった。


 トマは何か言いかけて、やめた。


 リーゼは腕を組んだまま、目を伏せている。


 セリアは両手を膝の上で握っていた。


 俺は、机の上の行政庁文書を見た。


「でも、その記録が残っていました」


 ダリオは俺を見た。


「残っていただけだ。俺を助けてはくれなかった」


「はい」


 俺は頷いた。


「すぐには助けてくれなかったんだと思います」


 ダリオの目が少し細くなる。


「慰めか?」


「違います」


 俺は首を振った。


「今、その記録がクラウスの測定具と繋がりました。リベル村を守る材料になっています。昔のあなた自身は救えなかったかもしれない。でも、今の誰かを救う力にはなっています」


 ダリオは黙った。


 セリアが静かに言った。


「記録って、すぐには助けてくれないこともあるんですね」


 彼女は自分の胸元に触れた。


 神殿検査の写しを入れている小箱の方を見たのかもしれない。


「でも、消えなければ、後で誰かを助ける」


 ダリオはセリアを見た。


 いつものように茶化さなかった。


「……そうだといいな」


「そうです」


 セリアははっきり言った。


「少なくとも、私はそう思います」


 リーゼも口を開いた。


「私の腕輪の記録も、今すぐ王都を裁く剣にはならない」


 彼女の声は低い。


「だが、残している。いつか必要になるからだ」


 ダリオは少しだけ笑った。


「この村は、本当に記録ばかりだな」


「あなたが設備台帳を作れと言ったんです」


 俺が返すと、彼は肩をすくめた。


「それもそうだ」


 ようやく、少しだけいつもの顔に戻った。


 だが、その目の奥にある傷は消えていない。


 消えるものではないのだろう。


 昼食の後、ダリオは一人で旧水路へ向かった。


 俺が少し遅れて追うと、彼は水量調整板の前にしゃがんでいた。


「一人で抱えない約束は、俺には適用されるのか?」


 背中を向けたまま言う。


「この村にいる間は、たぶん」


「面倒な村だな」


「よく言われます」


 俺は隣に立った。


 旧水路の水は、細く畑へ流れている。

 薬草予定地の土は、昨日より少しだけ柔らかくなっていた。


 ダリオは水を見つめた。


「俺はな、レオン。あの時、自分の腕が足りなかったと思ってた」


「腕?」


「技師としての腕だ。もっと偉ければ。もっと説明が上手ければ。もっと証拠を揃えられれば。クラウスたちを止められたんじゃないかってな」


 彼は自嘲気味に笑う。


「で、結局、何年も放浪した。あの時の図面が頭から離れなくて、どこの炉を見ても裏に線がある気がして、まともな仕事も長続きしなかった」


「それは、あなたが悪いわけではないと思います」


「そう言われてもな」


「すぐには信じられませんか」


「信じられねえな」


 正直な返事だった。


 俺は少し考えた。


「俺も、無能と言われたことをすぐには忘れられません」


 ダリオがこちらを見る。


「勇者パーティーの件か」


「はい。今は、自分の力の意味が少し分かってきました。でも、時々まだ思います。本当に役に立てているのか、と」


「お前でもか」


「俺でもです」


 ダリオはしばらく黙っていた。


 水音だけが聞こえる。


「じゃあ、まあ、俺がまだ引きずってても仕方ねえか」


「仕方ないと思います」


「軽く言うな」


「重く言うよりいいかと」


 ダリオは少し笑った。


「妙な奴だな」


「この村では普通です」


「それは嘘だ」


 夕方、村長宅でダリオの件が正式に話し合われた。


 議題は、彼を今後も試用技師のままにするかどうか。


 村長が尋ねる。


「ダリオ殿。今後、どうしたい」


 ダリオは珍しく、すぐには答えなかった。


 トマが言う。


「飯なら出るぞ」


「そこは重要だが、今は黙ってろ」


「はい」


 トマが素直に黙ったので、セリアが少し笑いそうになっていた。


 ダリオは机の上に手を置いた。


「俺は、ここで仕事がしたい」


 静かな声だった。


「水路、炉、結界補助、農具。直せるものがある。俺の昔の記録が、今になって使えるなら……俺自身も、もう一回くらい使ってみてもいいかと思った」


 リーゼが言う。


「物のように言うな」


「癖だ」


「直せ」


「検討する」


 いつもの返しだった。


 だが、少しだけ照れ隠しにも聞こえた。


 ダリオは続ける。


「正式に置いてくれ。外部技師でも、試用でもなく。もちろん制限は受ける。中枢室に勝手に入らない。設備に勝手に触らない。記録を残す。契約も読む」


 村長は俺を見た。


 俺は頷いた。


「中枢室に表示が出ていました。外部技師候補として登録可能です。ただし、設備制限契約、作業範囲、本人意思確認、村長承認が必要です」


 ダリオが苦笑する。


「今度は俺が契約書に縛られる側か」


「縛るためではなく、守るためです」


 セリアが言った。


 ダリオは彼女を見る。


「守る紙、か」


「はい」


 ニコルが小さく言う。


「紙の盾です」


 ダリオは笑った。


「それ、いいな」


 村長は杖を鳴らした。


「では、契約書を作る。署名は今日でなくてよい。読んで、疑って、納得してからでよい」


「この村らしいな」


 ダリオは頷いた。


「読む。全部読む。嫌なところがあったら文句を言う」


「それでよい」


 その日の夜、俺は中枢室で記録を書いた。


『王都より通知。クラウス技師、リベル村関連調査から一時除外。

ダリオ・ガンツの過去の告発文書が、クラウス測定具問題と関連資料として扱われる。

ダリオ、過去にローゼン家結界炉の管理紐付け機構を告発し、組合除名。

本人は“俺は負けた”と語る。

しかし、当時の記録は現在リベル村を守る材料となっている。

ダリオ、リベル村で正式に仕事をしたいと希望。

外部技師登録を検討。』


 最後に、セリアの言葉を残した。


『記録は、すぐには助けてくれないこともある。

でも、消えなければ後で誰かを助ける。』


 炉の火が低く揺れた。


 外では、水路の音が続いている。


 かつて負けた技師の記録が、今、辺境村の水音に混じっている。


 それは勝利ではないかもしれない。


 でも、負けたまま終わらないということではある。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ