第60話 放浪技師の古い傷
王都からの文書が届いたのは、薬草予定地の根を確認した翌日の昼だった。
封蝋は行政庁。
差出人は、オルブライト行政官。
村長宅に集まった面々は、自然と口数が少なくなった。
村長が封を切り、文面に目を通す。
それから、ゆっくり読み上げた。
「クラウス技師の測定具および過去文書について、行政庁・防衛局・ギルドにて確認中。同技師は当面、リベル村関連調査から外れる。貴村提出記録は、引き続き有効資料として扱う……」
そこで村長の声が少しだけ低くなった。
「周辺村への不安拡散に注意されたし」
部屋の空気が重くなった。
トマが眉をひそめる。
「やっぱり、周りを煽ってるのか」
「可能性は高いです」
俺は答えた。
だが、それより先に反応した者がいた。
ダリオだった。
彼は文書の一文を見たまま、動かなかった。
いつもの軽口もない。
豆の煮込みの匂いがしても、皿に手を伸ばさない。
リーゼが静かに声をかける。
「ダリオ」
「……ああ」
「顔色が悪い」
「元からだ」
「そういう返しをする時ほど悪い」
ダリオは苦笑しようとして、失敗した。
村長が文書を机に置く。
「過去文書、とあるな」
ダリオはしばらく黙っていた。
やがて、椅子に深く座り直す。
「俺の昔の告発文書だろうな」
「ローゼン家の結界炉の件ですか」
俺が聞くと、彼は頷いた。
「ああ。あれで俺は組合を追い出された」
トマが腕を組む。
「前にも聞いたけど、詳しくは聞いてなかったな」
「楽しい話じゃない」
ダリオは水を一口飲んだ。
その手が、わずかに震えていた。
「俺は昔、王都技師組合にいた。二等技師だった。口は悪かったが、腕は悪くなかったと思ってる」
「そこは謙遜しないんですね」
セリアが言うと、ダリオは少しだけ笑った。
「腕まで悪かったら、ただの嫌な奴だからな」
それから、彼は笑みを消した。
「ローゼン侯爵家の別邸結界炉の施工に入った。貴族の屋敷だ。金はある。材料もいい。技師にとっては、普通なら悪くない仕事だった」
「普通なら、か」
リーゼが呟く。
「そう。普通ならな」
ダリオは机の木目を見つめた。
「結界炉に妙な線があった。安全監視だと説明されたが、俺にはそう見えなかった。炉の出力傾向を外部へ記録し、後から管理権を紐付ける下地になる。屋敷の持ち主や使用者に説明されていないなら、不正だ」
俺はクラウスの測定具を思い出した。
同じ思想。
安全確認を名目に、対象の反応を記録し、管理へ繋げる。
「俺は報告した。上にも、組合にも、施工主にも。最初は、まあ、若い技師が何か騒いでいるくらいの扱いだった」
「それで終わらなかったのか」
トマが聞く。
「終わらせなかった。俺が馬鹿だったからな」
ダリオは自嘲した。
「図面を写し、問題の線を示し、報告書を出した。安全監視ではなく、管理紐付けだと。説明なしに使えば、設備の所有者から制御権を奪うことになると」
セリアが小さく息を呑む。
「それは……今のリベル村の件と同じですね」
「似てる。だから、あの測定具を見た時、嫌な感じがした」
ダリオは指で机を叩いた。
「でも当時の俺は負けた。クラウスたちは、標準機能だと言った。俺は過剰報告だとされた。貴族家との信頼関係を損なった。現場を混乱させた。組合の信用を傷つけた」
言葉を並べるたび、彼の声が少しずつ乾いていく。
「結局、俺は除名だ。仕事を失った。仲間も離れた。俺の報告書は、妄言扱いされた」
部屋は静かだった。
誰も軽い慰めを言えなかった。
ダリオは天井を見た。
「俺は負けたんだよ」
その言葉は、思ったよりも小さかった。
けれど、重かった。
トマは何か言いかけて、やめた。
リーゼは腕を組んだまま、目を伏せている。
セリアは両手を膝の上で握っていた。
俺は、机の上の行政庁文書を見た。
「でも、その記録が残っていました」
ダリオは俺を見た。
「残っていただけだ。俺を助けてはくれなかった」
「はい」
俺は頷いた。
「すぐには助けてくれなかったんだと思います」
ダリオの目が少し細くなる。
「慰めか?」
「違います」
俺は首を振った。
「今、その記録がクラウスの測定具と繋がりました。リベル村を守る材料になっています。昔のあなた自身は救えなかったかもしれない。でも、今の誰かを救う力にはなっています」
ダリオは黙った。
セリアが静かに言った。
「記録って、すぐには助けてくれないこともあるんですね」
彼女は自分の胸元に触れた。
神殿検査の写しを入れている小箱の方を見たのかもしれない。
「でも、消えなければ、後で誰かを助ける」
ダリオはセリアを見た。
いつものように茶化さなかった。
「……そうだといいな」
「そうです」
セリアははっきり言った。
「少なくとも、私はそう思います」
リーゼも口を開いた。
「私の腕輪の記録も、今すぐ王都を裁く剣にはならない」
彼女の声は低い。
「だが、残している。いつか必要になるからだ」
ダリオは少しだけ笑った。
「この村は、本当に記録ばかりだな」
「あなたが設備台帳を作れと言ったんです」
俺が返すと、彼は肩をすくめた。
「それもそうだ」
ようやく、少しだけいつもの顔に戻った。
だが、その目の奥にある傷は消えていない。
消えるものではないのだろう。
昼食の後、ダリオは一人で旧水路へ向かった。
俺が少し遅れて追うと、彼は水量調整板の前にしゃがんでいた。
「一人で抱えない約束は、俺には適用されるのか?」
背中を向けたまま言う。
「この村にいる間は、たぶん」
「面倒な村だな」
「よく言われます」
俺は隣に立った。
旧水路の水は、細く畑へ流れている。
薬草予定地の土は、昨日より少しだけ柔らかくなっていた。
ダリオは水を見つめた。
「俺はな、レオン。あの時、自分の腕が足りなかったと思ってた」
「腕?」
「技師としての腕だ。もっと偉ければ。もっと説明が上手ければ。もっと証拠を揃えられれば。クラウスたちを止められたんじゃないかってな」
彼は自嘲気味に笑う。
「で、結局、何年も放浪した。あの時の図面が頭から離れなくて、どこの炉を見ても裏に線がある気がして、まともな仕事も長続きしなかった」
「それは、あなたが悪いわけではないと思います」
「そう言われてもな」
「すぐには信じられませんか」
「信じられねえな」
正直な返事だった。
俺は少し考えた。
「俺も、無能と言われたことをすぐには忘れられません」
ダリオがこちらを見る。
「勇者パーティーの件か」
「はい。今は、自分の力の意味が少し分かってきました。でも、時々まだ思います。本当に役に立てているのか、と」
「お前でもか」
「俺でもです」
ダリオはしばらく黙っていた。
水音だけが聞こえる。
「じゃあ、まあ、俺がまだ引きずってても仕方ねえか」
「仕方ないと思います」
「軽く言うな」
「重く言うよりいいかと」
ダリオは少し笑った。
「妙な奴だな」
「この村では普通です」
「それは嘘だ」
夕方、村長宅でダリオの件が正式に話し合われた。
議題は、彼を今後も試用技師のままにするかどうか。
村長が尋ねる。
「ダリオ殿。今後、どうしたい」
ダリオは珍しく、すぐには答えなかった。
トマが言う。
「飯なら出るぞ」
「そこは重要だが、今は黙ってろ」
「はい」
トマが素直に黙ったので、セリアが少し笑いそうになっていた。
ダリオは机の上に手を置いた。
「俺は、ここで仕事がしたい」
静かな声だった。
「水路、炉、結界補助、農具。直せるものがある。俺の昔の記録が、今になって使えるなら……俺自身も、もう一回くらい使ってみてもいいかと思った」
リーゼが言う。
「物のように言うな」
「癖だ」
「直せ」
「検討する」
いつもの返しだった。
だが、少しだけ照れ隠しにも聞こえた。
ダリオは続ける。
「正式に置いてくれ。外部技師でも、試用でもなく。もちろん制限は受ける。中枢室に勝手に入らない。設備に勝手に触らない。記録を残す。契約も読む」
村長は俺を見た。
俺は頷いた。
「中枢室に表示が出ていました。外部技師候補として登録可能です。ただし、設備制限契約、作業範囲、本人意思確認、村長承認が必要です」
ダリオが苦笑する。
「今度は俺が契約書に縛られる側か」
「縛るためではなく、守るためです」
セリアが言った。
ダリオは彼女を見る。
「守る紙、か」
「はい」
ニコルが小さく言う。
「紙の盾です」
ダリオは笑った。
「それ、いいな」
村長は杖を鳴らした。
「では、契約書を作る。署名は今日でなくてよい。読んで、疑って、納得してからでよい」
「この村らしいな」
ダリオは頷いた。
「読む。全部読む。嫌なところがあったら文句を言う」
「それでよい」
その日の夜、俺は中枢室で記録を書いた。
『王都より通知。クラウス技師、リベル村関連調査から一時除外。
ダリオ・ガンツの過去の告発文書が、クラウス測定具問題と関連資料として扱われる。
ダリオ、過去にローゼン家結界炉の管理紐付け機構を告発し、組合除名。
本人は“俺は負けた”と語る。
しかし、当時の記録は現在リベル村を守る材料となっている。
ダリオ、リベル村で正式に仕事をしたいと希望。
外部技師登録を検討。』
最後に、セリアの言葉を残した。
『記録は、すぐには助けてくれないこともある。
でも、消えなければ後で誰かを助ける。』
炉の火が低く揺れた。
外では、水路の音が続いている。
かつて負けた技師の記録が、今、辺境村の水音に混じっている。
それは勝利ではないかもしれない。
でも、負けたまま終わらないということではある。




